「え?」
千尋はそう言って鈴の肩を抱き、続いて楽を片手で雑に持ち上げて早足で庭を出た。それを見計らったように、目の前に大きな光の柱と音が落ちてくる。
「ひゃあっ!」
あまりの事に思わず鈴が隣に居た千尋にしがみつくと、千尋はそんな鈴を安心させるかのように抱き寄せて頭を撫でてくれる。
「大丈夫ですよ、鈴さん。あれは私の友人です」
「え? 友人? わぁ! 金色の龍神様!?」
鈴は千尋の腕の中からそっと顔を出して庭を見ると、そこには金色に輝く龍が居た。思わずその龍に見惚れていると、何故かまた千尋が鈴の目を塞いでくる。
「ち、千尋さま? 見えないのですが」
「見なくて良いです。目が光で潰れてしまいますよ」
「え!?」
そうなのか。鈴は思わず信じてギュッと目を閉じると、隣から雅の呆れたような声が聞こえてきた。
「嘘だよ、鈴。千尋! あんたねぇ!」
「すみません。ですが、他の男に見惚れるのを我慢出来ないんですよ」
「だからって何もそんな目を無理矢理塞がなくても……ところで男なのかい? あの龍は」
「ええ。流星! 一体何事ですか? ここはあなた達が降りてくるような所ではありませんよ」
千尋と雅が何の話をしているのかよく分からなかったが、どうやら先程言っていた千尋の友人だと言うのは嘘ではなかったようだ。
ようやく鈴の目から千尋の手が取れたので、もう一度金色の龍を見ようとしたがそこにはもう金の龍はおらず、代わりに居たのは金髪の好青年だった。
「千尋くん! ごめんね、突然。ちょっとそいつ匿ってやってくれる?」
「楽をですか? 一体何があったのです?」
「それはこれから説明するけど……あれ? もしかして鈴さん?」
男性は千尋よりも背が高かった。爽やかな声で、千尋とは違って何だかとても明るい。
「あ、はい。初めまして、鈴と申します。神森家でお世話になっています」
「はい、初めまして。へぇ、異人さんとの混血? 龍には居ないタイプだなぁ!」
「流星」
鈴の顔を覗き込んでズケズケと言葉を投げかけてくる流星に戸惑いはしたが、特別嫌な気持ちにはならない。多分、本当に悪気が無いのだろう。
けれど、そんな流星を千尋は冷たい声で嗜める。
「ち、千尋さま、私は気にしていませんよ! えっと、父がイギリス出身なんです」
「そうなんだ。うん、お人形さんみたいで可愛い可愛い! 千尋くんは面食いだったんだね」
面食いとはどういう意味だろう? 鈴はそんな事を考えながら千尋を見上げると、千尋はフイと鈴から視線を反らせて流星を睨む。
「流星!」
「はは、ごめんごめん。こんな所で話すのもなんだから、ちょっと屋敷に案内してくれない?」
流星はそう言って鈴の顔を覗き込んできた。そんな流星に鈴はシャンと背筋を伸ばして頷く。神森家の事で誰かに頼られるのは初めてだ。
「もちろんです!」
「鈴さん、それは雅がするのであなたは別に――」
「え?」
鈴が顔を輝かせながら振り向くと、そんな鈴を見て千尋は言葉を飲み込んで苦笑いを浮かべて言った。
「いえ、ではよろしくお願いします。喜兵衛と雅はお茶とお菓子の用意をお願いします」
「はい!」
「はいよ」
「すぐに用意します」
それから鈴は流星と千尋を従えて客間に案内すると、最後に申し訳無さそうに赤髪の少年が入ってきた。
思わず鈴が首を傾げると、少年はキッと鈴を睨んで「楽だ!」と怒鳴ってそのまま部屋へ入っていく。あのトカゲのお化けはやはり龍の子どもだったようだ。
鈴は小さな龍神に頭を下げてそのまま部屋を退室しようとした所で――。
「鈴さん? どこへ行くのです?」
「? お話のお邪魔になるといけないので、昼食の準備に戻ろうかと……」
「邪魔になど!」
「いや、鈴さんが聞いてもちんぷんかんぷんだってば、千尋くん。それに俺、今の地上の食事ってずっと憧れてたんだ! 俺たちにも何か作ってくれる?」
「もちろんです! 千尋さま、今日は千尋さまの大好きなサンドイッチですよ」
鈴が言うと、千尋は途端に顔を輝かせた。
「楽しみです。具は何ですか?」
「ローストビーフとキャベツ、それからポテトサラダです」
「それは嬉しいですね。ありがとうございます、鈴さん」
「いえ。それではもう少々お待ち下さい」
そう言って鈴は皆に頭を下げると部屋を後にした。
それからすぐに炊事場に戻って昼食の支度をしていると、後ろの方でお菓子の準備をしていた雅と喜兵衛が何やらボソボソと相談している声が聞こえてきた。
「どう思う? これ出しちゃマズいと思うかい?」
「そうですね……そのお菓子はちょっと避けた方が良いのでは……」
「だよな……本当に面倒な男だよ! ったく! ひとっ走り買ってくる!」
そう言って雅が戸棚に仕舞ったのは鈴が作ったクッキーだ。それがうっかり見えてしまって、何だか悲しくなってしまう。
確かに龍神様に出すお菓子としてクッキーはあまりにもお手軽だ。せめてパウンドケーキであればまだ見栄えもしただろうに。結果、雅を買い物に走らせてしまう事になってしまった。
けれど、まさか龍の客人がやってくるだなんて思いもしなかったのだから仕方ない。そう自分に言い聞かせたが、いつまでもモヤモヤは消えなかった。
やがて昼食を作り終えた鈴は、喜兵衛と一緒に客室に三人分の昼食を運び込んだ。
「お待たせしました。昼食のサンドイッチとスープになります」
「ありがとうございます。相変わらず美味しそうですね」
間髪入れずに褒めてくれる千尋に鈴が思わず微笑んだが、ふと先程の雅と喜兵衛の言葉を思い出してつい顔を強張らせてしまった。
そんな鈴を見て千尋はすぐさま立ち上がって鈴を廊下に連れ出すと、鈴の顔を覗き込んでくる。
「どうかしましたか? 鈴さん」
「ど、どうもしていませんよ?」
「嘘ですね。何か悲しい事がありましたか?」
そう言って鈴の頭を撫でる千尋の声はいつもよりもずっと優しい。ふと、恋人である初にはもっと優しいのだろうか、などと考えてしまいそうになる自分をどうにか押し込めて、鈴はゆっくりと首を振った。
「大した事ではないんです。その、今日のおやつはクッキーだったのですが、龍神様にお出しするには流石にお手軽なお菓子過ぎたなと……」
むしろ雅と喜兵衛が思いとどまってくれて本当に良かった。
そんな事を考えながら俯いた鈴を見て、千尋は何かピンと来たのかしゃがんで鈴と視線を合わせながら言う。
「もしかして、雅達がそう言ったのですか?」
「え?」
「それは誤解ですよ、鈴さん。あの二人は、鈴さんの作ったお菓子を他の人に出したら私が怒るのではないかと思ったのですよ」
「ど、どういう事ですか?」
「私のお気に入りのお菓子を突然やってきた人たちに出してしまうと、私の食い扶持が減ってしまうでしょう? 彼らはそれを心配したのです。鈴さんのクッキーは私のお気に入りですから」
「どうして……」