木葉はそれだけ言って立ち上がると杖を持ってどこへともなく歩き出す。そんな木葉に羽鳥はすぐさま声をかけた。
「待って! 僕を殺さなければ君はどうなるの?」
「どうにも。私はもう戻りません。あの方たちもそれを分かっています。私がもう長くない事も、あなたを殺せない事も」
「だったらどうして——」
君をここへ送りこんだのだ! そう尋ねるよりも先に木葉が振り返って夕日にも負けない輝くような笑みを浮かべる。
「あの方達は私のような存在を、人間など容易く壊すことが出来るのだという事をあなたに教えたかった。人間の血を引くあなたに。ただ、それだけ」
「……」
それを聞いて羽鳥は黙り込んだ。どうやら初は本当に目覚めているようだ。そして羽鳥が高官になった事を今もまだ恨んでいるのだろう。そして木葉のような存在がバレてしまっても構わないぐらい、あちらの準備は整っているらしい。
感情がぐちゃぐちゃになり、怒鳴りたい衝動に駆られたけれどそんな自分を羽鳥は拳を握りしめて堪えた。
「君はこれからどこへ行くの? あても無いんでしょう?」
「はい。でもいつもそうでしたから。生まれた時から私の前に道は無かったのです。だから死に場所ぐらいは自分で見つけます。さようなら、羽鳥さま。最後にお会いしたのがあなたで良かった」
そう言って木葉は深々と頭を下げておぼつかない足取りで杖を操り、羽鳥の前から歩き去っていく。
その背中には悲しみも憂いもなく、ただ喜びだけが浮かんでいた。
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羽鳥があの少女を匿っているという情報を千尋の元に持ってきたのは、まさかの本人だった。
「一体どういう事です?」
「それは僕が知りたい……」
「どういう事です?」
珍しく自信の無さそうな羽鳥に思わず千尋が問いかけると、羽鳥は大きなため息を落としてぽつりぽつりと話し出した。
「……それはつまり、あの少女に同情してしまったと、そういう事ですか?」
「……そうだと思う?」
「ええ。むしろそうでなければあなたはそんな事しないでしょう?」
「そうなんだよね。僕はどちらかと言うと君みたいに淡白なんだ。でも——理屈じゃない」
それを聞いて千尋は深く頷いた。その感情には千尋も覚えがある。鈴が可哀想な娘だと思い、守ってやらなければならないと勝手に思い込んだのだ。
けれど実際には鈴の方が千尋よりもはるかに精神的には優れている。
千尋は深い溜息を落として項垂れる羽鳥を覗き込んだ。
「それで、どうするのです? あの少女はあなたの屋敷に置いてきたのですか?」
「いや、流石にそれは危険かなと思って、事情を話して息吹に任せてきた」
「なるほど。全く、まさかこんな所であなたがそんな事になるとは思ってもいませんでしたよ」
「僕も思って無かったよ。誰かに同情するなんて生まれて初めてだ」
そう言って羽鳥は珍しく髪をかき乱す。何だかそんな羽鳥がとても珍しいが、初達のそばにずっと居たような者を安易に信用する訳にもいかない。
「とりあえずあなたは保護という名目で木葉さんから色々聞き出してください。それから、捧げ物達がどうして死に至るような事になるのかも詳しく聞いておいてくださいね」
「やっぱり聞かないといけないよね?」
「当然でしょう? まさかあなた、律儀に彼女が話すまで待つつもりだったのですか? 何なら私が聞きましょうか?」
千尋の言葉に羽鳥が弾かれたように顔を上げて激しく首を振る。
「ではお願いしますね。どうしても無理なら私が聞きます」
いつもの淡々とした口調で告げると、羽鳥は渋々頷いた。千尋にも分かっているのだ。そんな人生を歩まなければならなかった少女にこれ以上辛い思いはさせるべきではないという事は。
けれどそれは木葉が完全にあちらと切れているという事が分かったらの話だ。
今はまだ木葉が嘘をついていないという確証も無ければ、こちらの味方になりうるという確証も無い。
「君は本当に鈴さん以外の人には淡白だね。そういう所は尊敬するよ」
「それはあなたも同じでしょう? 木葉さんにだけいつものように振る舞えないのであれば」
だから余計に危ういと思うのだ。あの羽鳥がいつもの調子を発揮出来ないとなれば、最悪千尋がどうにかするしかない。
「まぁでも一度話してみてよ。彼女と」
「そうですね。では明日、ここへ連れて来てください」
千尋はそれだけ言って羽鳥に早く戻るよう伝えた。羽鳥は始終深刻な顔をしていた。