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文化祭の準備は、思ったより順調に進んだ。
僕には実行委員など務まらないと思っていたが、それも杞憂だったようだ。
「水瀬君、メニュー表作ったから確認お願い」
「分かった。衣装班の方はどんな感じ?」
「もうほとんど作ったから、あと3日もあれば終わりそうだよ」
「そっか、お疲れ様。あと少し頑張って」
雪の舞祭1週間前の2年A組は、委員である僕が指示を出さなくてもいいぐらい、クラスメイトたちが自主的に動いてくれていた。
それもこれも、
「みんな、早く準備終えて水瀬を楽にしてやろうぜ」
と爽やかに言ってくれるクラスの人気者、三宅君のおかげだった。
そんなクラスの様子を見た担任の二階堂先生は、
「な、だから大丈夫って言っただろう」とでも言いたげな様子で僕に目配せした。
けれど、いくら事が順調にいっているとしても、既に先生から成績UPという名の賄賂を受け取ってしまった僕は、中途半端に仕事を投げ出すわけにはいかない。
「三宅君、飾り付け、僕も手伝うよ」
放課後の実行委員会の集まりまで30分程時間があったので、飾り付け班の班長である彼に何かできることはないか訊いた。
「おお、サンキュー。じゃあ一緒に看板作ってくれるか?」
「分かった、やるよ」
僕は、彼が簡単に描いてくれた原案をもとに、看板製作に加わる。
班長に渡された板に、下絵を描いて絵の具で色を付けていく。お客さんを呼ぶためのものだから、美しく作らなければならない。看板製作はなかなか神経の使う作業で、僕は汗を垂らしながら作業に励んだ。
「それにしても水瀬、最近何か変わったな」
「え、そう?」
「ああ。前より明るくなった。何か良いことでもあったのか?」
“良いこと”という彼の言葉に、彼女のことを思い浮かべてしまった僕は、咄嗟にその想像上の彼女を振り払う。なんで、こんなに単純なんだ僕の脳内は……。
「なるほどな」
動揺を隠しきれない僕の様子を見た彼は何かを悟ったのか、非常に楽しそうに一人で勝手に納得して頷いていた。勘のいい奴め。
「まああれだ。俺は今の水瀬、生き生きしててカッコいいと思うぜ。だから自信持て」
まるで僕の心中を見透かしたような彼の言葉に、不覚にも勇気づけられてしまった僕は、素直に「ありがとう」とだけ言って、委員会に向かった。
その日の委員会にも、当たり前のように彼女は出席していた。
先日の帰り道、彼女の弱みを知ってしまった僕は、内心次会う時はどんな顔をすればいいかと緊張していたが、彼女は僕を見ていつものように「やっほー」と小さく挨拶してくれたので安心した。
いつも通りの彼女に、僕もほっと一息つき、いつものように実行委員会が始まった。
「A組は準備上手くいってる?」
委員会が終わって彼女にそう訊かれたので、僕は「そこそこね」と笑って答えた。
「D組は?」
「うん、私のクラスもなかなか順調だよ。大丈夫大丈夫」
彼女は何度も頷きながら「大丈夫」と呟いた。
だから僕はこの時、本当に彼女のクラスが——いや、彼女自身が何事もなく、普段の生活を送れているんだと普通に思っていた。
後から考えると、彼女の眼の下には大きなクマがあったし、「大丈夫」という励ましの言葉も、まるで自分に言い聞かせているようだった。
でも、少なくともその時の僕には彼女の異変に気づけなくて。
「残り一週間だから委員会のあとも教室で作業しなくちゃいけないんだ。申し訳ないけど、しばらく一緒に帰れない」
と、彼女にお詫びを伝えるだけだった。
「うん、私も今から作業あるし、また委員会でね」
彼女の方も、この時はいつも別れる時と同じように手を振ってその場をあとにした。