それから楽と二人で幼稚園にお迎えに行くと、あちこちから千隼と同じクラスの親が挨拶してくれる。そのついでにいつも子育てについて色々と意見交換するのだ。ここにはもちろん楽も混ざっている。
そして安心するのだ。どこの親も悩みは同じなのだな、と。
「もう本当に言う事を聞かないのよ。鈴さんの所はどう?」
「うちもです。最近は特に自我が強くなってきて、なかなか思い通りにはいかない事が増えてきましたよ」
「やっぱりそうよね!? はぁ……幼稚園が出来た時はそんな物と思ってたけれど、こうやって他の子の親と話せるのは良いわね!」
「はい! 私もそう思います!」
ここは子どもたちにとっても大切な場所だが、親にとっても大切な場だと最近は特によく思うようになった。それは他の子の親が悩みを聞いてくれたり、知恵を貸してくれたり共感してくれるからだ。そのおかげで子育てについてあまり思い悩む事はなくなったので、この場所は鈴の心を救ってくれた場所でもある。
鈴はよその母親とがっちり握手をして頷き合うと、子どもたちが出てくるのを待った。
幼稚園から飛び出してきた千隼は鈴を見つけるなりパァっと顔を輝かせて飛びついてくる。そんな千隼と鈴を見て最初は龍たちはギョッとしたような顔をしていたけれど、最近では千隼の真似をして親に飛びつく子が増え、そんな我が子を抱きしめる親が増えた。
「よ、千隼。夏樹は?」
「夏はね、お手洗いに行ってた!」
「あいつはまた……ギリギリまで遊んでたな」
呆れたようにそんな事を言う楽に思わず鈴は笑ってしまう。何だか楽のお父さんっぷりが嬉しくて仕方なかったのだ。
しばらくして夏樹がマイペースに幼稚園から出てきて楽に飛びついた。そんな夏樹を楽はしっかりと抱きとめる。
さぁ帰ろうかと思って振り返ったその時、目の端を水色の龍が横切った。それに気づいた鈴はすぐさま千隼の肩を叩いて空を指差す。
「ほら、パパだよ」
「ほんとだ! パパー!」
千隼が大声で叫ぶと、その場に居た全員がギョッとしたように空を見上げる。 千尋は千隼の声がしっかり聞こえたようで、空中で一回転して真っ直ぐにこちらへと下りてきた。
「お迎えですか?」
空から下りてくるなり人の姿になった千尋は目を細めて千隼の頭を撫でると、ついでだとばかりに何故か鈴の頭も撫でてくれる。
「はい。千尋さまは早かったのですね。もう少し遅くなるかと思っていました。あと、栄さんは?」
「栄は先に戻りましたよ。私はこれを買いに行ってたので」
そう言って千尋が持ち上げたのは味噌だ。それを見て回りがどよめく。
「ち、千尋さま、それは俺が持ちます」
「いえ、そんな重いものでもないので別に——」
「いいえ! 俺が持ちます! 持たせてください!」
「そうですか? ではお願いします。では千隼は私が抱きましょうか。ほら、千隼」
「うん! 肩車が良いー!」
「肩車ですか? 仕方ないですね。ちょっと待ってください」
千尋は手早く髪を束ねると、千隼を肩の上に乗せてもう片方の手を鈴に差し出してくる。鈴がその手を取ると千尋は嬉しそうに目を細めて歩き出した。
後ろから楽の「味噌じゃなくて千隼にしときゃ良かった……皆、ごめん」なんて声が聞こえてきたが、鈴はその声は聞こえなかった振りをして歩いた。
鈴にとっての幸せが、今この瞬間に詰まっていると思ったから。
♧
羽鳥が木葉と手紙の内容について話し終え世間話に話が移ると、千尋が静かに席を立った。それに続いて栄も慌てたように千尋の後を追う。
千尋は店から出る直前にちらりとこちらを振り返り、小さく頷いてそのまま店を出ていってしまった。
きっと千尋も気づいたのだろう。この少女はただここへ送り込まれた者だと言う事を。
これから羽鳥のすべき事はこの盲目の少女から少しでもあちらの情報を聞き出す事だけだ。
「そろそろ店を出ようか。ここの料理はあまり口には合わなかった?」
木葉は菓子や飲み物には一切の手をつけなかった。警戒心が強いのか、それとも他の理由があるのかと思って尋ねると、木葉は驚いたように顔を上げてじっと閉じたままの目で羽鳥を見つめてくる。
「私の……だったのですか?」
「え?」
「あ、いえ……申し訳、ありません」
拙い口調でそれだけ言うと、木葉はまた俯いてしまう。そんな木葉の前に羽鳥は菓子とお茶を置き、静かに言った。
「君のだよ。良かったら食べて。残すのは忍びないから」
その言葉に木葉は今度は息を呑んで小さく頷くと、ようやく目の前の菓子とお茶に食べ始める。
「……初めての味ばかりです」
「そうだろうね。前王は人の料理は一切食べなかったでしょう?」
「はい……多分」
木葉の返事に羽鳥は眉根を寄せた。
多分? それはどういう事だ? この少女は王の元に居たのではないのだろうか?