そう言って笑った千尋を見て、鈴は泣きそうになってしまった。雅達が話していた事をうっかり鈴が聞いてしまったなんて言っても無いのに、どうして千尋には分かってしまうのだろう? そんなにも鈴は分かりやすいのだろうか?
言葉にならずに涙を浮かべた鈴の頭を千尋が慰めるように撫でる。
「だってあなたが自分を責めている時は大抵、誰かの手を煩わせたとかそんな時ではないですか。きっとあなたは、こんな事ならもっとちゃんとしたお菓子を作っておけば良かったと思ったのでしょう? ですが、あなたがたとえ何を作っていてもあの二人は同じことを言ったと思います」
「どうしてですか?」
鼻をすすりながら尋ねる鈴に、千尋は困ったように笑う。
「簡単な事です。あなたのお菓子はどれも私のお気に入りですから。だからね、そんな顔をしなくても良いんですよ」
「で、でも、そのせいで雅さんを走らせてしまう事になってしまって……」
「ははは! 雅はわざわざ買いに行ったのですか?」
「……はい」
「仕方ないですねぇ。それに、二人には言い聞かせないといけませんね」
「?」
「私は鈴さんのお菓子を客に出したからと言って怒ったりしません、と。むしろ、羨ましがられるのが目に見えているので、気分が良いです」
「ち、千尋さま……」
何だかいつだったか雅が言っていた、千尋は性格が悪い、と言っていたのを唐突に思い出してしまった。そんな鈴を見て千尋は笑う。
「いけませんか? あなたは私の自慢の花嫁です。もっと自信を持ってください」
そう言って千尋は鈴の頬を撫でる。それがくすぐったくて思わず目を閉じると、千尋は笑って鈴の手を引いた。
「さあ、行きましょう。あなたのサンドイッチを食べて驚く二人を私は早く見たいです」
「そ、そんな驚くほどの物では!」
「いいえ、驚きますよ。賭けますか?」
にっこりと意地悪な笑みを浮かべた千尋を見て、ようやく鈴も笑うことが出来た。
「千尋さま」
「はい?」
「いつも、ありがとうございます」
鈴の心に気づいてくれて。そんな言葉を飲み込んで鈴がお礼を言うと、千尋は微笑んで鈴の頭を撫でてくれた。
部屋に戻ると、流星と楽が目の前のサンドイッチを凝視していた。その姿はまるで「待て」を言い渡された犬のようだ。
「すみません。それでは頂きましょうか。あれ? 鈴さんの分はどうしたのです?」
「え? わ、私の分、ですか?」
「ええ。食事はせめて一緒にしましょう?」
「は、はい! す、すぐに持ってきます! あの、先に召し上がっていてください」
鈴はチラリと楽を見て思わず言った。楽はサンドイッチを穴が開くんじゃないかと思うほど見つめていて、さっきからずっと生唾を飲み込んでいる。
けれど千尋は首を横に振るばかりだ。そんな千尋を見て鈴は急いだ。
炊事場に戻って喜兵衛に事情を話すと、喜兵衛も青ざめてすぐに鈴の食事の用意をしてくれる。
「行ってきます! ありがとうございました、喜兵衛さん!」
「いえ、どういたしまして! 気をつけてくださいね」
「はい!」
前にもこんな事があったなぁと思いながら鈴が廊下を早歩きしていると、お菓子を買って帰ってきた雅とばったり出くわした。
「なんだい、そんな急いで」
「あ、その。千尋さまが一緒に食べようと……」
「またか! 前にもあったね、こんな事」
「はい!」
雅も覚えていてくれたのかと思うと何だか嬉しい。些細な事だけれど、神森家での思い出がどんどん増えるのは思い出の少ない鈴にとってはとても幸せな事だった。
雅と別れて急いで客室に戻ると、待ってましたとばかりに千尋が手招きして、自分の隣を指さした。
千尋の隣で食事をするなんて初めての事で思わず鈴は尻込みしそうになったが、ここで鈴がおかしな対応をしたら、それはそのまま千尋の評価に繋がるのだと考えた鈴は、深呼吸をして千尋の隣に腰掛ける。
「すみません、お待たせしてしまいました」
「さほど待っていませんよ。それでは頂きましょう」
千尋の声に待ってましたと言わんばかりに流星がサンドイッチに手を伸ばそうとして躊躇った。
「えっと、千尋くん、これはどうやって食べたらいいの?」
「手で持つんですよ、そのまま」
「手で?」
「ええ。このように」
そう言って千尋はサンドイッチを手で持って上品に齧る。それを見て流星は目を丸くして楽は驚いたような顔をしている。
「どれどれ。あ、美味い。これ、何が挟んであるの?」
「えっと、ローストビーフと――」
鈴が説明をしようとしたその時、突然楽が怒鳴った。
「お、お前! 千尋さまに何てもの食べさせてんだ!」
「おいおい、急にどうしたの? 楽」
「そうですよ、楽。座りなさい」
「千尋さま! 流星さまも! だって、こんな下品な食べ方……おにぎりの時も思ったけど、千尋さまも流星さまも高官なのに……駄目ですよ!」
突然の楽の怒りに鈴は驚いたが、確かに言われてみればそうだ。千尋は龍神様なのだ。その方にサンドイッチやおにぎりなんて物を勧めた鈴は間違っていた。
「ご、ごめんなさい」
そう言って思わず頭を下げようとした鈴を、千尋が手で制した。
「楽、今すぐ出て行きますか?」
「ち、千尋さま?」
「私は今、あなたに心底がっかりしています。たった100年の間に、あなたも随分変わってしまったようですね。まるで初のように」
「!」
どうしてここで初の名が? そう思って流星を見ると、流星も何故か厳しい視線を楽に向けている。
「楽さーそんなだからお前、良いように初に利用されたんだよ? 分かってんの?」
「!?」
一体何の話をしているのだ? 意味が分からなくて鈴が右往左往していると、千尋が静かに言った。
「すみません、鈴さん。せっかく鈴さんが初との事を応援してくれていたのに、私は初とは番を解消する事になりそうです」
「え!?」
驚いた鈴に、流星がへらりと笑った。
「あのね、千尋くんってば、ずーっと初に騙されてたの。ていうか初ともう一人、千眼って言う奴に――」
「流星」
「はいはい、ごめんごめん。まぁ色々あったんだよ、今回の里帰り。それでね、君がぶっ倒れてくれたおかげで千尋くんは無事に地上に戻れたんだけど、その代わりに楽が追い出されちゃってさ」
そう言って流星は親指で楽を指さした。楽は楽で青ざめて膝の上で拳を震わせている。
「だ、大丈夫ですか? 楽さん」
何だかいたたまれなくて思わず鈴が楽に声をかけると、楽はキッと鈴を睨みつけてくる。
「お前の……お前のせいだ! 俺たちが変わったんじゃない! 千尋さまが変わっちゃったんだ! 全部お前のせいだからな!」
「楽!」
とうとう千尋が怒鳴ると、楽は突然席を立ってそのまま部屋を飛び出して行ってしまった。
突然の事に鈴が目を白黒させているにも関わらず、千尋と流星は二人共そんな楽に興味すら無いかのようにサンドイッチを頬張っている。
「い、いいんですか? お二人共……」
「あー、いいのいいの。ああいうお年頃なんだよ、楽は」