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第510話

 そんな疑問を飲み込んで木葉が最後まで食べ終えるのを待って店を出ると、近くにあった公園に立ち寄り少し離れてベンチに座った。


「本当は君にもっと聞きたい事は沢山あったんだけど、今日はもう時間切れかな」


 太陽はもうそろそろ沈みかけていて、辺りがオレンジ色に染まり始めている。羽鳥の言葉に木葉はふと顔を上げる。


「もうそんな時間なのですか?」

「うん」

「体感で言うと申の刻下がり頃でしょうか?」

「……そうだね。久しぶりにその時間の刻み方を聞いた気がするよ」


 都がすっかり大正時代に突入したことで、自然と時間の概念も呼び方も変わった。何だか既に懐かしい古風な呼び方に羽鳥が笑みを浮かべると、木葉は首を傾げた。


「今は違うんですか?」

「今はって、君は一体いつの時代からここに居るの?」


 羽鳥は木葉は最近こちらに連れて来られたのだろうと思っていた。


 何故なら木葉の姿はまだ少女のままだったからだ。龍化するには龍の力をその体に取り入れなければならない。だからそう思い込んでいたのだが。


「分かりません。もう大分長い間ここに居ます。私は龍への捧げ物だったので」

「……それじゃあ君には龍の番がいるのかな? それに捧げ物って一体誰に?」

「番なんて居ません。私は生まれた時から躾を受け、この生を龍に捧げられました」


 木葉の言葉に羽鳥はゴクリと息を呑んだ。そんな話は一切聞いていない。


 確かに木葉の容姿は整っている。盲目であってもそれが分かるぐらいにだ。だから捧げ物とやらに選ばれたとでも言うのだろうか。


 けれどそれは許される事ではない。羽鳥は出来るだけ穏やかに木葉に尋ねた。


「もしかして君の他にも前王の元には人間がいるのかな?」

「そうですね……いえ、居ました、が正しいです。今はもう私しか居ません」

「それは……亡くなったということ?」

「はい。そして私もそろそろ死ぬと思います」


 木葉はそう言って何故か清々しい顔をして微笑んだ。その顔がやけに羽鳥の脳裏に焼き付く。


「何故って、聞いても良い?」


 あまりにも清々しい木葉に違和感を覚えて羽鳥が問いかけると、木葉は微笑んで頷く。


「私が盲目になったのはそれほど前の事ではありません。この症状は私のように地上から捧げられた者達が辿った道なのです」

「辿った道? それはどういう意味だろう。皆が同じように盲目になったというの?」

「はい。盲目になり、やがて動けなくなります。そして苦しみ抜いて死ぬのです。それが私達、捧げ物の最後です」


 想像もしていなかった言葉に羽鳥は息をつまらせた。それでも木葉は声色一つ変えない。何だかそれが返って空恐ろしかった。諦めているとも違う、まるでその時を待ち望んでいるような姿に羽鳥は久しぶりに背中に冷たいものが流れ落ちるのを感じる。


「君はそれで良いの」


 恐怖の原因が知りたくて思わず口を開くと、木葉は一瞬顔を強張らせる。


「それが良いのです。早くこの地を去ってしまいたいのです。生きている事が苦痛なのです。苦しいのです」

「……」


 その言葉に羽鳥の胸が抉られる。この娘は龍を恨んでなど居ない。これは恨みではない。絶望だ。


「きっと羽鳥さまは手紙の相手が私ではないという事をもうご存知でしょう。お察しの通り、私の後ろには前王がいらっしゃいます。私は今日、あなたにこの薬を飲ませるようにと言われてここへ来ました」


 そう言って木葉は懐から小さな瓶を取り出した。そこには色は見えないが何かドロリとした液体が入っている。


「毒薬の方かな?」

「これの中身を知っているのですか?」

「知っているよ。原初の水だね」

「はい。正しくは、憎しみを覚えた龍の血です」

「憎しみを覚えた?」

「人々の恨みや憎しみを記憶した龍の血だと、私を世話してくれた方が教えてくれました」

「……どうして君はそれを教えてくれるの? 僕を殺せと命じられてここに来たんでしょう?」


 羽鳥の言葉に木葉は少しだけ考えてコクリと頷いた。


「都へ来てから私を気遣ってくれたのはあなたが二人目だったから。それに、あなたは人間の血を引いてるんですよね?」

「うん。お祖母様がね、人間だったんだよ」


 思わず本音がポロリと零れ落ちた。不意に祖母の顔が蘇りまた胸を締め付けられる。


 その時、それまで絶対に羽鳥に触れようとしなかった木葉がそっと手を伸ばして羽鳥の頬に触れ、唇に触れ、目元に触れて微笑む。


「ああ、あなたはお祖母さんが大好きなのですね、今も」

「っ」


 羽鳥は千尋以上に感情が分からないと言われ続けてきた。それはずっと本心や本音は隠してきたからだ。それでも何故か木葉には顔を触るだけで悟られてしまった。

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