羽鳥の言葉に千尋は怪訝な顔をしているし、雅は笑い転げ木葉はさらに縮こまる。
「ですが千尋さまになっていたらきっと市井の方達の暮らしは飛躍的に良くなっていたと思います! だって千尋さまは大嫌いな種族を千年もの間見守ってくれていたような人なのですから!」
「鈴さん、あなただけですよ、私の事をそんな風に言ってくれるのは」
「当然です! 私はいつまでも千尋さまの味方です!」
胸を張った鈴を見て途端に千尋が笑み崩れた。そんな千尋を見て羽鳥がしみじみと言う。
「そういう意味ではね、皆が君の存在に感謝してるんだよ、鈴さん」
「感謝ですか?」
「うん、感謝。だって君に出会ってからの千尋は多少は相手の力量について考えるようになったからね。それまでは全てを自分の物差しで測るような人だったからさ」
「今は違うのですか?」
「全然違う。ちゃんと猶予を与えたりしてる。そこがもう凄く進歩した。それは多分全部君のおかげなんだよ、鈴さん」
「そうですね。以前の私はそもそも他者に興味が無かったので、その人となりを見ることさえしなかったのですよ。けれど鈴さんはその人を尊重しようとする。そうして初めて見えてくる事もあるのだと、私に教えてくれました」
「ほらね。こんな当たり前の事すら知らなかったんだよ、この人。そんな人が王になんてなったら大変だと思わない?」
羽鳥の言葉に流石の鈴もう~んと頭を悩ませた。確かに最初の頃の千尋は優しかったけれど冷たかった。笑顔の奥に潜んだ闇が怖いと思った事も何度もあった。
けれど側に居るうちに少しずつそのさらに奥にある千尋の正しさや優しさ、そして孤独を知ったのだ。
「でもそれは皆も千尋さまを知らなかっただけです。最強の水龍だと言って本当の千尋さまがどんな人かを知らなかったからそうなってしまっただけ。千尋さまは皆さんの望む通りの水龍で居ようとしてくれていただけですよ」
何せ本当の自分は龍神になど向いていなかったのだと未だに嘆くような人だ。責任感が強くて全ての人を守れなかった事を悔いるような人なのだ。
鈴は千尋の手の甲に手の平を重ねた。その手はいつものように少しひんやりしていて心地よい。
ふと千尋を見上げると、千尋は穏やかに微笑んで鈴を見下ろしていた。その笑顔はあまりにも神々しい。
「そうなのかもしれないね。今の千尋を見ているとそう思うよ」
羽鳥もそう思ったのか、ふわりと微笑んでお茶を飲む。
そんな中、木葉の杖を持つ手が小刻みに震えていた。泣いているのかと思い木葉の顔を見ると、木葉は何かを堪えるような顔をしている。
「私は羽鳥さまから手紙を受け取った者ではありません。羽鳥さまの手紙に返信をしていたのは琴音さまです。そしてここへ私を送りこんだのも琴音さまです。琴音さまは私に羽鳥さまと鈴さんに接触し、殺せと命じました。そうしたら私は必ず水龍に殺され、楽になることが出来るから、と。ですが……そんな事がどうして出来るのでしょう? 水龍と鈴さんの関係を目の当たりにしたら、そんな事を言えるはずもないのです」
「やはり鈴さんも標的に入っていたのですね」
「……はい。何を見ても芝居だと言われました。離宮にも水龍の話は届いていましたが、彼女たちは今もそれを信じていません。ですが私には、私達盲人には分かるのです。目では見えない隠すことの出来ない空気が私達には見えるのです」
そう言って木葉は視線を伏せた。木葉が従順に従ったように見せかけたのは、琴音達の言いなりになる為ではなく、噂が本当かどうかを自分で見たかったからなのだろう。目が見える者には見えない何かを見る為に。
「木葉さん、教えてくれてありがとうございます。離宮には他に誰か居るのですか?」
「いいえ。捧げ物は私が最後です。使用人も今はもう居ません。あの水によってついこの間、最後の使用人も大気に還りました」
「それを僕達は信じて良いのかな?」
羽鳥の言葉に木葉は困ったように微笑んだ。
信頼を得るというのがとても難しい事は鈴もよく知っている。佐伯家に居た時に何をしても無駄だった事を思えば、きっと木葉もどう証明すべきか分からないのではないだろうか。
「それはあなた達にお任せします。私はたった今役目を終えました。暗殺は失敗し、どこかで野垂れ死ぬ。琴音さまが描いた私の最後は、どのみち私の死です。であれば、最後ぐらいは私の思い描いた通りの死を迎えさせていただきます」
そう言って木葉はゆっくりと立ち上がった。その手を羽鳥が咄嗟に掴む。