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5、遅刻

 家に帰ると、いつにも増して疲労感がどっと溢れ出し、僕はそのままベッドに突っ伏してしまった。彼女のことを何も考えないように必死になって、心を無にしようと努めた。しかし、大抵そういう時に限って無心になれないもので、何時間経っても、2年ぶりに再会した彼女のことが頭から離れなかった。


「ああ、もう!」


 煮え切らない自分の心にむしゃくしゃする。

 ベッドからがばっと起き上がると、何か気を紛らわすものはないかと、テレビをつけた。


 ゴールデンタイム前のテレビはローカルな旅番組やグルメ番組ぐらいしかやっていなくて、そのことになぜかイライラが募り、乱暴にリモコンを放り投げた。完全に八つ当たりだ。そんなことは分かっている。しかし、おさまらない激情が、波のように心をさらってゆく。


「続いてのニュースです。

今日午前2時28分、東京発大阪行きの夜行バスが巻き込まれた落石事故によって、運転手、乗客16名が死亡しました。軽傷者も8名出ており、当局では死亡した乗客の身元の確認を急いでいます。また、乗客のうち意識不明の重体である——」


 リモコンを放り投げたことで切り変わったニュースの画面を、僕はプツリと消した。今の鬱々とした気分で暗い事故のニュースなんて聞きたくない。


 それにしても、夜行バスの事故か。自分の身にも起こりうる事故の知らせに、僕はちょっと身震いした。バスで帰省する時は充分気を付けよう。


 それから僕は冷蔵庫にあったなけなしの食材で晩ご飯を作り、時間がある時に時々見ているバラエティー番組を見ながら夕食をとった。食事をしてテレビを見ていると、次第に彼女のことも考えなくなって、夜眠るころには今日の出来事について意識をしなくても済むくらいになった。



 翌朝、目を覚まして最初に思ったのは、今日の予定はなんだったかということだ。


 今日は何限からだっけ……?

 いや、この間やっとテストが終わったから今は夏休みじゃないか!

 ということは、家でのんびり本でも読みながらグウタラできるな、うん。


 そう思い至って再びしばらく寝ていよう、と考えたが。


「って、今日バイトじゃないか!」


 重大なことを思い出し、ベッドから這い上がって急いで出掛ける準備をした。ただ今午前9時50分。バイトは午前10時から。

ああ、絶対間に合わない……。



 バイト先のカフェは僕が到着した時、平日の午前ということもあって、街中にもかかわらずそれほど混んではいなかった。

 少しほっとしながらも、急いで更衣室に行って着替えを済ませた。バイトの同僚たちは皆優しいので、僕の遅刻を軽く笑い飛ばす程度でそれほど怒られずに済んだ。


「おはようございます……」


 同僚に怒られないからと言って、遅刻したことに罪悪感を感じずにはいられなかったので、僕は精一杯申し訳なさそうにシフトインする。


「おう水瀬、遅刻だな」


「本当にすみません」


「まあいいけどさ、次は気をつけろよ」


「はい……」


 こんなふうに注意されるのが普通だったのだが、中には違う反応をした人もいた。


「なんだ水瀬、昨日何かあったのか」


 半分からかう気持ちでそう言ってきたのは、僕と一緒にカフェバイトを始めた友人の後藤彬ごとうあきらだ。彼とは大学も一緒で、京都に来てから一番親しくさせてもらっていた。


「まあ、そんなところ」


 まだほんの1年の付き合いだが、彼は既に僕のことをよく理解してくれており、嘘をついてもばれてしまうので、僕は正直に頷いた。


「そうかそうか。今日バイト終わったら飲み行かね?」


「ああ。僕も、そうしてくれると助かるよ」


 気の利く後藤は、僕が話を聞いてほしいということを察してくれたのだろう。我ながら良き友人を持ったものだ。

 彼は僕の返事を聞くと、満足そうに歯を見せて笑った。


「さ、そうと決まれば早く仕事に取りかかれ」


「はい」


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