「アシュタルテ公爵、《逆の転移陣》 の式を頼む」
「ふっ…… 知らぬな。その頭は飾りか? 少しは己で考えてみよ」
「は!? 教えてくれるって言っただろ!?」
「我は、たしかに 《転移陣》 を教えるとは言ったぞ? 《転移陣》 は、だがな?」
アシュタルテ公爵は、つややかな黒髪をかきあげ、言い放った。
「だが 《逆の転移陣》 まで教えるとは! ひ と こ と も ! 言っておらぬのだ」
「いやいやいや…… どうみても、途中まで教えてくれる気、満々だったじゃん」
{そうですよ、アシュタルテ公爵さま!}
「…………」
イリスが俺に味方してくれるが、アシュタルテ公爵は無言でぷい、と横を向いた。
まったく。
気まぐれすぎる公爵さまには、困るよな……
「せっかく 《定点錬成》 の特殊スキルで時短になる、と思ったのにな」
「ふっ…… だからだよ」
アシュタルテ公爵が鞭をびしっ、と床に叩きつける。
「そんなに早く 《ヒツジさんの着ぐるみ》 を脱がれてしまっては……! なんのために、我がじきじき教えてやろうとしているか、わからぬではないか!」
「いや、ォロティア義勇軍からイリスの本物の心核を取り戻して、義勇軍を解体させるためだったんじゃ……?」
「ふっ…… しかしその目的は、転移術を無理に駆使せずとも、果たせよう? 効率悪く徒歩でチマチマ行くがよい」
「イリス…… きみの上司、もしかして最悪か?」
{違うのです! アシュタルテさまは、単にもふもふが、大好きすぎるだけなのです!}
イリスが、いい部下すぎる。
アシュタルテ公爵が咳払いして 「この我が、もふもふ好きだと!?」 とか言ってるが…… 説得力はゼロだな。
「ともかく…… 教えてほしくば、せめてあと3日 《ヒツジさんの着ぐるみ》 の姿でいることを約束せよ」
「もういい…… 《逆の転移陣》 は、俺が自分で考えることにするよ」
とたんに、アシュタルテ公爵が 「やめるのだ……!」 と悲鳴をあげる。
「たった3日だぞ? なぜ、待てぬ!?」
「いや、優先順位的にだが?」
イリスの心核の確保 > ォロティア義勇軍解体 >> アシュタルテ公爵のもふもふ趣味 ―― 誰が考えても、そうだよな?
それに、アシュタルテ公爵のおかげで 《逆の転移陣》 については、だいたいわかっている。
つまりは 《転移陣》 とは反対の要素を ―― 光を吸い込む
それぞれに、組み合わせればいいだけだ。
―― よし。始めよう。
「《定点錬成》 座標 ―― タグラ・リニオ
―― 転移を試す場所は、ラタ共和国の旧ドブラ議員邸がいいだろう。
かつて、あの広大な屋敷は使用人と警備用
ドブラ議員の失脚に伴い国が接収したあとは、封鎖されたまま放置されているのが現状だと、ソフィア公女から聞いている。
あそこなら俺もイメージしやすいし、巻き込み事故なんかも起こしにくいよな。誰も、いないだろうから。
「《転移陣》 展開 ―― 中心に
「やめるのだ、リンタロー。せめて、あと1日……」
{アシュタルテ公爵さま! 邪魔しなかったら、あとで、わたしが 《ヒツジさんの着ぐるみ》 姿でサービスしてあげるのです!}
「まことか、◎△$§>∞?」
{もちろんなのです!}
イリス、助かるが、勝手な約束を……
ヒツジの着ぐるみ姿で、いったいどんなサービスをアシュタルテ公爵にするんだ?
めちゃくちゃ、気にな…… ってる場合じゃないから!
―― だめだ。集中しなきゃな。
「…… 第4縁、
《定点錬成》 で遠隔地の座標上に張った転移陣は当然ながら、目で見て確かめることができない。
失敗しなかった感触はあるものの、実際はどうかわからないのが…… 不安だな。
だが、恐れてばかりでは、ヒツジさんの着ぐるみは一生脱げないままだ……!
