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10、レッテル

「だって夏音は……中学では虐められていて、あたし以外に仲の良い友達なんていないはずだもの」



「え……」


 沢田さんと飲み始めて一時間半が過ぎようとしていた。僕たちが店にやって来た時よりもいっそうお客さんが増えて、店内が混み出す時間帯だ。


「ごめん沢田さん。今、何て……?」


 ガシャガシャと食器がぶつかる音や、酔って大声を出す客の声がうるさい。

 僕たちは今、彼女に関するとても重要な話をしているというのに。


「なあ、そこの店員のお姉さん、さっき頼んだ串はまだかぁ?」


 うるさい。


「申し訳ございませんっ。只今店内が大変混み合っておりまして。すぐにお持ちします」


「さっさと頼むよ」


 くだらないクレームを恥じらいもなく口に出す彼らが、僕を必要以上にいらだたせる。落ち着け、今はそれどころじゃないんだ。


「水瀬君、大丈夫?」


 僕があまりにも思い詰めたように表情を硬くしていたらしく、沢田さんが心配そうに僕の顔を覗き込んできた。


「あ、ああ。ごめん」


 僕は一つのことを考え始めると、そればかりに意識がいってしまう自分が情けなくなった。


「夏音が中学の時の虐められてたって話、詳しく聞かせてもらってもいいかな」


「え、ええ」


 沢田さんは、どこか落ち着かない様子でポツリ、ポツリと彼女の中学時代の話を聞かせてくれた。


「バイト中にも言ったけど、夏音は“生まれつき”暗記が得意で、陰で人知れず努力するような子だったの」


「うん、それはよく分かってる」


「そうだよね。だから、水瀬君なら想像つくと思うけど、夏音は中学でも成績が良くて、いつも学年一位をとってた」


 沢田さんの語る彼女は、高校生の時に出会った彼女とまるで同じで、僕は少し安堵した。僕はもしかしたら、まだどこかに僕の知らない彼女がいることが怖いのかもしれない。


「それでさ……中学生だったらよくあるじゃん。“何でもできちゃう子”って、何故か分からないけれど、周りから距離を置かれちゃうのよね。もちろん、そういうタイプじゃない人もいるよ。例えば、クラスの中心人物で、いつもクラスの空気をつくってる人。そういう“クラスの人気者くん”なら、もし仮にその人がとても成績優秀でスポーツ万能でも、皆遠ざからないと思うの」


 “クラスの人気者くん”のところで、高校時代に仲の良かった三宅創のことを思い出した。彼は勉強が得意ではなかったが、もし彼があのままの性格で、成績も優秀だったとしたら、どうだろう。それでもきっと、彼があのクラスの中心だったのには変わりないと思う。


「でも夏音は……夏音は、そういうタイプの人間じゃなかった。水瀬君なら分かるよね」


「ああ」


 僕の知ってる彼女は、彼女のことをよく知らない人から見れば容姿端麗で成績優秀。

 でも、本当の彼女は、心の内側に、“痛み”を抱えている人間だった。


「最初は夏音も、クラスの皆から“すごいね”って言われて、勉強を教えてほしいって頼まれたり、休み時間に仲良くお喋りしたりする友達もちゃんといたのよ。あたしもその一人だった」


 相変わらず、店内は酔っぱらった男女の声が響いていて騒がしい。でも、僕は沢田さんとの話に集中していて、先程よりは周囲の音が遠く感じられた。


「最初はね、夏音も友達に勉強教えたり、話したりするのすごく楽しそうにしてたの。でも、だんだん夏音が教えてくれる勉強方法についていけなくなる子が増えたのよ。だってさ、夏音がいくら努力してるから成績優秀だったとしても、やっぱり才能っていうのもあったと思うの。夏音は1やれば10吸収しちゃうような子だった。それに比べて、他のたち―あたしたちは、凡人も凡人。それに、まだ中学生じゃない? 高校生ならまだしも、中学生でそこまで熱心に夏音から勉強を教わろうとする人もいなかった」


「それは、そうかもしれないな」


「でしょ。あたしだってそうだったもん。それからかな、夏音がクラスメイトから距離置かれるようになったの。大人の世界からしたら、とてもくだらない。本当にくだらないわ。だって夏音は、何一つ悪いことしなんかいないんだもの。だけど」


「子供の世界は違ったってことだね」


「そう。悲しいけど、それが事実。夏音は“何でもできちゃう子”っていうレッテルを貼られて、敬遠された。おまけに可愛いから、女子の中には夏音のことをよく思わない子がたくさんいたのよ。本当、くだらないと思う」


 そこまで話して、沢田さんはテーブルの上のビールを一気にゴクゴクと飲み干した。僕も同じようにビールを飲もうとしたれど、既にジョッキの中には一滴も残っていないこと気が付く。いつの間にこんなに飲んでしまったのだろう。


「それ以降は、夏音の友達と呼べる友達はあたし一人だったわ。省かれる以外に、色々酷いこと言われることもあったけど、夏音はいつも、ただ静かに笑ってるだけだった」


 沢田さんは、悲しそうに目を伏せてそう言った。

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