「へえ?」
797の機体が撃墜された。その爆発を見て、グリフォンは口角を釣り上げた。
相手は継ぎ接ぎだらけの旧式機だが、新型である『サイレン』一機を葬った手並みは実に鮮やかだった。
デコイミサイルで攪乱。わざと撃たせた上で、閃光を隠れ蓑にして急減速、一気に後ろをとった。とどめの一撃もこなれている。わざと左側に射線を作り回避を誘発、移動先を読んでもう一斉射。
全ては797の過敏な反応を根拠にした行動だ。そもそもジャミングの影響下なので『スマートシープ』はろくに機能しない。それを反射的に撃ち落したせいで敵機を見失い、回避の際も単調な動きをまんまと読まれて撃ち落されている。
「戦い慣れてるな、あいつ」
797を墜とした旧式機は即座に軌道を変えて、タルシスⅣ-Vの残骸に機首をめぐらせている。動きに無駄がない。恐らく797を墜とす前の時点で、次の動きを決めていたのだ。
グリフォンの僚機である788、809も即座に反応して追撃に移っているが、グリフォンの目にはどうにもバタついているように映った。
おおかた、頭のなかのマリアに命じられてそう動いているのだろう。判断は間違っていないが、動きに遊びや余裕が無さすぎる。結果があって初めて行動しているのだ。それでは戦いの主導権は取り戻せない。
「へっっっったクソだなぁ、やっぱり。あいつら」
笑い交じりの呆れ声が口から洩れた。どうにも全員可愛らしさが過ぎると思った。弱いものは可愛いのだ。
頭のなかのマリアが「そう言っていないで、助けてあげなさい」と言う。
「分かってますよ。でも……
言葉ではそう言いながら、だがグリフォンは自分の身体が悦んでいるのを自覚していた。狩り甲斐のある獲物を前にして血が滾っている。脳味噌の奥にある興奮物質を分泌するところからじわじわと液体が染み出てくる。
殴るような勢いでスロットルを押し上げる。壁にぶつかったような衝撃が襲う。痛みが心地良い。ぎゅおおおっ、とコクピットの真下のジェネレーターが唸っていた。マシンの圧倒的パワーが青年を容赦なく圧迫した。
「すっっっっっげ、死にっそぅ……!!」
心臓のどこか、脳のどこか、睾丸のどこかから溶岩のような蜜が湧き上がる。錯覚ではない。グリフォンにとってその黄金の雫は現実に存在している。ひと嘗めするだけで七色の炎が身体を包む。頭の中が冴え渡り、義眼の力を借りなくても機体の隅々まで自分の手足と化したかのように動かせる。
BF―06Ir『スケアラー』。
「驚かす者」という名が示す通り、この機体の機動は敵味方双方に驚愕をもたらす。
いくつもの機体を乗り継ぎ幾多の戦場を駆け抜けてきたグリフォンですら、身体が圧縮されるような感覚に思わず尿道が縮み上がる。彼にとってその恐怖は麻薬的な快感と同質のものだった。
初めてBFを動かした時、小便を漏らした。初期の強化人間として比較的洗脳処置の軽かったグリフォンには、恐怖を感じるだけの感性が十分に残されていた。
バレット・フライヤーという兵器が与える全能感は残っていた人間的感性を異質なものへと変化させた。すなわち恐怖を与えるものに対して気持ちよさを覚えるように彼を作り替えたのだ。
昔の自分がどうだったかなど、グリフォンにとっては心底どうでも良いことだった。
むしろ、昔の自分とやらは何に対しても目覚めておらず、BFに乗ることで初めて自分の真の姿を悟ることができた。そうとさえ思う。
このスピードとパワー、星々を蹴飛ばして置き去りにする快楽のほかに、人間が追い求めるべきものなど存在するのか?
スケアラー、という機体名についても彼自身は今一つ納得していない。06Irは自分にしか扱えない正真正銘の専用機だ。自分のものなのだ。それなのにしょぼくれた名前をつけられている。
脅かし役なんてこの機体の一側面しかとらえていない。
このコクピットに座り、主観的にこいつのパワーを感じたならば、もっと相応しい名前が直感的に浮かぶはずだ。世界をひっくり返し、人々を恐怖の谷の底まで叩き落とすだけの威力がある。
どうせなら命名役の人間をひとり乗せて、全力で飛ばさせてから再度感想を聞けばよかったのだ。搭乗者は死ぬかもしれないが、遺言代わりにもっと素晴らしく、もっと恐ろしい名前をつけてくれるだろう。
そのことを頭のなかのマリアと外にいるマリアに相談したら、揃って「「スケアラーで我慢しなさい」」と窘められた。
やはり、納得がいかなかった。
だからグリフォンは、獲物たる『フェニクス』目掛けて急速機動をかけながら、自分自身が名付けた相応しい機体名を叫んでいた。
「行けッ!! アンゴルモア!!!!」
巨大なコンテナ・スラスターの先端部からレーザーキャノンの砲口が露出する。左右ともに5基ずつ、計10門。それを、コンテナごと前面に向け一斉掃射。
空飛ぶ
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『フェニクス』のサブカメラが後方から迫る敵機を捉え、ホロディスプレイに映し出した。カラスも視線をやって目視確認する。暗闇の背景のなかで、喧しいほどに眩いスラスター光が見えた。
最初、カラスはその敵機が無人機なのかと思った。だが同時に強烈な違和感も覚えていた。
(なんだ、こいつ……?!)