「よし、じゃあちょっと、転移してくるか」
俺は 《転移陣》 の中央に立った。
「《転移》 開始 ――」
瞬間。
まばゆい光が、俺を包みこむ。
痛みはない…… むしろ、全身がほぐされ、自由になっていくような感覚。
俺はなにものでもなく。
また同時に、すべてのものが俺だった。
とてつもない、解放感と満足感 ――
けれどきっと、この感覚は、一瞬後にはすっかり消え失せ、記憶のなかに欠片も残っていないだろう……
―― のちほど、イリスが教えてくれたところによると。
《転移陣》 での転移は……
俺が光る霧のようなものに変わり、はてしない闇に吸い込まれていく ――
そんなふうに、見えるのだそうだ。
∂º°º。∂º°º。∂º°º。
【ソフィア公女・ベルヴィル元首 視点】
「えっ? まさか」
白い石でできた壁と床に、ハスキーな女性の声が反響する。
かつて、スライムへの凄惨な実験が行われていた研究室 ――
転がる壊れたゲージをつまさきで蹴り、いまやラタ共和国の元首となったベルヴィルは、その鋭いグレーの瞳をめいっぱい開き隣の少女を振り返った。
「ォロティア義友軍がヤパーニョ皇国に食い込んでるかも、なんて…… 嘘でしょ、ソフィア?」
「いえ、本当ですわ」
少女―― ソフィアは、青い瞳をまっすぐ、友人であるベルヴィル元首に向けた。
「リンタローが言うのですから。でなければ、わざわざ忙しいベルヴィルの時間を、とってもらおうとは、思いませんことよ」
「リンタローに確認しなくては…… 彼はいま、どこに?」
「わたくしに連絡をくれたときは、デジマでしたわ。足止めされている理由が、この程度しか思い付かない、と」
「デジマか…… 足止めされてるうちはいいけど、ヤパーニョの鎖国結界のなかに入られると、やっかいね」
「そのとおりですわね……」
ベルヴィルとソフィアのためいきが重なった。
ヤパーニョ皇国を古来から覆う、鎖国結界 ―― 外部から侵入できないのはもちろんのこと、いったん結界内に入ってしまうと外部との連絡も遮断されてしまうのだ。
「いちど、リンタローと直接、話せると良いのだけれど……」
「それが、リンタローが申しますには、イリスさんの心核がォロティア義勇軍に盗られたので、なにを置いても取り戻すのが先、と」
「ああ、それはダメね。困ったわ」
「ええ。リンタローは、イリスさんのこととなると、見境ないところがありますものね。困りますわ」
「なんとか、ならないかしら」
「さあ…… もし、このままデジマに足止めされているのでしたら、わたくしの
ソフィアがなにか言いかけた、そのとき。
ふたりの間の床が、急に光った。
「なにかしら!?」 「さあ? わたくしも、存じあげませんわ!」
驚くベルヴィルとソフィアの目の前で、床の光はますます強くなる。
光のなかで、白い床には魔族の紋章が順次、刻まれていく ――
「錬成陣…… でしょうか」
ソフィアの声が震える。
「いいえ」
ベルヴィルはきっぱりと首を横に振った。
「これは、転移陣よ。昔…… うちにもあったの。もう、消させたけれどね」
「もしかして、ォロティア義勇軍に、この会合を察知されましたの……?」
「いえ、どちらかといえば…… 私の反対派かもよ?」
転移陣はすでに完成し、虹の七色に輝いている。
カチャ……
ベルヴィルは、タイトなスカートの下に隠したホルスターからピストルを引き抜いた。
転移陣の中央、輝きのより強い場所を狙い…… 撃つ!
ダーンッ
銃声が響き、目もくらむようだった光が、弱まった。
同時に、光の中から怪しげな影が現れる……
二足歩行のヒツジのヌイグルミだ。
「ええっ、ちょま! 撃たないで!」
ヒツジのヌイグルミは、慌てふためいて両手を合わせ、拝む姿勢になった。
「「え……??」」
ベルヴィルとソフィアもまた、慌てたように目をこすり……
同時に叫ぶ。
「「リンタロー!! どうして、ここに!?!?」」
「いや、それはこっちのセリフ。なんで、ふたりとも、ここに…… うわわわっ!」
ベルヴィルが彼とともに過ごした時間は、さほど多くない ――
それでも彼は、ベルヴィルにとって恩人であり、戦友だった。
少女のころから両親に虐待されて育ったため誰も信用できず、周囲のほとんどを敵とみなすしかできなかった彼女に、リンタローは、世の中には当たり前の善意や信頼といったものもあることを、教えてくれたのだ。
そんな彼が、なぜかヒツジの着ぐるみをまとった可愛らしい姿で現れたら……
駆け寄り、抱きしめたくなるのは、不可抗力というものである。
「
リンタロー 《ヒツジさんの着ぐるみの姿》 に、うっとりとほおずりをしつつ同意を求めてくる友人に ――
「ええ。このような偶然、想像もしませんでしたわ」
ソフィア公女は複雑な表情で、うなずいたのだった。