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第68話 その期待の新星、本当に不戦敗なんですか?

 ――氷柱融解盤戯アイシクルメルティング本戦第一会場


 明日の決勝で使用される会場ほどではないが、収容人口三百人を超える王立マルトニア学園でも屈指の大講堂である。


 今から本戦第一回戦第一試合、ウェルシェ・グロラッハ対マリステラ・マクレーンによる注目の一戦が開始されようとしていた。


 マリステラは三年生の本競技優勝候補の一人として知られている。彼女は一年生の時に本戦出場を果たし、昨年は二年生ながらベスト4入っている強者だ。


 対してウェルシェはもともと注目選手ではない。ところが、予選で危なげなく勝ち進んだ。しかも、予選決勝では昨年ベスト4に入ったマリステラの好敵手ライバルミレーネ・ミズリーと対峙し、周囲の予想を覆して勝利を収めた。今やこの大会一番のダークホースである。


 むろん一年生で本戦出場は珍しくない。だが、ミレーネを始め強者だらけと評判だった予選ブロックを、難なく勝ち抜いたウェルシェは周囲に強烈な印象を与えた。


 有力な優勝候補マリステラ・マクレーンと突然現れた期待の新星ウェルシェ。この対戦は本戦第一試合の中で最もホットな話題となっている。


 だから当然の帰結として、この試合を見ようと人が押し寄せた。もはや席が足りず、最後方では立ち見の観客でごった返している。


 誰もが試合の開始を今か今かと待ち望み、その熱気が凄まじい。準備された氷柱が溶けるのではないかと思えるほどである。


 ところが……


「どうして試合が始まらないの?」

「とっくに開始時間は過ぎてるわよね?」


 なぜか時間になっても競技者が入場してこない。


「いつまで待たせるんだ!」

「早く開始しろ!」

「後ろは人ゴミで暑くて堪らねぇんだ!」


 観客が多く押し合いへし合いしている後方は、立ち見で待たされているのだ。たまったものではない。


「どうしたのかしら?」

「何かトラブルか?」


 後方から起きた騒めきは、次第に前方へもさざ波の如く伝わっていく。観客席全体がざわざわと落ち着きが無くなっていった。


「おい、マリステラ嬢は既に到着しているんだぞ!」

「ウェルシェ嬢はいったいどこにいるんだ?」

「迎えは送ったんだろうな?」

「ちゃんとノーランに行かせてますって!」


 前の方でも実行委員が集まり。何やら慌てている様子だ。


「だったらなんで来ない!?」

「知りませんよ」

「連絡の不備でもあったのか?」

「ノーランの野郎、どっかで油売ってんじゃないだろうな?」


 エーリックは最前列に作られた特設の貴賓席にいた。だから、実行委員達の右往左往あわてっぷりが嫌でも目に入る。いち早くウェルシェが会場に来ていないと知って、エーリックはソワソワし始めた。


「ウェルシェがまだ来ていないようだね」

「そのようですな」

「何かあったのかな……心配だ」

「今、セルランに確認させております」


 ここでエーリックが動いても事態は好転しない。まずは情報を収集するのが肝要だとエーリック自身も理解はしている。


「耐えるしかないのはもどかしいものだね」

「心中お察しいたします」


 エーリックは静かに焦燥を募らせたが、観客からヤジが飛び焦った実行委員達の間で怒声が飛び交い始めている。


「遅刻なのですからウェルシェ嬢の判定負けでよいのでは?」

「バカ、相手はグロラッハ侯爵家のご令嬢だぞ!」

「伝統ある剣魔祭に家格は関係ないでしょう!」

「だが、案内人ノーランも戻ってこないんだぞ!」

「判定負けにして実行委員側の不備でしたってなったらどう言い訳するんだ!」


 もはや収拾がつかない。


「誰か別の者に確認させてこい!」

「既に行かせています……って、帰ってきた!」


 言い争いが激化する中、ガラッと扉が開いて一人の実行委員の腕章を付けた男子生徒が息を切らせて転がるように入ってきた。


「おい! ウェルシェ嬢はどうした?」

「ゼェ、ハァ……そ、それが……ゼェ、控え、ハァ、ハァ……いな、ゼェ、ゼェ……」

「何を言っているか分からんぞ! 落ち着ついて深呼吸して息を整えろ」


 講堂に転がり込んできた委員は言われた通り深呼吸して落ち着かせた。


「それで、ウェルシェ嬢はどこに?」

「は、はい、それなんですが、彼女はどこにもいませんでした!」

「いない?」


 その場の実行委員達が一様に顔を顰めた。


 試合を放棄したのか、集合時間を間違えたのか、会場を間違えたのか……色々と想定していたが、どうにも雲行きが怪しい。


「案内に送ったノーランが一緒にいたはずだが?」

「それが、彼の姿も無くおかしいと思って周囲を捜索したら、近くの空き教室で血を流して縄で拘束されていたんです!」

「「「なんだとッ!!」」」


 委員全員が真っ青になった。


 高位貴族の令嬢の姿が見当たらず、迎えに行った者が尋常でない手段で自由を奪われていたとなると明らかに事件性が高い。


「それでノーランの容態は?」

「命に別状はないようです。教師陣が駆けつけてくれて保健室へ運ばれていきました」


 最悪の事態は避けられたようで実行委員達もホッと胸を撫で下ろした。だが、問題はまだ何も解決してはいない。


「ですがノーランは何があったか聞き出せる状態ではなく、ウェルシェ嬢は目下行方不明なのです」

「なんてこった……」

「こんな事は前代未聞だぞ!?」

「どうするよ?」


 規定に従い時間に間に合わなかったウェルシェを失格にするのは簡単だ。だが、どうにも彼女の過失ではなさそうである。規制とてこんな事件が起きるなど想定して作られてはいないのだ。


 加えてウェルシェはこの国の大家グロラッハ侯爵家の一人娘である。彼女に過失が無いのに失格とは何事かと、侯爵に後で睨まれては堪らない。


 しかも、ウェルシェ自身も学園内で絶大な人気を誇る令嬢で、この対戦においても皆の期待が大きい。誰もが楽しみにしている対戦を判定で失格にして水を差すような真似をすれば暴動でも起きかねない。


 この責任問題に発展しそうな出来事に実行委員達はどうしてよいか判断がつかない。煮え切らない実行委員達のせいで状況が分からず観客の不安と不満が膨れ上がり会場の喧騒は大きくなった。


 そんな混沌とした中、エーリックがすくっと静かに立ち上がった。


「エ、エル様!?」


 スレインは慌てて止めようとした。だが、エーリックは黙って手で彼を制して壇上へと歩む。


 エーリックの静かな背は大きくはないのに、スレインは圧倒されて息を飲んだ。それと同時にエーリックの王威に打たれたと知って、黙って見送るスレインの顔に微笑が浮かんだ。


 彼にとって主君の成長した姿が嬉しくもあったから。

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