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第125話 チュートリアル:間者

 ハナブサ アリス。


 それが今回の護衛対象であった。


 細身で華奢。板についたスーツ姿のほかに、隠し切れない、いや、隠さない強者の空気を纏う女だった。


 人類の敵とまで言われた存在たちを前にしながらも、この場にいる誰もより冷静沈着。鋭い視線が君主たちを睨んでいる。


 対話が始まって五分、十分。またはそれ以上か。


 人は慣れる生き物である。高級な食事を食べ続ければ飽く様に慣れ、職場環境が変わっても時間と共に慣れる。それはこの和平の対話も例外ではなく、本題に入る前のジャブ程度の会話に誰かが飽き、欠伸し、目じりに涙する。


 そのはずだった。


「……」ゴクリ


 誰かが唾液を飲んだ。


「――いつまで他愛のない会話を続けるつもり?」


 淡々と会話を続ける花房 有栖。国連の末席に居るとの情報だが、それ抜きにしても、彼女の纏う眼前にある針の様な空気が飽くことの無い緊張感を攻略者たちに感じさせた。


「事を急くのはお前ら人類の悪い癖だぞ~。もっと余裕を持つべきだって。なぁ宰相」


「エルドラド様、単に貴方がおしゃべりが好きなだけかと……」


「ほらな! この白いのもこう言ってるだろ?」


 肯定の言葉では無い故まったく話を効かない傍若無人ぶり。敵の手中に居る事すら感じない素振り。


 エルドラドはこの場で台風の渦であった。


 そしてその台風をものともしない態度の有栖。一切の感情を捨てたように表情は変わらない。


 人類の行く末を左右するこの渦中。二人の男が内心突っかかりを覚えていた。


 そのワードは――ハナブサ。


 特に珍しい名前ではない。しかし、どうしても一人の男が脳裏に過る。


「そういえばさぁ――」


 そして、それが名前の通り、花が咲く様に回答を得られる。


「あんたの息子さん、惜しかったねぇ~!」


「……」


「俺らもトーナメント見ててさ、いやぁ面白かったよぉ。確か名前はぁ――花房 はじめくんだったかな?」


「――」


 銅像の様に動かなかった有栖の表情が一瞬にして暗がりに満ち、目に殺意が芽生える。


 そして同時に優星、西田のモヤモヤに合点がいくが、迸る有栖の殺気で冷や汗をかく。


「お! やっと仏頂面から表情が変化したな。そんなに殺気を振り撒いてちゃおちおち話もできない。なぁ? ティアーウロング」


「……」


 ケラケラと笑うエルドラドとは対照的に、深く被ったフードでティアーウロングの表情は窺えない。


「ゴールドルーラーエルドラド。貴方たちは私を挑発するためだけに来たのかしら……。この和平協定は貴方たちルーラーズからの要望……。それを反故にしてもいいと国連は考えているのよ。あまり調子に乗るのは良くないわ」


 少し怒り気味な口調でそう説明した有栖。しかし、エルドラドは口をつぐむどころか有栖の態度に便乗。


「なぁにが反故だよ。あんた達国連は二度も世界を壊された流れ者だ。所詮は俺たちもあんたらもこの世界に来ただけの異国人……。いや、異世界人。次こそあいつ等に報いを負わせたい。ならば俺たちの協力は勝利への一つ弓だ」


「……口が巧いのね。それは貴方たちも――」


 二人の会話がエスカレートしていく。お互いの利点、抱える背景、綱引きの様な駆け引き。


 だが優星、西田含む攻略者には、護衛対象の有栖と君主のエルドラドの話にまるでついて行けない。


 


 二人の間に飛び交うファンタジーなワード。理解しようにもまるで全貌が見えない話。ただ明確に分かるのは、この場は和平交渉・和平協定・お互いに手を取り合おうとする場という事。


