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閑話ネーヴェの雪② そして歴史は繰り返される

 暗い石室を昼間の如く照らし出した光が徐々に弱まっていく。やがて、光の柱が小さくなって完全に収まると、中の人影がその全容が明らかになった。


 その影は女だった。

 その女は白かった。


 その髪もその肌も、まるで降り積もったばかりの新雪のように真っ白。前合わせの異国の衣服も白で統一されて、左胸を飾る薔薇もまた白。


 白で染め上げられた彼女はまるで白雪の如く溶けて消えそうなほど、とても儚げで美しかった。


 美人教師と言われているアキである。それなりに自分の容姿に自信はある(少しばかりとうが立っているが)。


 だが、彼女の前では全てが霞む。


 この場の誰もが幻想的な光景に息を飲み、ただただ呆然と魅入ってしまった。


(これはイーリヤ・ニルゲ嬢やウェルシェ・グロラッハ嬢に匹敵するな)


 一人アキだけは教壇であの二人と邂逅していた経験のお陰か、何とかかろうじて思考だけは回った。


(あの二人もまるで造り物のように現実離れしていたが……)


 だが、どんなに芸術的な美貌でも二人には生気があった。何よりも若く躍動的な生命力が身体の内から溢れていた。


(この女性はまるで生きている感じがしない)


 全てが白というのもあるが、身体全体から冷気を発しているようだ。目も空虚で光を失いまるで抜け殻ではないか。


 微動だにしない美女——これでは造り物ではなく、造形物そのものである。


「何だ……彫刻——ッか!?」


 その時、突然その精気を感じさせない瞳がギョロリと動きアキ達を捉えた。


「う、動いた!?」

「い、生きてますよ、コレ!」

「オーロジー先生! 彼女はまさか!?」

「雪薔薇の……女王か?」


 アキ以下、助手AからCまで目を剥いた。


「外見から見て間違いない……雪薔薇の女王ネーヴェだ」


 助手達はごくりと唾を飲み込む。


「生きていたのか……」


 騒然とするアキ達を一瞥したネーヴェはすぐに興味を失ったのか、次に地べたで唖然と見上げているRCブラザーズに視線を移し、それからもまた視線を外して周囲をくるりと見回す。


「ここは……どこじゃ?」


 ネーヴェの口から漏れ出た声は天上の調べ。


 ——ゆらり……


「風?……」


 壁に掲げられた松明の火が揺れる。RCブラザーズが掘った坑道から生暖かい風が流れてきたようだ。


「暖かい……」


 夏の暑い空気がネーヴェの頬に触れる。極寒の牢獄に閉じ込められていた彼女の冷え切った身体に熱い風が心地良い。


「ここは外の世界かの?」


 ネーヴェは精巧な芸術品のような右手を持ち上げ、握っては広げてを繰り返す。自分の存在を確かめるように。


「そうか……妾はあの世界牢獄から解放されたんじゃな」

「す、凄いぞ!」


 アキが興奮して叫んだ。


「発掘家シェリーメンさえ凌ぐ世紀の大発見だ!」


 凄い、凄い、伝説都市ネコマタギやミケネコ遺跡の発見だって霞むぞとアキは大はしゃぎ。


「落ち着いてくださいオーロジー先生」

「これが落ち着いていられるか助手アーよ」

「彼女は雪薔薇の女王かもしれないんですよ」

「そうだぞ彼女は遥か昔の真実を知る生き証人だ助手ベーよ」

「だったら彼女を刺激しないでください!」


 もし、アキの学説が正しければ目の前の女性は一人で国を氷漬けにした化け物である。下手な事をして怒りを買えばマルトニアがロゼンヴァイスの二の舞だ。


「むっ!……ん、ぐっ、た、確かに……」


 助手達に諭されアキも自分の迂闊さを反省した。


「とは言え、このままでは埒が明かん」

「ええ、ですがファーストコンタクトは大事です」

「何事も第一印象が重要ですよ」

「分かっている」


 ホントですかぁ?と助手達は疑いの目を向ける。


 アキ・オーロジー29才、折衝が苦手で学会にいられなくなったマルトニア学園考古学教師。交渉ごとで全く信用が無い。


「んっ、んっ、おはよう美しき眠り姫よ」


 何で口説き文句!?と助手三人衆は心の中で突っ込んだ。いや、カッコいい系美女のアキが口にすると結構サマにはなっている。なってはいるが、もう少しマシな対応はできないものだろうか?


「そなたは?」


 ハラハラしている助手の心配をよそにネーヴェの光を無くした瞳がアキへと向けられた。


「私はマルトニア王国の考古学者アキ・オーロジーという者だ。君はあの雪薔薇の女王で間違いないだろうか?」

「ちょっと先生!」

「ぜんぜん分かってないじゃないですか!」

「挨拶と自己紹介は基本だろ!」


 間違ってはいない。間違ってはいないが、もう少し女性らしく物腰柔らかくできないものだろうかと助手三人衆は心の中で突っ込んだ。


「雪薔薇の女王?」


 氷の彫像の如く動かぬ顔でネーヴェは小首を傾げた。


「ああ済まない、雪薔薇の女王は後世に付けられた名だったな」

「後世……」

「そうだネーヴェ・ロゼンヴァイスよ。君の王国が亡んで既に数百年は経つ」

「「「先生!?」」」

「何だ助手ABCアーベーツェー

「「「それは言っちゃダメなヤツ!」」」


 アキの無神経な発言に助手達は慌てた。自分の国が亡んだなどと言われてネーヴェが激昂しないとも限らない。


「あっ……」


 アキも自分の失言に拙いと気づいた。


 ここで力を暴走でもされてしまったら。アキと助手達は揃ってギギギッと首をネーヴェへと向けた。


 雪薔薇の女王はアキ達をただ黙って見つめて……



 ……………………

 …………

 ……



 ——ブワッ!


 ルインズ遺跡から突如として溢れた冷気はサァッと衝撃派の如く一瞬にして辺り一帯へ広がり、遺跡も隣接する街も、美しい浜辺も何もかも飲み込む。


 ——そして、静寂の世界へと変貌した


 その冷気ちからは絶大で、全ての動きを止める絶対零度さえ通り越し、全ての時をも止める。


 人も、馬も、犬も、猫も、空を飛ぶ鳥も……何もかもが静止している。そんな動くものは何も無い世界。


 暗雲が立ち込め始め、白にくろが混じり灰色の世界へと変貌した。それはネーヴェが閉じ込められていた心象世界牢獄そのもの。


「みんな凍ってしまった……」


 その中心に彼女はいた。


「このままでは……」


 前合わせの白い装束に身を包んだ美しい雪薔薇の女王。襟がはだけて露出した肩がなまめかしい。


はどこじゃ?」


 何かを探すように彼女は辺りを見回すが、目的の物が見つからないようだった。


「ない……妾の薔薇が……『約束の薔薇プロメスローゼ』が……どこにもない……」


 しばらく周囲に首を巡らしていたネーヴェは、ふと西の方角を見るとスッと目を細めた。


「あっちじゃな」


 ネーヴェはその方向へ向かって音も無く歩き始めた。それはマルトニア王国の王都マルセイルがある方角。


 今ここに雪薔薇の女王の伝説が再び動き出した。

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