燃えるような赤い髪の美しい少女が愛らしい花でいっぱいの花壇の間を進んで行く。
「コスモスなのね……ふふ、可愛いわ」
夏も終わりに近づき、グロラッハ家の庭園は春薔薇からコスモスへと衣替えしたらしい。秋薔薇にするのかと思っていただけにイーリヤは少し意表を突かれた。
「ここはいつ来ても気取ったところがなくて良いわねぇ」
だが、庭園を飾る赤と白とピンクのコスモスが目に和む。色ごとに花壇を分けず、自然な感じで上手く混ぜているところもイーリヤの嗜好に沿うものだった。
「前に来た時は薔薇で揃えていて華やかで素晴らしかったけど……これはこれで落ち着くわ」
「イーリヤ様の仰る通り素敵な庭園でございますね」
屈んでコスモスを愛でるイーリヤの背後に立つ侍女のナーレが周囲を一瞥した。
「ですが、我がニルゲ公爵家の庭園の方が洗練されております」
一流の庭師によって見事に管理されているニルゲ公爵家の庭園は整然としている。マルトニア王国でも屈指の名園として名高い。
「私はこっちの方が落ち着いてて好きよ」
薔薇のように派手で華やかな美女は、グロラッハ侯爵家の庭園のような何気なく主張しない美を好むようだった。
「……あまり他人様の庭でウロウロせず早く参りましょう」
「もう、そんなむくれないで」
自家より他家の庭を手放しで褒める主人にナーレが面白くなさそうにするので、イーリヤは苦笑いして目的の
本日はここ数日のところ学園に顔を出していないウェルシェを見舞いに来たのである。
「それにしても、剣魔祭が終わった次の日から休学なさるとは……イーリヤ様が少しイジメ過ぎたのではありませんか?」
「人聞きが悪いわねぇ。だいたいウェルシェが黙ってイジメられるタイプだと思ってるの?」
あの腹黒娘はいじめくらいでズル休みするようなタマではない。第一、いじめられたら倍にして仕返ししそうだ。
「それでは
「それは否定できないけど……どっちでもないみたいよ」
目的地についたイーリヤが指し示す方向にナーレも視線を向けた。
「ううう……」
コスモスで埋め尽くされた庭園の一画にある真っ白な
「私……どうしてあんな真似を……」
昨日、剣武魔闘祭でトレヴィルの術中にはまりウェルシェはあわや唇を奪われる寸前だった。幸い
「エーリック様にどんな顔してお会いすればいいのよぉ!」
「フツーに会えばいいんじゃないですか?」
「だってぇ、絶対浮気したって思われちゃったわよ」
「逃げたって状況は変わりません。むしろ時間が経てば経つほど言い訳が難しくなると思いますが」
「そうだけど〜、そうなんだけどぉ〜」
悩める恋する乙女にカミラの辛辣な言葉が刺さる。頭を抱えたままウェルシェは顔を僅かに上げてカミラを恨みがましい目で見上げた。
「カミラはもうちょっと私を甘やかしても良いと思うの」
「私は今までお嬢様を甘やかしてきたつもりですが?」
「むぅ〜」
座ったままウェルシェは隣に立つカミラに抱きつくと、お腹にぐりぐり頭を擦りつけてきた。
「全く、お嬢様は早く
「カミラだって私べったりじゃない」
口を尖らせるウェルシェが可愛くて、カミラはよしよしと頭を撫でる。
「私は良いんですよ。だって、生涯お嬢様離れするつもりありませんので」
「何よソレぇ」
くすくすと思わずウェルシェが笑う。そんなウェルシェをカミラは優しく抱きしめた。
「きっと大丈夫ですよ」
「どうして?」
カミラがムンッと力こぶを作ってみせた。
「私があのスケコマシ王子をシメめてやりましたから」
「何よソレぇ」
冗談と思ったウェルシェが笑うが、この侍女ホントにやらかしている……まあ、普通は王族相手に侍女がそんな恐喝できるわけないのでウェルシェが真に受けないのも致し方ない。
「それにエーリック殿下の方もお嬢様なら上手に対処できますよ」
「ホント?」
「ええ、いつも手の平の上で殿下をコロコロ、コロコロと転がしておられるではないですか」
「もう、カミラは私を何だと思っているのよ」
「私の可愛い腹黒令嬢です」
「何よソレぇ」
ウェルシェはお腹を抱えて笑い出した。
「だいたい敵前逃亡なんてお嬢様らしくありませんよ」
「そうね……やる事やってから後悔しましょ」
「その意気です。殿下もお嬢様に転がされている方が幸せそうですし」
「もぉ、カミラったら冗談ばっかり」
カミラはずっと冗談など一つも言わず至ってマジメに答えているのだが、真剣な受け答えがジョークになるらしい。なぜ笑いが取れたのかカミラは首を捻ったが、特に追求せずウェルシェの頭を優しく撫でた。
「頑張ってください」
「うん……ありがとう」
ウェルシェの顔にはもう迷いはない。いつものお嬢様だとカミラはホッと胸を撫で下ろした。
「お見舞いの必要はなかったみたいね」
「えっ!?」
一件落着したのを見計らいイーリヤが声をかけると、ウェルシェは慌ててカミラから離れて居住まいを正した。
「イ、イーリヤ、いつからそこに?」
「『私……どうしてあんな真似を……』から」
「最初から!?」
侍女に泣きついて甘える恥ずかしい姿を全て見られてしまった。ウェルシェはボンッと音が出そうなほど頭に血が上って全身真っ赤になる。
「ううう、もう、声をかけてくれれば良いのにぃ」
「私は気がついておりましたがね」
「だったら教えてよぉ」
「その前にお嬢様が抱きついてこられたんですよ」
「引き剥がせばいいでしょ」
「引き剥がしてもよろしかったので?」
ウェルシェはチョンッとカミラの袖を掴んで上目使いになる。
「…………良くない」
「はいはい、存じておりました」
「ふふふ、あなた達ってホント羨ましいくらい仲が良いわよね」
微笑ましい主従にイーリヤはプッと吹き出した。
「もう、イーリヤは私を揶揄いに来たの?」
バツが悪そうにウェルシェは腕を組んでプイッとそっぽを向いた。
ウェルシェは日に日に成長し、成熟した美しさを徐々に開花させつつある。将来、間違いなく絶世の美女として国の内外に知られるようになるだろう。だけど、それ以上にウェルシェはどんどん可愛くなっている。
(エーリック殿下に恋をしたせいね)
恋心がウェルシェを大きく変えてしまった。先程みたいに昔では考えられないくらい弱さを見せてしまっているが、それは成長と共に改善されるだろう。
(それよりも愛らしくなっていくウェルシェの変化は好ましい)
イーリヤは成長していく友人の恋を応援したい気持ちが強く湧いた。なんだかんだとイーリヤもウェルシェが大好きだ。それくらいウェルシェは魅力的な令嬢になりつつある。
微笑ましそうな顔でイーリヤからジッと見られ、不思議そうにウェルシェは小首を傾げた。
「イーリヤ?」
「んっ、ああ、ごめんなさい」
イーリヤは謝罪するとナーレが引いたウェルシェの前の椅子に座る。
「お見舞いに来たのは本当だけど、別にウェルシェの耳に入れておきたい事があってね」
「何かあったの?」
「ええ、あまり良くない報せよ」
イーリヤがいつになく余裕の無い真剣な表情をするので、悪いニュースなのだろうとはウェルシェも予想した。
「ルインズとの連絡が途絶えたわ」
しかし、イーリヤのもたらした情報はその予想を遥かに上回るほど最悪なものだった。