 そして、謎だらけの国連の闇が、その氷山の一角が露わになったという事だ。


「――まぁ色々言ったが、有栖くんも三世か四世だ。国連も上手く取り入った結果、あんたも間違いなくこの世界の人間ってこった」


「あまりプライバシーに関わる事を言うのは関心しないわよ。……で? 例の物はもって来たのかしら」


 激しい口論にも似た交渉だったが、謎を残しつつもようやく収まり話が進む。


「……宰相」


「では……」


 白鎧姿のヴァッサルがゆっくりと、しかし確実な歩みで有栖に近づく。警戒する攻略者たち。

 手を取り合えるところまで何事も無く宰相が着くと、手のひらサイズの白い空間を出現させ、中から何かを握りこんだ。


「和平交渉による国連が提示した一つ、我らの血液です」


 そう言って手渡したビー玉サイズのガラス。幾つものビー玉があるが、中に赤色から青色、緑色と何種類かに液体が入っていた。


「……数が少ないわね」


「それですべてです。我々の中には血液を持たない君主ルーラー家臣ヴァッサルが居るので。ご了承ください」


 血液を持たないルーラーとヴァッサル。


 そんな生物が居るのかと誰もが思った。


「……ところで、さっきからフードの奥で私を見る幻霊の血はあるのよね?」


「ある訳ないだろぉ。こいつつい最近仲間になったからな。色々と忙しかったし、説明してるひま無いんだわ。今日は新人君の顔出しってことでよろしく~」


「幻霊の血も欲しいわ。それとも彼か彼女には血液が無いのかしら」


「おいおい吸血鬼か何かか? 血を何に使うか知らんが少しはこっちの事情を察して譲歩してくれ。そんなに血が欲しいなら自分の血でも吸ってろ~ンク」


 やれやれと首を振るエルドラド。黄金の杯をあおり気分よく液体を飲む。


「……仕方ないわね。譲歩するけど、何かしらの交渉材料として幻霊の血を要求するわね」


「抜け目ねぇなぁ」


「褒め言葉として受け取っておく。……では、交渉妥結として、エルドラドと宰相の戸籍を用意し、国連のバックアップを最大限受けれる待遇を――」


 交渉妥結。


 その旨を伝えていた瞬間、小さな小さな極小の光が一瞬輝いた。


 君主。家臣。黒服。攻略者。その誰もが気づかない小さな光は真っ直ぐ幻霊君主ファントムルーラーへと迫る。


「――」


 しかし彼の異常に発達した動体視力が光を捕らえた。


 だが光に気付いたのは彼だけではない。


 ッピ――


 黄龍仙の肩に隠れていた雀が飛ぶ。


 ――間に合わない。


「――――」


 彼は見た。


 彼女が一瞬にして雀から人型に変化したのを。


 彼は見た。


 光の粒が彼女の額に消えたのを。


 彼は見た。


 刹那に、不規則に膨れ上がった頭部が破裂したのを。


 どちゃりと気色の悪い音が響き渡る。


 ――死体。


 あってはならない和平交渉の場であってしまった光景。


 誰もがその死体に目線を向けていたが、意に還さず、彼は崩れ去る彼女を追う事もせず真っ直ぐとこれを作り出した相手を見た。


「――ッチ」


 仕留め損ねたと短く舌打ちしたアジア出身の男。


 倒れたと同時に聞いた声。


 彼の手には見た事も無い銃のような装置が握られていた。


 全員がその男に注目する中、見覚えのある兵器に彼女は葛藤していた。


(――間者が潜り込んでいたッ!? じゃま虫ども等めッ!!)


「――」


 ここでいの一番い動いたのは彼女。ポニーテールを揺らしながら護衛対象の有栖の側に一瞬で移動。警戒に眼を光らせる。


 それと同時にゆらりと動く影が一つ。


「全員動くッ――」


 有栖の檄が途中で終わる。


 音も無く、もともとそこに居たかのように、間者の眼前に幻霊君主が移動していたからだ。


 そして間者は見た。


 フードの奥に、怪しく光る殺意に満ちた眼光を。


 殺意を充てられ一気に発汗する間者。


 幻霊の黒い腕が間者に触れようとした。


「「待て!!」」


 有栖。エルドラド。和平交渉の代表者両名が幻霊君主に怒鳴った。


 ――瞬間。


 黄色い雷が放たれた。


 真っ直ぐ幻霊君主に向かう雷。


 それは幻霊に当たるどころか文字通りすり抜け、間者の男に直撃した。


 バタリと背後から倒れる男。


「――え」


 攻撃を、否。感電し捕縛するための技。


 ロシア人の彼女が間の抜けた声を発した。


「――うわああああああああああ!!」


「攻撃したぞ!!」


「やはりルーラーか!!」


「護衛対象を守れ!!」


 人が死んだ。


 何が起こったか分からない大多数の攻略者たちが混乱。


 既に幾つもの中距離攻撃が幻霊に向けられている。

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