A.D.2160 5/12 17:11
タルシスⅣ-Ⅱ近海
封鎖突破船『天燕』 仮想艦橋
宇宙港から脱出した『天燕』は、他の封鎖突破船と隊列を組んで行動していた。
先頭を行く『天燕』に続いて、封鎖突破船『ツェルベルス』『ドルフィン』『倭寇』『マールテン・トロンプ』の4隻が単縦陣を成している。
船団の進路は隣のタルシスⅣ-Ⅲに向けられていた。ラグランジュⅣに浮かんでいるコロニーのなかで、タルシスⅣ-Ⅱに次ぐ規模を持っており、軍港も備わっている。
だが、決して希望的な見方はできないとギデオンは考えていた。
『ギド、タルシスⅣ-Ⅲから軍の出動は……』
「確認できない。動けない理由があるのか、あるいは軍そのものが敵に回ったか。いずれにせよ、最悪の状況を想定すべきだ」
仮想艦橋に浮かんだマヌエラの表情は、ひと目でわかるほどに緊張していた。幸か不幸かショートステイ明けの子供たちを通学させずに休ませていたため、三人揃って『天燕』に乗船できた。
しかし追手がかかる可能性を考えると、この船も決して安全とは言えない。
いっそタルシスⅣ宙域を離れて別のコロニー群に向かうことも考えたが、船員のなかには家族と離れ離れになっている者もいる。
加えて、前日まで仕事で『天燕』を動かしていたため、推進剤を十分に補充できていない。
道中で戦闘機動をとるような事態になれば、最悪漂流しかねない状態だ。
『ギド、最悪の状況って?』
「この騒ぎがタルシス軍全体を巻き込んだクーデターである可能性だ」
『そんな……』
以前からきな臭い雰囲気は漂っていた。『バジュラヤクシャ』の一件などは最たるものだ。
だがマリアの実力をもってすれば、一軍を手玉に取ることとて不可能ではない。彼の人格を見誤りはしたが能力だけは見損なっていない。それだけにこの上なく恐ろしい相手である。
(もし、奴が本当に生きているなら……)
ギデオンは仮想艦橋越しにマナエラに笑いかけた。
「なに、タルシスの港が使えなくなったとしても、次の行き先は考えてあるさ。心配するな」
『ギド……』
ギデオンの気遣いは、むしろ機関長の心配を深めた。それなりに長い付き合いだからこそ、マヌエラには彼の強がりや余裕の無さが透けて見えたのだ。
そしてギデオンもまた、自分の内面を見透かされていることに苦笑するしかなかった。
(敵わんな)
マヌエラは昔からこうだ。プロンプター云々などではない、人としての純粋な勘の鋭さ。感情を読み取る機微。今の時代に「女だから分かるのだろう」と考えるのも古めかしいが、しかしどこまでも男である自分には彼女の繊細さは真似できない。
だからこそ、彼女が『天燕』に乗っていてくれて良かったと心底思った。
「ウソじゃない、月の方にツテがあるのは本当だ。周回軌道まで到達すれば月の方が勝手に迎えに来てくれる。推進剤の管理、頼んだぞ」
『了解、船長』
マヌエラは表情を切り替えた。一応、やるべきことを提示されて見通しが立ったことが、安心につながったのだろう。
どのみち、今はやれることをやるしかない。
ギデオンはペティとの回線を立ち上げた。
「ペティ、フェニクスの準備はどうだ?」
『最低限のフライトチェックはしたぞ。問題は無いはずだ』
「よし……カタパルト起動、すぐにタルシスⅣ-Ⅴに向けて射出だ」
『直掩機が無くなるぞ! 本当に良いのか?』
「うちも含めて5隻あるんだ、対空防御はできる。それに、近くを飛ばれたら誤射しかねんだろう」
『信じるぜ、ギド』
「ああ、カラスにも言ってやってくれ」
『もちろんだ』
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
格納庫は『フェニクス』発進準備のために騒然としていた。
それでもペティの指揮のもと、全てのシークェンスが的確にこなされていく。船員の誰もが状況の不透明さに困惑していたが、何度となく鉄火場を渡り歩いてきただけに動きが身体に染み付いていた。
