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2. 後輩は陰キャでコミュ障

2. 後輩は陰キャでコミュ障




 翌朝。昨日の配信の疲れも残る中、オレは桃姉さんと共に事務所へ向かう。他のライバーたちに鉢合わせするのは、色々と面倒なことになる可能性が高いから、基本的には桃姉さんと一緒に行動するようにしている。


 正直なところ気が進まない。けれどこれも仕事だ。文句を言える立場じゃない。そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にか事務所に到着していた。桃姉さんの後ろをついていき、そのまま会議室に入る。


「颯太。ちょっと待ってて」


 桃姉さんはそう言うと、資料らしきものをいくつか机に置き、オレに背を向けた。


「え?一人にするなよ、誰か来たらどうするんだよ」


「そのためにこの時間にしてるんでしょ。他のみんなは午後から来るようにスケジュール組んでるんだから。誰も来ないわよ」


 そう言って、桃姉さんはあっさりと会議室を出て行ってしまった。まぁ確かにその通りだ。スケジューリングはマネージャーの桃姉さんの仕事だし、その点は信頼している。


 けれど、一人残された会議室はなんだか落ち着かない。オレは仕方なく、用意されていた椅子に腰を下ろし待つことにする。秘密を隠し続けるのは疲れるけれど、こうして事務所の会議室に一人でいる時間も、それはそれで気詰まりなものだ。


 しばらくすると会議室のドアが開いた。けれどそこに立っていたのは、マネージャーの桃姉さんではなく見慣れない小柄な女性だった。


「あ。えっと……あれ?その……う。」


 入ってきた女性は、明らかに戸惑った様子で立ち尽くしている。すごい挙動不審だ。というか……これはまずいのでは?新しいスタッフだろうか?


「あの……こんにちは……」


「!?あっ……こここ……こ……ちは……」


 相手は俺の声に、一瞬びくりと体を震わせた。まるで、予想外の生き物に遭遇したみたいだ。それでも、たどたどしいながらも、一応返事をしてくれた。


 顔は深く下を向いていて、表情はよく見えない。けれど、黒髪のボブヘアーに、赤いカチューシャがよく似合っている。身長は150cmくらいだろうか。服装は、ふんわりとしたピンクのワンピースに、白いカーディガンを羽織っている。可愛らしい服装だが、その手は、持っているらしいカバンをギュッと握りしめていて、緊張感が伝わってくる。


「あの……」


 何か話しかけようとした瞬間、相手が先に口を開いた。


「その……えっと……あの……ごめ……さい……」


 そう言うと、彼女はさらに頭を深く下げて、申し訳なさそうな謝罪の言葉を口にした。一体何に対して謝っているのか、さっぱり分からない。


「ちょっ……あの!いきなり謝られても困るんだが?」


「す、すす……すいません……その……私、緊張しちゃって……その……」


 彼女が何を言っているのか、いまいち理解できない。緊張するのはわかるが、その様子は明らかに過剰だ。もしかしたら、これが世に言う『コミュ障』というものなのかもしれない。だとしたら、どう接すればいいのか全く見当もつかない。


 すると、タイミングを見計らったかのように、会議室の扉が開かれ、桃姉さんが入ってきた。桃姉さんが姿を見せた瞬間、その女性の肩がビクッとした。うん。この子は間違いなく『コミュ障』だ。確信に近いものを感じた。


「え?かのんちゃん?打ち合わせは午後だよ」


「え。……でも……私には……10時って……」


 今にも泣き出しそうな、か細い声で答える彼女。なんだか見ていて可哀想になってくる。桃姉さんは手元のスマホを取り出し、スケジュールを確認している。そしてふとこちらを見て、オレと目が合った。あぁ。多分、オレの存在をすっかり忘れてたんだろうな。桃姉さんは、申し訳なさそうな表情で口を開いた。


「本当だ。ごめんね。私の勘違いだったみたい」


「あぁ……えっと……その……はい……すいません」


 そして、再び深く俯いてしまう。なんだろうな、この気まずい状況は……


「えっと……もうこうなったらしょうがないわね。颯太。改めて紹介するわね。この子は3期生のVtuber『双葉かのん』ちゃん。本名は鈴町彩芽ちゃん」


「どうも……はじめまして……」


 消え入りそうな、蚊の鳴くような声での自己紹介。正直、ほとんど聞き取れないレベルだ。そして、自己紹介が終わると同時に、完全に黙り込んでしまった。なんだこれ……


 ちなみに、事務所内では、不用意に本名を晒すことはほとんどない。特に初対面のライバーには徹底している。なので、事務所のスタッフさんからは、この子は『かのん』としか呼ばれない。裏でのライバー同士のやり取りも同様だ。マイクの切り忘れや、配信中のうっかり発言など、事故は意外と多いからな。オレはそもそも呼ばれないけど。


「あのね。かのんちゃん。ちょっと驚かないで聞いてほしいんだけど……彼は私の弟で、神崎颯太。そして、Vtuber『姫宮ましろ』なの」


「……。」


 予想はしていたけれど、彼女からの反応はまさかの無反応だった。まぁ、普通に考えれば驚くよな。むしろ、オレの方が驚いている。まさかこんな形で、しかもこんなタイミングで、他のライバーに正体がバレてしまうとは夢にも思わなかった。それを聞いても、相変わらず彼女は下を向いたままで一度もオレと目を合わせてくれない。


「あの……かのんちゃん?大丈夫?」


「……ははは……はい。だだ、だいじょうぶです……そ。その……男性の方……だったんですね……」


 蚊の鳴くような声で、ようやくそう呟いた。いや、どう見ても大丈夫ではなかっただろうに。


 そのあとは桃姉さんが、かのんこと鈴町彩芽さんに、オレのVtuberとしての活動について色々と説明していた。彼女は相変わらず緊張した様子で、時折頷いているだけだったけれど。


 こうして、オレは『姫宮ましろ』であることを、3期生の『双葉かのん』に知られてしまった。


 これが『ましろ』と『かのん』の初対面であった。

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