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第21話:プレッシャー・フィールド

A.D.2160 5/12 17:25

タルシスⅣ-V近傍宙域


 いつもと何かが違う。


『フェニクス』のセンサーが捉える情報にノイズが走っている。先ほどから続いているジャミングの影響だ。しかし、いまのカラスが覚えている軽い電気刺激のようなものは、より生理的な危機感だった。


 見慣れたはずのタルシスⅣ宙域に、覚えのない敵意が満ちている。


(ナンセンスだ)


 機体をタルシスVに向けて飛ばしながら、カラスはかすかに苛立っていた。苛立っているという事実に余計に焦ってしまう。そんな自分の脆さが嫌だった。


 気づくと指先が右操縦桿のトリガーカバーを何度も開け閉めしていた。コクピットに小さく警告音が鳴る。ディスプレイの一部に、不適切な火器操作をたしなめるような一文が表示されていた。


「……お前に言われるなんて、な」


 カラスは苦笑して、トリガーカバーを閉めた。


 パイロットが機体に叱られているようでは駄目だ。


 バイキャメラル・システムを搭載してから『フェニクス』が操縦に口を出すことが増えた。もちろん操縦系を勝手に奪うようなことは無い。あくまでアドバイスや警告の頻度が増えただけだ。


 機械が何を、と思わないでもないが今の自分には確かに必要だろう。


 このシステムは本来、戦場において無人機の人工知能が不適切な戦術判断を下した場合、後方のオペレーターが適宜修正を加える対話型AIである。有人機である『フェニクス』には元々必要無いものだ。


 だから、現時点では機体制御の最適化や戦術の立案とサポートに特化させてある。少し高性能なフライトアシストといったところだ。


 ところが、システムが搭載される以前のフライトデータまで取り込んだ結果、カラスの飛び方に良くも悪くも沿ったアシストがなされるようになってしまった。キョウ・アサクラからは「変なクセをつけられた」と文句まで言われている。データ取りを目的としている技術者からすれば、『フェニクス』一機だけで生じる事象などイレギュラーも良いところだろう。


 だが、愛機にキャラクター性のようなものが生まれたことは、カラス自身にとってまんざらでもなかった。


(……冷たいな)


 義眼を通して、機体のセンサーが捉える様々な情報が流れ込んでくる。カラス自身の肉体は鋼鉄でできたコクピットのなかにあるが、宇宙に素手で触る感覚が確かにあった。


 いつもは心地よさや解放感さえ覚えるが今日は違う。まるで氷のなかに腕を突っ込んでいるようだった。寒さを通り越して痛みを、さらには熱さすら感じる。自分のなかに不安や恐怖が隙間風のように吹いている、そう自覚せざるを得なかった。


 だからこそ、いつも通りの『フェニクス』のコクピットが彼を安心させた。生身の身体に伝わるジェネレーターの振動、ヘルメットに反響する自分の息遣い。緊張のせいか、汗の匂いの感じがいつもと少し違う。


 思えば『天燕』に乗り込んでから、生身の人間と直接戦った経験は無かった。いつも無人機やミサイルが相手で、憎悪や敵意、悪意をもって襲ってくる敵など滅多にいなかった。


 だから余計にプレッシャーを感じるのだ。


 ぴりっ、と肌の一部がざわついた。


 一瞬遅れて接近警報が鳴り響く。頭のなかでスイッチが切り替わり、余計な思惟が全て覆い隠される。腕が咄嗟に操縦桿を倒していた。


 左方向にロール、そのまま逆方向に切り返し、右斜め下に機体を横滑りさせる。


 スロットルを押し上げ機体速度を上昇、同時に目とセンサーを使って索敵を行う。ジャミングの影響を受けながら、しかし頭部や機体各所のカメラが敵影を物理的に捉えていた。


 捕捉した情報をもとに、モニターの情報が更新される。付近に4機の機影あり。友好的な動きではないとカラスは見る。『フェニクス』もまた、敵味方識別装置IMFの表示を[敵機]に固定する。


 敵機は全て6時方向より接近している。うち3機は、三角錐を描くように展開して三次元的に『フェニクス』を包囲する動きを見せていた。


「この動き……BFか?」


 機体速度が速い。モニターのなかの敵機がさらに加速する。直線の動きの鋭さは『フェニクス』より上かもしれない。


「新型が開発されているって話、本当だったのか」


 速度だけでなく、他の性能全般においても旧型機である『フェニクス』以上のスペックはあるだろう。BFは不完全な兵器だ。特に完成度が高いとされた03タイプですら、プラズマシールドのような無駄な兵装をフレームに埋め込まれていた。


 後継機は、前身機の運用のなかで生じた様々な問題点をもとに改良されている。そう考えるのが自然だ。もちろん、その改良点が全て戦闘に直結するものではないかもしれない。それでも、例えばシートの座り心地や重量の微妙な増減が積み重なって、圧倒的な差になることは不自然ではない。


 しかし、カラスは不思議と冷静だった。危険な戦場にいる時の方が、頭がまともに回っているような気がした。


『天燕』に警告を送ろうと通信を立ち上げる。


 だが、回線が繋がらない。ジャミングの威力が上がっている。タルシスⅣ-Ⅱの通信網を麻痺させていたのと同じものだ。それが、急速に接近してきている。


(あのなかにジャミングの発生源がいる……!)


