「エーリック様! エーリック様!」
ウェルシェは床に膝を突き、エーリックの頭を抱きかかえて泣き叫ぶ。もはや、ボロ雑巾の如く床に倒れているケヴィンなど、ウェルシェの眼中になかった。
「お願い目を開けて!」
ただ、愛しい婚約者の身だけが心配だったのだ。
「大丈夫です。服の上からでしたので、傷は見た目より浅いです」
「えっ?」
気がつけばウェルシェが生み出していた魔力の暴風は消え去っており、スレインとレーキがウェルシェの両脇からエーリックを覗き込む。
「どうやら、エル様は痛みで気を失っただけのようです」
「動脈を外れていますから死ぬ事はないでしょう」
エーリックの容態を確認してウェルシェを宥めた。
「とは言え出血してますので、止血はしておいた方がいいでしょう」
「えっ、あっ、は、はい」
レーキの指摘に、取り乱していたウェルシェは慌ててエーリックを膝枕で寝かせ、傷口に右手を添えて呪文の詠唱を始める。
「癒しを与える魔力の根源たる慈愛の女神……」
先ほどの赤い魔力の禍々しさとは異なり、ウェルシェの右手に集まる魔力はとても優しい。
「うっ……ん……」
エーリックが小さな呻き声を漏らすが、傷口から溢れる血液は止まった。
「ケヴィンの野郎は再起不能ですが、死んじゃいないようですよ」
ケヴィンの状態を確認しに行ったセルランの報告に、ウェルシェはほんの少しホッとした。どんなに憎い相手であっても、激情に任せて命を奪うのは気持ちの良いものではない。
そんなウェルシェの気持ちをセルランは察していたのだろう。
「まあ、ほっときゃ死んじまうから、俺は人を呼んでくっかなぁ」
そして、彼は気のつく男。
「なんで、
余計な一言も忘れず、その場を去った。
「そうですね。私も仲間達の所へ行ってきます」
セルランの言葉の意味を理解し損ねて、、ウェルシェはキョトンとした。だが、側で聞いていた機転の利くレーキはすぐに悟った。
「治癒師もおりますので呼んできましょう」
立ち上がったレーキはメガネのブリッジを中指でクイッと直す。
「ご安心ください。
「あっ!?」
背中を見せレーキはヒラヒラ手を振って講堂の方へ引き返して行く。その言葉にやっとウェルシェは、暴走中に自分がなんと口走ったかを思い出した。
「ああ! これは私めとした事が気がつかず」
その時、一番察しの悪いスレインがポンッと手を打ったのは完全な追い討ちだった。
「不埒者が他にいないか周囲を見回ってきますので、
演技力皆無のスレインがわざとらしく去って行く。スレインは演技が下手なだけなのだが、そのわざとらしさがウェルシェには堪えた。
「わ、わ、私……なんて恥ずかしい事を!」
側近達のあまりの羞恥プレイに、ウェルシェの顔がボンッと音と立てそうなくらい一気に茹で蛸状態になった。頭のてっぺんから煙が出そうだ。
「ううう〜、これじゃ私がエーリック様にゾッコンみたいじゃない!」
膝枕しているエーリックの顔にチラッとウェルシェは下目を送る。
柔らかい癖のある金色の髪、閉じた目には長いまつ毛。鼻筋の通った整った
チラ見のつもりが、いつの間にやらウェルシェはがっつり観察していた。
先ほどの自分の大胆発言も
「違うから……違うんだからね!」
誰もいない廊下で
「これはあれよ! そう、吊り橋効果……みたいな?」
誰にでもない、ウェルシェは自分自身に言い訳をしているのだ。
「ちょっと錯覚したのよ、
それは、認めたくなかったから。
「だから、決して惚れたとか、好きになったとか、愛してるとかじゃないんだから!」
自分の中にあるエーリックへの想いを……
だけど、エーリックの顔を見つめると胸の鼓動は否が応でも高鳴るのだ。
(好き、好き、好き……)
その単語がウェルシェの胸の中で渦巻き抑えられない。
顔が好き、声も好き、真面目で努力家で、いつも一所懸命なところも好き。
ちょっとスケベで、間が抜けていて、それでも誠実であろうとする彼が好き。
自分の身を顧みずウェルシェを凶刃から守って傷を負ったエーリックが大好き。
「うぅぅぅ〜、ああ、もう! もう! もう!」
どうしたってごまかせない。
「恋愛は惚れたら負けって仰ったお母様が正しかったみたい」
ウェルシェはどうやっても自分の感情をコントロールできないと諦めた。
「はぁ……」
だからウェルシェはもう認めないわけにはいかない。
「エーリック様……」
愛しい婚約者の顔をもう一度覗き込む。
「確かに恋に落ちたら負けみたい」
そう言いながらもウェルシェの顔には優しい微笑みが浮かんでいた。
「でも、不思議……ぜんぜん悔しくないのよね」
むしろ、心はとても温かいもので満たされてる。
「エーリック様……私……」
膝の上のエーリックに覆いかぶさったウェルシェは彼の額に唇を落とす。
「私――」
そして、想いを寄せる婚約者の耳元でウェルシェはそっと囁いた。
――『あなたのお嫁さんになりたいです!』
『第壱部 その婚約、本当に必要ですか?』完
『第弐部 そのザマぁ、本当に必要ですか?』へ続く