敵機が武装を開放。機体が警告音を鳴らす。その一瞬前に、カラスは反射的に回避行動に移っていた。
左方向に舵を切ると見せかけ、即座に右斜め上方へと急上昇するプラン。だが、動かしかけた操縦桿をびたりと握り締め固定する。
機体の左側を赤いレーザー光線が駆け抜けていった。
「チッ」
機体をローリングさせながらの急降下に切り替える。視界が何度となく回転し、合わせてカラス自身の脳も揺さぶられる。その揺れる頭で次の一手を考えていた。
敵機が真後ろについて来ている。機体を増速させると、それに合わせて悠々と加速をかける。
(振り切れない、ならば!)
眼下に廃棄コロニーの巨大な壁が見えた。タルシスⅣ-Vという死に絶えた大地の残骸。宇宙で生まれ育ったカラスにとって不可侵の存在だが、それが完全に機能を停止していることは明白である。
ゆえに、躊躇いは無かった。
右腰部に装備されたレールガン『フェンサー』のグリップを掴ませ、照準を正面に固定。弾種は徹甲弾。砲尾のサブアームが素早く動き、砲弾を装填する。
壁に向かって駆け下りながら、カラスはレールガンの砲弾を連射した。装填した5発分が全て鋼鉄の外壁に叩きつけられる。膨大な運動エネルギーが直接ぶつかり、無数のデブリが吹き上げられた。
だが、カラスはレールガンの発射と同時に機首を起こしていた。壁と機体の進行方向が平行になる。そして、コロニー外壁から撒き散らされたデブリは、彼の後ろにくっついていた敵機を呑みこむかに見えた。
「墜ちて……いない、か!」
カラスの意図を直前で察したか、敵機は『フェニクス』の機首起こしとほぼ同じタイミングでピッチを上げていた。
真上から覆い被さるように敵機が迫る。コクピット上部に設けられたモニター越しに、カラスはその敵の姿を初めて至近で見た。
大きい、と感じたのは、その機体の翼があの『ヴァジュラヤクシャ』と同じかそれ以上の長さを持っていたからだ。胴体部分は翼に比べるとずいぶん細く見えるが、それでも並大抵のBF、それこそ『フェニクス』の2倍近い体積があるだろう。
敵機は翼を限界まで広げ、その特異な機影で包み込むかのようにカラスたちを見下ろしていた。人間の頭に別の生物の頭が齧りついたような異形のヘッドパーツが、レデッシュ・パープルのカメラアイに光を滾らせていた。
兵器であるバレット・フライヤーに感情など無い。だが、カラスは直感的に嗤い声を読み取っていた。
より正確には、あの機体のコクピットにいる者の嗤い声を、ジャミングの影響下で確かに聞いたのだ。
マニューバを真似ることも、しつこく機体に追い縋ってくることも、全ては冗談だ。戦士の判断ではない。
「こいつ、っ!?」
不意に敵機の両翼端が輝いた。凶暴な赤い光が風切羽の先端に宿り、次いでそれは10本の長大な爪と化した。
輝く血を固めて作ったかのような刃だった。
敵機が踊るように翼を振った。咄嗟に『フェニクス』を回避させる。真横をレーザー刃が通り過ぎていく。
カラスはさらに急降下。コロニー外壁から50メートルも離れていない極至近距離を飛びぬける。平面付近は狙いがつけ辛い。機首上げして逃げる方がずっと危険だ。
だが、良いように追いつめられた感は否めない。カラスは奥歯を食い縛った。こんなものは時間稼ぎにもならない。すぐにコロニー外壁の端が迫ってくる。
真後ろからはあの敵機が、爪で外壁を削りながら追いかけてくる。鳥というよりも、大きく開かれた左右の手が迫ってきているかのようだった。強固なはずの鋼鉄の壁が飴細工のように簡単に斬り裂かれていた。
このままお前を細切れにしてやる。そう言わんばかりに敵機が速度を上げた。光る爪が『フェニクス』の翼尾に触れそうになる。まだ接触していないにも関わらず、カラスは背骨を炙られているような気分になった。敵機、さらにグンとパワーを上げる。
「EXマニューバ1実行!」
一か八かの賭けに出るしかなかった。
『フェニクス』の両膝に内蔵されたアンカーランチャーを発射。外壁部から宙域に飛び出すギリギリのところで、壁の縁に爪を引っ掛ける。
ワイヤーが伸びきった瞬間、がくりと身体が揺さぶられた。身体のあちこちを固定しているシートが一斉に食い込む。身体がソーセージになったようだった。
それでも、予期していた衝撃だ。
敵機の位置も、コロニー外壁との距離も目視しないまま、カラスは頭のなかに組み立てた立体図に従って『フェニクス』を動かす。自分を捕まえるつもりだった敵は機体速度に振り回されてコロニーの沖へ、逆に岩壁に掴まった『フェニクス』はアンカーを打ちこんだ場所を起点に振り子となって回転している。
目で見る余裕は無かった。
だが、結果的にカラスの脳内図形は正解だった。暗くなりかけた視界の向こうで、赤い爪をぶら下げた敵機が通り過ぎていく。同時に、コロニーの壁が急速に近づいてくる。
衝突寸前で逆噴射、強引に『フェニクス』を飛び立たせる。バイザーの裏でカラスは大きく息を吐き、かつ吸い込んだ。少し頭がすっきりした。機体を回答させ、敵機にレーザーキャノンの照準を向ける。
「後ろッ! 取った!!」
『さぁどうだろうな?』
無防備なはずの敵機が、宙返りのような姿勢でこちらに砲門を向けていた。