 電波妨害は領域全体のレーダーに干渉するが、一方で発生源を特定しやすいという弱点を持つ。そのため、電子戦専用艦などの特殊な艦艇に搭載され、基本的には硬い防御陣で守られている。


 しかし、このジャミングはそうではない。空間を騒々しく掻き乱しながら自ら飛び込んでくる。


 その不敵極まりない動きが、カラスの警戒心を高めた。


 今度こそトリガーカバーを完全に開ける。『フェニクス』も文句は言わない。


 マスターアーム、オン。使用可能火器がホロディスプレイに提示される。


「……」


 カラスは無言のまま、しかし頭のなかで素早く戦術を組み上げた。


 ギデオンからの提言。情報を最速で収集、確認し、即座に対応策を打つこと。戦術レベルにおいてはその一連の処理の早い者が生き残る。


 そしてもうひとつ。


(決して目的を見失うな)


 今回のミッションの条件は、廃棄コロニー内に隠蔽されたサーバーを破壊すること。すでにタルシスⅣ-Ⅴは目の前に見えている。破壊目標の座標も押さえてある。


 だが、迂闊に速度を上げられない。目標の位置が近いだけに『フェニクス』の加速力だと飛び越してしまう恐れがある。そうなると、今度は旋回して元の目標に戻るために速度と推進剤と時間を浪費することになる。


 隙を晒すぐらいなら、初撃で作戦目標を達成して、そのまま最大加速で逃げる。この作戦の方が良い。


(だから……!)


 バイキャメラル・システムの戦術行動アシストを起動、音声入力をアクティブに切り替える。右操縦桿のトリガーに指をかけた。


「EXマニューバ7実行!」


 パイロットの声を受けて、機体が了解のサインである電子音を耳元で鳴らした。


 両翼のコンテナ・スラスターは前方向に固定したまま、『フェニクス』の機体本体が縦に180度回転する。人間の身体になぞらえるなら、空中でいきなりでんぐり返りをしたような恰好だ。


「ぐっ……!」


 身体にかかる荷重に耐えながら、カラスは操縦桿を固く握り締める。


 前方への推力を保ったまま後方の敵機を狙う場面は、実戦だと多々見られた。このマニューバ・プログラムはその実経験に基づいて組まれている。


 頭の位置が上から下に入れ替わるまでの間、機体の推力ベクトルが一時的に大きく乱れる。それを機体と自身の腕との二人三脚で抑え込む。身体にかかる圧力が目まぐるしく変化し、パイロットの脳や内臓を散々に振り回したが、強化された肉体は意識消失を許さなかった。


 真後ろが真正面になった。


 即座に接近する敵機をロック。左腰部のレーザーキャノンを連射する。包囲しようと迫っていた3機のうち、1機のコンテナ・スラスターに直撃した。


 手応えは、無い。


「コーティングか」


 落胆はしなかった。『ヴァジュラヤクシャ』との模擬戦では至近距離のレーザー斬撃でさえ止められているのだ。タルシス軍のレーザー兵器対策はかなり進んでいる。


 厄介であることは間違いないが、いちいちショックを受けてはいられない。


 機体にロックオン・アラートが鳴り響いた。ブレイク機動で左右に機体を振り、回避行動をとる。先ほどまで『フェニクス』がいた位置に三機の光条が集中して浴びせかけられた。照準はかなりの精度だった。



 素人か? とカラスは思った。



「足止めで十分かと思ったが」


 口の隙間から鋭く息を吸い込んだ。頭の中にある、殺意という名の氷刃が鋭く光った。


 ぐんっ、と機体を横滑りさせる。同時に発射管よりRDR-17『スマートシープ』を3基発射。『フェニクス』の流れていった線の上に三匹の喧しい羊たちが解き放たれる。


 これは、カラスからの質問状だった。


 レーザーが掃射される。撃ったのは一機のみ。やはり、先ほどと同じ精密極まりない射撃でデコイミサイルを射抜く。漆黒の宇宙に小さな火の花が咲いた。



 その火炎の花弁の裏で、敵機が急減速をかけていたことを、撃ったパイロットは認識できなかった。



 だから『フェニクス』が突如として後方に現れた時も、何故そうなったのか理解できなかった。


 アラートと同時に、敵機がレーザーを斉射。第一射は自機の左に逸れたと見えた。


 そして、右方向に回避のため操縦桿を倒した瞬間、BFー04 V『サイレン』はEB797と共に爆散した。

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