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第73話 その腹黒妖精、プッツンしたんですか!?

「――ッ!?」


 予想外の事態にウェルシェは息を飲んだ。


 ケヴィンが手にする物の正体に気づき、ウェルシェは大きな目がさらに見開いた。その美しい翠緑すいりょくの瞳が恐怖に怯えの色に染まる。


「ウェルシェェェエ! 美しい君を私のモノに……永遠に私だけのモノにィィィッッ!」


 ケヴィンが短刀を振りかぶった。


 その瞬間、自分と無理心中を企てているのだと、ケヴィンの意図を悟った。それに思い至って、やっと思考回路が回り始める。


 反撃する? 防御する? それとも逃げる?


 だが、咄嗟の判断がつかない。いつものウェルシェなら即座に決断を下し行動に移していただろう。


 だが、ウェルシェは動かなかった。

 否、動こうにも動けなかったのだ。


 どんなに練習でウェルシェが優秀であっても実戦は違う。

 恐怖心は人間の思考と行動力を大きく減じるものなのだ。

 彼女はカミラに指摘された事を今ごろになって実感した。


「私もすぐに後でく! 死んで天国で添い遂げよう!」


 身動きできないウェルシェに喜悦の叫びを上げケヴィンが短刀を振り下ろす。自分に迫る切っ先がウェルシェにはやけに遅く感じた。


 しかし、ウェルシェの身体は意思に反してまったく反応してくれず、彼女はスローモーションのように見える短刀を呆然と見つめていた。


 あっ、ダメだこれ――そう、ウェルシェが死を覚悟した時……


「ウェルシェッ!!」


 ケヴィンとウェルシェの間に金色の影が飛び込んできた。


「ぐわッ!」


 エーリックが盾となってウェルシェを庇ったのだ。


 ビチャッと何かの液がウェルシェの頬を濡らす。ウェルシェが頬に手を当てれば、手に付着したのは赤い液体。


「えっ? えっ? 血?」


 それの正体に気がつき、ウェルシェは呆然とする。その目の前でエーリックが斬られた肩口を押さえてひざまずいた。


「こ、これ、エーリック様……の?」


 ケヴィンの凶行からウェルシェを守るため、エーリックが傷を負ったのだ。そう理解したウェルシェの脳が再起動した。


「いやぁぁぁぁぁあ! エーリック様! エーリック様ぁぁぁ!」


 ウェルシェの悲鳴ともつかない叫び声――


「邪魔をするなァァァ! どけェェェェ!」


 ぎょろりとした目を血走らせケヴィンが唾液を撒き散らしながら叫ぶ声が被る。


 ――ドカッ!


「うぐっ!」


 ケヴィンに思いっきり蹴り飛ばされ、エーリックは痛みに呻きながら倒れた。


「エーリック様!」


 倒れ込むエーリックを支えようと、ウェルシェは彼を抱き合うように受け止めた。しかし、支えきれず、二人でずるずると床に膝をつく。


 もたれかかるエーリックから流れ落ちる血が、ウェルシェの制服に染みを広げていく。


「うっ、くっ……ウェ、ウェルシェ、無事?」

「わ、私は大丈夫です」

「よか……」


 最後まで言えずエーリックの身体から力が抜け、その重さにウェルシェは支え切れず彼は床にゆっくりずり落ちた。


「いや、いや……エーリック様……エーリック様!」


 イヤイヤするように首を振るウェルシェの翠緑の瞳から涙が溢れる。


「くっくっくっ……さあ、邪魔者はいなくなったよ」


 不気味な笑みを浮かべケヴィンはウェルシェに両手を広げた。


「さあ、そんなゴミは放って私の胸に飛び込んでおいで」

「ふざけんな……」


 ウェルシェはキッとケヴィンを睨みつけるように見上げた。


「な、何を言って……」

「ふざけんな、ふざけんな!」


 涙で濡れた翠緑の瞳に強い怒りと憎悪の光が宿り、ウェルシェの激しい負の感情に当てられケヴィンはたじろいだ。


「だって、これで永遠に私達は一緒に……」

「誰がお前とッ!」


 ふらりと立ち上がったウェルシェから膨大な魔力が溢れ出す。


「ウェルシェ嬢!」

「ウェルシェ様!」

「姫さん!」


 やっと我に返ったレーキ、スレイン、セルランが駆け寄ろうとした。しかし、ウェルシェとエーリックを中心に激しい魔力が激流となっていて近づくことができない。


 それは間近で魔力をぶつけられているケヴィンも同じ。両腕を前に掲げて魔力の奔流から身を守っているが、強風に煽られて前に進めない。


「わ、私はただウェルシェ、君と添い遂げたくて……」

「私が添い遂げるのはあんたじゃないッ!」


 猫被りも淑女の仮面も、ウェルシェの本心を覆い隠す全ての擬態が吹き飛んでいた。これほど感情を露わにするウェルシェは珍しい。


 ウェルシェはキレたのだ。


「私が添い遂げるのはエーリック様よ! エーリック様ただ一人!」


 それは、ウェルシェ本人さえ気づいていない奥底に眠る感情の発露。


 愛する者を傷つけられたウェルシェの激情が可視化するはずのない魔力を赤く染めた。


 それは穢れなき白銀の髪や穏やかな翠緑の瞳まで赤く染め上げ、まるでウェルシェが身体全体で己の怒りを体現しているかのよう……


「ヒィッ!!」


 思わずケヴィンは情け無い悲鳴を上げた。

 それほど今のウェルシェは恐ろしかった。


「よくもエーリック様にッ!!」


 ケヴィンへ向けて突き出したウェルシェの手から赤い魔力の塊が迸る。


 もはや、それは魔術ではない。

 純粋な魔力による暴力だった。


 そして、それはウェルシェの想いそのもの……


 禍々しい赤で染め上がった巨大な魔力に襲われ、ケヴィンは咄嗟に両腕で身を庇った。


「ぐわァァァッ!!」


 しかし、その両腕はあらぬ方向へひしゃげ、ケヴィンは後方の教室内へと盛大に吹っ飛んだ。


「ぐべッ!」


 そのまま壁に激突したケヴィンは床へ落ちると起き上がってくる事はなかった。

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