補充できるだけの推進剤を詰め込み、両腰部のハードポイントにレールガン『フェンサー』ならびにレーザーキャノンを取りつける。
左右コンテナ・スラスターにミサイルが装填されるのと同じタイミングで、パイロットスーツをまとったカラスが現れた。
「カラス、来たな!」
ハッチの近くでチェックリストを確認していたペティが、宙を流れてきたパイロットの手を取った。
「すまない」
「なに、これから一仕事するんだろ」
カラスは素早くコクピットに身体を滑り込ませると、即座に機体のメインシステムを立ち上げた。すでにヘルメットをかぶっているため顔色は分からない。
「目標はタルシスⅣ-Ⅴの指定座標にあるサーバーの破壊……あいつらしくない慌てぶりだ。秘蔵のポルノじゃあるまいし、そんなもん放っておけば良いのによ」
「必要性があるからだろう。命令には従う」
冗談のつもりで言ったが、カラスから返ってきたのはすこぶる事務的な返答だった。
最近の彼ならば「気になるから持って帰ってくる」とでも言いそうなものだ。
「……カラス。イムから連絡があったが、セレンの方は命の別状は無いらしい。何とか輸血が間に合ったそうだ」
「そうか……」
心底ほっとしたような声音だった。肩から少し力が抜けたのが分かった。
「お前のせいじゃない。気にするなよ」
「ありがとう、副長」
カラスは心の底から礼を言った。同時に、後ろめたさも覚えた。
セレンのことが心配だったのは間違いない。彼女は自分をかばって撃たれた。至近距離から上半身に二発、即死していてもおかしくなかった。それが助かったのは奇跡に近い。
だが今、カラスの心をより苛んでいるのは、仲間を撃ったのが自分の妹であるという事実の方だった。
当たり所が良かったのは、美羽が気を遣ったからではない。単なる偶然に過ぎない。彼女は完全に殺すつもりで銃を向けていた。本来狙っていたのは自分の方で、その射線を遮ってセレンが飛び出してきたからクリーンヒットしなかった。それだけのことだ。
「……撃たないといけない、俺が……!」
カラスは操縦桿を握り締めた。
「カラス、何か言ったか?」
「何でもない。イム・シウに礼を言っておいてくれ」
「帰ってきてから自分で言えよ」
「そうか……そうだな……」
「出撃、やめるか? ギドには俺から」
「問題ない、任務は確実に遂行する。ハッチを閉じる」
「……グッドラック」
装甲板が降りてきて、ペティの顔が完全に見えなくなる。ひとりきりのコクピットのなかで、カラスは小さく溜息をついた。
コクピットのなかに鏡は無い。カラスには自分の表情が見えていなかった。
この機体が『フェニクス』と名付けられる以前、BF―03Vだった頃の、兵器としての無機質なEB787の顔。
仕事や『天燕』の環境に慣れ、仲間たちとの不器用な、だが人間味のあるやり取りのなかでほぐれてきたバウンサー・カラスの顔。
いま、コクピットのなかに座っているのはそのどちらでもない。
名前を忘れたまま、戦争という巨大な状況に振り回されている、ひとりの人間でしかなかった。
もしヘルメットを被っていなかったら、ペティに無理やり引きずり出されていたかもしれない。
動揺に囚われながら、それでもパイロットとしての彼は職務を忘れていなかった。システムを立ち上げプリフライトチェックをクリア。全ての項目で異常がないことを確認する。
ギデオンに向けて、通信を繋いだ。
「船長、カラスだ。フェニクスはいつでも発進できる」
ホロ・ディスプレイにギデオンの横顔が現れる。いつもはしっかりと顔を合わせて話すが、今は余裕がないのか、ちらりと彼の顔を一瞥しただけだった。
『了解した。目標座標はフェニクスに送ってある。ターゲットは脆いが、迎撃が上がる可能性も考慮して速やかに作戦を完遂させろ』
「分かっている」
『……頼むぞ、カラス。放っておいたらもう一度戦争を引き起こしかねない厄ネタだ。お前の働きにコロニーの未来が掛かっている』
「了解」
『船外に出すぞ。備えろよ』
カラスは頷き、操縦桿を握りなおした。
心なしか、いつもより力の籠り具合が悪いような気がした。