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第507話

 けれど今の千尋の事が離宮にも伝わっているのだとしたら、彼女たちの理想の千尋はもうどこにも居ないのだという事になる。


「まぁとにかく詳しい日にちはまた追って連絡するよ。その時に初が本当に目覚めたのかどうかと、その薬湯の事が聞けたら有り難いね」

「しかし何でまた内情を明かすような事をわざわざするんだ? それだけ自信があるという事か?」

「そうでしょうね。何せあちらは今も恐らく原初の水を量産しているのでしょうから。そしてもしかするとそれを初に飲ませていたのかもしれません。薬湯だと偽って。でなければ逆鱗を傷つけられた龍がこんなにも早く目覚める訳がありません」

「で、でも千尋さま! 初さまは前王の娘ですよ!? 前王が初さまを溺愛していた事は誰でも知って——」

「だからですよ。だから最後に最愛の娘にそんな事をしたのです。もしも仮定の話が正解だとすれば、原初の龍の血を初に飲ませる事で初を、可愛い娘を最強の水龍に仕立て上げようとしているのかもしれません。そうすればもう誰にも傷つけられる事なく、初の思い通りの世界が訪れる。そう思い込んでいても不思議ではないでしょう? それもまた、歪んではいますが愛情の一種なのかもしれません」

「愛情っていうか、愛情だと思い込んでるだけっていうかね。まぁ何にしても前王の思惑は僕達にも分からない。ただ、千尋の言う通り本当に初が原初の水を飲んでいたとして、その後初がどんな風になるのかは誰にも予測がつかない。そう言えば千尋、原初の龍について何か分かったの?」


 羽鳥の言葉に千尋は渋い顔をして首を振った。


「見事なぐらい何も残されていません。口伝で伝わったのが今のところ一番有益ですね」 


 それぐらい原初の龍についての文献は何も無かった。少し不自然だとさえ思える程に。恐らく最初は残っていたのだろうが、時の時代の王たちが自分達の都合の良いように改ざんしていき、今まで引き継がれてきたのだろう。だからいくら探しても伝説以外の事は何も見つからなかった。


「偉大だって事しか分からないんじゃね。それにしても死んだら即大気に還る龍から大量の血液を抜き取るなんて事、一体誰がやってのけたんだろう?」

「まだ龍の血液だと決まった訳ではありませんから、それは考えても仕方の無い事ですよ」

「それもそうだ。と言うわけで、報告は以上だよ」


 羽鳥がそう告げた途端、部屋を誰かがノックしてきた。


「ああ、鈴さんですね」


 そう言って千尋が返事をすると、鈴がお菓子とお茶を持って部屋へ入ってくる。すると不思議と今まで殺伐とした緊張感のあった部屋の緊張が緩まった。


 鈴のにこやかな甘い笑顔は、千尋だけでなく他の誰の心も癒やすようだ。


 それから1週間後。千尋は羽鳥が指定してきた時間と場所に栄と共に出向いていた。


 羽鳥が指定してきたのは最近出来たという話題の喫茶店だ。


 ちなみに千尋はカフェーの存在は都には持ち込んではいない。だから都にあるのはどこも喫茶店のみである。


 羽鳥は店の一角にある温室の席に座り相手を待っていた。千尋達はその席の斜めに位置する場所に座ると耳をそばだてる。


「ここからなら辛うじて声が聞こえますね」

「ああ。お! 来たみたいだ——ん?」


 千尋の後ろの通路を見ていた栄が小声で言いながら首を傾げた。


 その様子に思わず振り返ると、長い杖を手に、固く目を閉じた一人の少女が戸惑った様子で喫茶店に入ってきたのが見える。


 着ている着物は豪華とまではいかなくても良い物だが、その足元はおぼつかない。何よりも驚いたのは彼女は龍ではなく、人間だったのだ。


 他の客たちもそれに気づいたようで、少しだけピリリとした空気が喫茶店の中に流れた。


 その気配を察知したのか、少女は戸惑うように歩を進める。


 すると、羽鳥が立ち上がり少女に近寄った。


「もしかして君が木葉さん?」

「っ!?」


 木葉と呼ばれた少女は羽鳥の顔をハッとして見上げる。そしてようやくぽつりと言葉を発した。


「羽鳥……さまですか?」

「うん。こんな所まで呼びつけてごめんね。手を引いた方が良いかな? ここは君が思っている以上に障害物が多い」


 そう言って羽鳥は慣れた様子で少女の手を取ろうとしたが、少女はビクリと体を強張らせる。その様子に気づいた羽鳥は何かを察したのか、木葉が持っていた杖を持ち、そっと引いた。


「こっちだよ」

「あ、ありがとうございます。申し訳ありません」


 羽鳥の行動に驚いたような木葉をよそに、羽鳥は微笑む。


「構わないさ。こちらこそこんな所に呼び出してしまって悪かったね」


 いつもの軽い口調の羽鳥に千尋は視線を栄に移すと、栄は同情するような顔をして木葉を見つめている。


「栄、それは彼女に失礼ですよ」

「あ、ああ、そうだな。だけどよぉ、お前」


 何か言いたげな栄に千尋はさらに声を落とした。


「それに、彼女が立派な間者だという事が分かったので一切の同情は無用です」

「は?」


 千尋は視線を鋭くして羽鳥を見ると、羽鳥もちらりとこちらを見て小さく頷いて見せる。


「羽鳥も気づいていますよ。後で話します」

「お、おお、そうしてくれ」


 それから千尋と栄は羽鳥たちの言葉を一言一句漏らさないよう、聞き耳を立てていた。

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