分からない。
彼女の口から出てきたのは、予想外の答えだった。
僕は、相変わらず何かに怯えたような目をして僕のことを見ている彼女が、嘘を言っているようには思えなかった。
「分からないって、どういうこと」
「友一……私、どうして
「え……?」
正直僕は、混乱していた。
本当は夏音がどんなに不可解なことを言っても、全力で理解しようという心積もりでいた。けれど彼女は、僕が思っている以上に、僕に語るべき答えを自分の中に持ち合わせていないようなのだ。そのことは目の前で泣きそうな表情を浮かべている彼女を見れば、容易に理解できる。
それなのに、僕は口を開くことを止められない。前に進みたいと気持ちが「これ以上夏音を追い詰めたくない」という心とは裏腹に身体を支配する。それは僕の肺も、気道も、口も、すべてを支配した。
「ごめん、ちょっと意味が分からないよ。夏音は、自分の意思で京都に来たんだろう?」
「たぶん……そう」
チッ、チッ、と時計の針が一秒一秒の時を刻む音が、いつもよりうるさい。
「多分って、なんでそんなに曖昧なんだ?」
僕は、無意識につい口調を強めてしまう。
「それが……覚えて、ないの」
彼女が、声を震わせながら答えにならない答えを吐き出す。
「覚えてないってどういうこと? きみは普通に何か目的があって京都に遊びに来たんだよね」
チッ……チッ……
止まらない。
「別に、夏休み中暇だから遊びに来た、でもいいと思うんだ」
チッ……チッ……
止まらない。
「だから、友達に会いに来たなんて言わなくてもさ、なんなら僕を探しに来たでもいいから、何かあるだろう?」
いつの間にか、僕は彼女に言い訳を与えるのに必死になっている。彼女がそれを望んでいないことなんて、重々承知だった。それなのに、彼女のことを理解したいという気持ちと、理解できないという気持ちがせめぎ合って、僕をおかしな方向へと走らせた。
「だからっ本当に、分からないんだって!!」
ついに彼女が声を荒げて叫んだ。その瞬間、今までだんだんと遠ざかっていった時計の針の音がプツリと聞こえなくなった。同時に、一つの感情に支配されていた僕の身体がふっと金縛りの解けたみたいに帰ってきた気がした。
僕は、決して彼女を追い詰めたいわけじゃなかった。それなのに、どうして自分を止められなかったんだろう。
「私、自分がなんで京都にいるのか、自分でも分からないのっ」
彼女の表情が、一瞬にして苦痛に歪んだ。それから急に右手で頭を押さえて、「うぅっ」と苦しそうな声を上げる。
「あたま、痛い……」
「だ、大丈夫か」
僕は慌てて崩れ落ちそうな彼女の身体を支えて、それから彼女を抱きすくめながら横に寝かせた。
夏音は昔からよく、他人から敵意を向けられたり、強く責められたりすると、きまって体調が悪くなっていた。彼女がそんなふうになってしまった原因は様々だ。それは、家族との関係であったり、学校での友人関係であったり、それからきっと、"あのこと"も。
僕は彼女が、対人関係においてストレスを抱えやすい性質なのを知っていた。もっと言えば、僕がその性質をより強めてしまったのだ。
高校時代のこの僕が——。
「私……ほんとなの、分からないのよ、ほんとうに。分からない……」
僕の腕の中で、彼女が苦し紛れにそう漏らすのが聞こえた。頭痛が止まらないのだろう、眉間にしわを寄せて必死に痛みをこらえている。小さな子供みたいに「分からない」を繰り返す。胸にじわりと広がる罪悪感の水たまり。
「ごめん。夏音のこと、責めるつもりじゃなかったんだ」
このままでは結局、彼女がどうしてここにいるのか全く分からない。でも、今目の前で苦しんでいる彼女に、これ以上何か聞くのが得策とは到底思えなかった。
その日、彼女は頭痛に苛まれながら、気が付くと眠りに落ちていった。僕は、そんな彼女の眼尻に浮かぶ涙を拭いながら、心の中で何度も何度も謝るしかなかった。