夏音と三宅君のデートの一件以降、僕は多分、夏音に対してかなり疑心暗鬼になっていた。大学生になった今の自分が当時を振り返ると、なぜあそこまで頑なに彼らが“デキている”と信じ込んでいたのか分からない。ただ、その時の僕は夏音に対してだけでなく、三宅君に対しても疑いの目を向けてしまったため、彼の言葉に耳を傾けようともしなくなった。
僕と夏音、それから三宅君の話は三年生の間で噂になった。それもそのはず、夏音は学年で一番の秀才美人で、三宅君も周りの生徒から人望の厚い人物だったから。
「ねえ聞いた? 天羽さんと三宅君の話」
「聞いた聞いた。びっくりだよね。天羽さんは水瀬君だっけ? と付き合ってるんでしょう」
「そうそう、確か一年以上前から」
「てか、ぶっちゃけ三宅君との方がお似合いだよね」
廊下を歩いていると、身勝手な噂が飛び交っていた。僕は耳を塞ぎたい衝動に駆られたけれど、そんなことはできなくて、慌ててて噂する生徒のそばから走り去った。
三宅君は三宅君で、噂が広まり始めた当初こそ、何度も僕を呼び止めて「天羽さんとは何もない」と冤罪を主張してきたが、その度僕が「じゃあ何で一緒にいたの?」と訊くと、彼は夏音と同じように「それは」と言葉を詰まらせていた。
そんな彼の反応を見ると、無性に腹が立ってきて、「夏音と同じなんだな」と嫌味のように吐き捨ててしまった。
それからというもの、三宅君は僕を見つける度に、何か言いたげな顔をしていたが、いつも何かをぐっと堪えている様子でそれ以上は僕に何も言わなくなった。
「人の噂も七十五日」とはよく言うもので、一か月もすると、受験を控えた三年生の間で僕たち三人の噂をする人はほとんどいなくなった。
一か月間、僕は夏音と口を交わさなかった。
そして、僕たちが交際を始めて一年半が経とうとしてた頃、僕は夏音に別れを告げたのだ。
***
「え、それですぐに別れちゃったの?」
「……ああ」
ドリンクの仕込みをひと通り終え、僕の話に熱心に耳を傾けていた沢田さんが、驚きの声を上げた。
「どうして? もっとちゃんとお互い話し合えば良かったのに」
「そうだな……多分あの時の僕が、とても子供だったんだ」
「ま、まあ高校生だものね。でも、夏音もどうして三宅君とのことを弁解しなかったんだろう?」
「それはきっと夏音が、僕のことを信じられなくなってしまったからだと思ってる」
「あー……」
沢田さんは、「夏音ならそうなっても仕方がない」という感じで納得していた。
確かに、彼女のそれまでの経験を振り返ると、たった一度の出来事で僕を信じられなくなってしまったということも容易に想像できた。
だから夏音は、僕が「別れよう」と言ったあの時、ただ黙って悲しそうに眉根をぎゅっと寄せるだけで、1秒だって僕に縋ることはしなかった。
本当は彼女が、僕を信じたいけど信じられない、そんな葛藤と闘っていたことを、僕はその時知らなかった。
「それで結局、夏音が水瀬君の友達とデートしてた理由を、水瀬君は分からないままなの?」
すっかりバイト中であることを忘れて話に夢中になっている沢田さんが、素朴な疑問を僕にぶつける。
そう。
あの時の僕が目を反らしていたことは、夏音と三宅君の間で実際何があったかということだ。
高校三年生の当時は、夏音と三宅君のどちらの口からも本当のことを聞かされなかった。二人とも、僕が詳細を聞こうとしても「言えない」と黙秘するのを貫いたからだ。そんな二人の様子から、僕は二人が僕に言えないような関係なのだとすっかり信じ込んでいた。
だからこそ、夏音の手をあんなに簡単に離してしまった。
けれどそれも、今では間違いだったとはっきりと分かっている。
「実は、去年の夏休みに、三宅君に会って話を聞いたんだ」
【 第三章 異変 終】