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7、側にいよう

「そういえば、昨日お母さんとちゃんと話せた?」


 彼女が今日学校に来ていたことからすると、恐らく無事に話し合うことはできたのだろうが、夏音の口からきちんと話を聞きたかった。

 夏音は僕の質問にすぐには答えてくれなかった。彼女の中で、母親との一件は長年の家族のわだかまりを解消するための特別な出来事に違いない。僕が背中を押してからも、母親と話をするのには相当な勇気がいっただろう。


 やがて隣を歩く彼女がすうっと息を吸う音が聞こえた。


「友一、ちょっとお腹すかない?」


「え?」


 予想していたものとは随分違う言葉が返ってきたため、僕は一瞬戸惑ったが、彼女なりに思うところがあるのだろう。僕も「そういえば」と思い出したようにお腹をさすった。実際、文化祭の仕事が忙しくて今日一日まともな食事がとれていかったことに気がつく。そうすると不思議なことに、一気にお腹の減りを実感して、僕の腹の虫が盛大に鳴いた。


「ふふっ、身体は正直なものね。ちょっと何か食べて帰らない?」


「うん、そうしよう」


 僕たちは丁度通りがかりの場所にあったファミレスに足を踏み入れることにした。


 チリーン


 扉を開けると来客を知らせるための軽快な音が鳴り、ウェイトレスの人が出迎えてくれた。


「いらっしゃいませ、2名様ですね。こちらへどうぞ」


 席に案内されながらざっと店内を見渡すと、さすがは文化祭終わりの食事時とでも言うべきだろうか、僕たちの通う六花高校の生徒がチラホラ座っていた。

 僕は、「どうか知り合いに会いませんように」と心の中で祈りながら所定の席まで歩いた。


「何頼む?」


 席に着くやいなや、夏音はメニュー表を広げてご飯を選び出す。どうやらよっぽどお腹がすいていたらしい。僕も人のことは言えないので、彼女に負けず劣らず、割とボリュームのあるものを選んだ。結局、彼女は王道のミートソーススパゲティ、僕はハンバーグ定食を頼むことに。

 店員さんに注文し終えると、僕は彼女に思いきってさっきの話の続きを振った。


「それで、さっき訊いたことなんだけど……」


 夏音にとって、決して楽しい話ではないと分かっていた。だから、ゆっくりでいい。彼女の心が許す限り、母親とどんなふうに話をしたのか知りたかった。

 僕の心配をよそに、彼女は意外にも「あ、そのことね」と軽く頷いて話し始めた。


「お母さんとはとりあえず、ちょっとずつやり直していこうってことになりました」


「そっか。それはとても安心したよ」


 彼女の言葉を聞いて、僕はふうと安堵する。もし家族との関係が余計にもつれていたら、彼女をどう慰めようかと思案しているところだった。


「うん、たくさん心配かけてごめんなさい。昨日あの後、家に帰ったらお母さん、玄関のところに座ってた。多分私が帰るのをずっと待ってたんだと思う。それから遅くに帰ってきた私を見て、何度も何度も謝ってた。私、てっきり怒られるかぶたれるかのどっちかだと思ってたから、拍子抜けっていうか……ちょっと怖くなった。さっきはあんなに私のこと殴ったり物を投げつけてきたりしたのに、今度は狂ったように『ごめんねごめんね』って謝るんだもの。同じだったの、お父さんと。私の本当のお父さんも、初めてお母さんに暴力を振るった時はすごく謝ってたの。でも、それがだんだんエスカレートして、自分でも収拾がつけられなくなったんだと思う。最終的には私とお母さんを置いてどこかに行ってしまったわ。だからもしかしたら、お母さんもお父さんみたいに、いずれ私を捨ててしまうんじゃないかって思って怖くなった。だから私言ったの。『お母さんと距離を置きたい』って。そうしたらお母さんも、寂しそうに納得してくれた。『そうね、それが良いわね。ごめんね……』って謝りながら」


「そんなことがあったのか。辛かったよな」


 夏音が昨日のお母さんとの出来事をひと通り話し終えたところで、注文していた料理が運ばれてくる。でも、すぐには食事に手を伸ばす気持ちにもなれず、夏音の気が済むまで話の続きを聞くことにした。


「私、多分自分が思っている以上に怖いんだと思う……。自分の大事な人が、突然目の前からいなくなっちゃうこと。だから、昨日もお母さんに自分から『距離を置きたい』なんて言っちゃって。お父さんみたいに、お母さんも私の前からいなくなるかもしれないから、これ以上お母さんのこと『どっか行ってほしい』って強く思わなくて済むように遠ざけようって。……ふふ、今の私ってかなり弱ってるかも」


「そんなの、弱いとは言わないだろ」


 僕は目の前で、視線を落として下唇をぎゅっと噛んでいた彼女を見ると、少しでも「助けになりたい」という気持ちにさせられた。


「そうかな」


「ああ。夏音は夏音なりに、前に進んでると思う。だってちゃんと昨日家に帰っただろう? もしかしたらあのまま家の外でずっと縮こまってたかもしれないのに。だから、ちゃんと進んでるよ」


 途中で自分が何を言いたいのか分からなくなりながらも、必死で言葉を紡いだ。ただ彼女を励ましたいという気持ちしかなかった。

 すると、彼女の表情も先程より柔らいで、「ありがとう」と結んでいた唇を緩めて言った。


「さ、早く食べないと、せっかくのご飯が冷めちゃうよ」


「それもそうね。いただきます」


 くるくると上手にパスタをフォークに巻き付けて、パスタを口に運ぶ彼女。きっと今日のこの外食も、母親との「距離を置く」時間なのだろう。

 僕はそのことに気づきながら、まるで何でもない1日の出来事として、この先も彼女と彼女の母親との関係が少しでも上手くいくようにと祈りながら、黙って側にいようと思った。



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