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第503話

 龍にとって人間など、どうでも良い存在でしか無い。それなのにどうして千尋はそんな存在と番などになったと言うのだ。


「そんなに興奮しないで、初さん。あなたはまだ本調子じゃないのよ。さあ、これを飲んで。これが最後の薬湯よ」

「これが薬湯? 仙丹ではないの?」


 差し出された薬湯はどす黒くてドロリとしているのに表面は艷やかな虹色に輝き酷い香りがする。


 思わず口をつけるのを躊躇った初に、兼続が厳しい口調で言う。


「初、飲みなさい。それでようやく完成するのだ。お前の元に千尋が戻り、千尋が都の王になる。そんな未来の為に、お前はそれを飲むんだ」


 いつになく真剣な兼続の言葉に初は仕方無くその薬湯を一気に飲み干した。その途端、体の中で何かが脈打ち、激しい動機に襲われる。


 そんな初を見て心配そうな兼継とは裏腹に、ふと見ると五月と琴音は仄暗い笑みを称えていた。


「千尋! 初がとうとう目を覚ました!」


 屋敷の温室で膝の上でいつの間にか眠ってしまった瑠鈴を乗せながら、のんびりと鈴のレコードを聞いて微睡んでいた千尋の元に羽鳥がやって来たのは、鈴とお揃いの耳飾りを付けだしてから三ヶ月後の事だった。


 千尋はゆっくりと上体を起こして瑠鈴を兄たちが眠る遊び場へ連れて行くと、千隼と夏樹の間に瑠鈴を置いてそっと毛布をかけてやる。


「羽鳥、外へ」

「そ、そうだね」


 そんな千尋を見て羽鳥は引きつったように微笑んで二人で温室を後にした。


「君は思っていたよりもずっと子煩悩だったね」


 苦笑いを浮かべながらそんな事を言う羽鳥に千尋は頷いた。


「私も自分で驚いています。よく皆さん、自分たちの子を手放そうなどと考える事が出来ますね」

「それには同感だけど、君の場合は鈴さんとの子だからって理由でしょ? 初との子ならどうなの」

「そんな分かりきった事を聞く意味はあるのですか?」


 にこりと微笑んだ千尋を見て羽鳥は今度はあからさまに顔を歪める。


「ごめん、聞くだけ無駄だったね。それで、離宮から連絡が入った。初が目覚めたそうだ。目覚めるまで薬湯と称して初に毎日何かを飲ませていたらしい」

「そんな事まで分かったのですか? 一体あなたの手のものはどれほどあちらの内部に食い込んでいるのです?」

「今回はうちの者からの情報じゃないよ。僕はあちらの真似をしただけ」

「あちらの真似?」

「そう。手紙で文通という古典的な方法を取ったんだよ。離宮に居る世話係達は元々王家に仕えていた人たちで、王の失墜と共に否応なく無理やり離宮に連れて行かれた人たちだ」


 どうやら羽鳥は離宮での暮らしに辟易している使用人達に手紙を送り、情報を得たようだ。


「それで素直にそんな事を教えてくれたのですか」


 それは立派な主に対する裏切り行為だが、思っている以上に前王には信頼が無かったか、その手紙があちらに利用されているかのどちらかだ。


 羽鳥もそれは思っているようで、腕を組んで頷いた。


「そう。恐らくこれは罠だ。でも、もしこれが嘘じゃなければ、王の失脚を狙った人が僕達の他にあちらの内部にも居たって事になる」

「なるほど。決して表には出てこず、裏でこっそりこちらの為に裏で手を引いていてくれたと? まるで影の棋士ですね。羽鳥、注意しておいてください」


 自分の利益の為に主を簡単に売るような者は、たとえ今は味方であったとしてもいつそれがまた裏返るか分からないし、羽鳥からの手紙を利用しているとも考えられる。


 それも重々承知で羽鳥は手紙を出したのだろう。


「もちろん気をつけるよ。ついでに言うと来週、その文通相手に会う予定なんだ。そこでどういう意図があるのか調べてみるよ」

「……あなたはいつも自分を囮に使おうとしますね」

「そういう性分なんだよ。遠くから見ているのはもどかしくて仕方ない。そういう意味では流星も今は辛いだろうね」

「そうですね。まぁいざ戦闘となったら私は喜んで流星に代わって書類仕事をするので、戦うのは皆さんにお任せします。何せもう私は一人で生きている訳ではないので」

「……そういう時は普通、大切な人を守るために率先して戦いに行くんじゃないの?」

「行きません。鈴さんと約束をしているのです。危ない事はしない、と。ただ鈴さんに何かあれば話は別ですけどね。そんな事が起こらないよう祈るばかりですよ」

「あー……ね」


 苦笑いを浮かべて頷いた羽鳥を見て千尋は薄く笑った。もう戦いたくなど無い。


 それは誰でもそうだろう。千尋の力を戦力として視野に入れるのは止めてほしいけれど、鈴が絡んだら話は別だ。その時は都を沈める勢いで荒れ狂うのは目に見えている。

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