「これ」
それは、剣に付ける飾りのようなもの。鞘につけておくものだ。大きく翼を広げた双頭の鷹は冠を戴き、その足には剣と杖を持ち、胴には天秤を背負う。それは、王家の紋章だった。
「お前に、軍を動かす権限を与えます。同時にシリルの護衛を命じます。シリルの身に危険があると判断できた場合には相手を拘束し、止む負えない場合には殺す事を許します」
レヴィンは瞬きもせずに、目の前に出されたエンブレムを指で触れる。そして、ユリエルをジッと見た。
「これを、俺が悪用するとは思わないかな?」
「しませんよ、お前は。シリルがいる限り国に弓は引かない」
レヴィンは嫌な顔をしながらも否定しなかった。
「これを渡すのは正式に皆の前で発表する時です。ですが、先に知らせてはおこうと思いましてね。これでいいですか、シリル?」
「はい、兄上。お気遣いいただいて有難うございます」
ペコリと頭を下げたシリルは本当に嬉しそうな顔をしていた。
「それで? 本当の目的は何だい陛下? あの人と仲良くやりたいならこの戦争を止める事が優先でしょ? それなのに内部ってことは、何かあるのかな?」
鋭く笑う彼らしい表情を見せてレヴィンが言う。気の緩んだ顔をしていたシリルも居住まいを正した。そんな彼らを見回して、ユリエルは頷いて紙面を前に出した。
「ルルエからの使者は二人いた。そして、最初の一人がタニス国内で行方不明になっています。同様に、こちらが送った最初の使者は彼の元に届いていない」
「……なるほどね」
難しく、かつ嫌悪を見せる表情でレヴィンは目の前に出された紙面を指でコンコンと叩く。そしてシリルもまた、複雑な表情をした。
紙面にはアルクースが調べてくれた事が写してある。
『使者はリジン領シュトラーゼにて消息を絶つ』
「現宰相閣下が絡んでいるとなると、俺らが通る道は海沿いかな」
「伯父上がそんな事を……」
睨み付けるようなレヴィンに対し、シリルは沈んが顔をする。それも頷けた。現宰相ロムレット・ファルハンはシリルの伯父にあたり、何かと可愛がっていたのだから。
それでもシリルは前を向く。その時にはもう、迷いなど無い目をしていた。
「信じられませんか、シリル?」
「……長く目を瞑って生活をしていました。僕には何も見えていなかった。でも今は、見えてきた気がします。僕は僕の目で見て、全てを学び判断します。例え相手が伯父上でも、罪を犯しているのならば暴きます」
「強くなりましたね、シリル」
宣言するように言ったシリルを見るユリエルの目はとても温かい。巻き込む事を躊躇ったが、今はその気持ちはない。大丈夫だと心から思えた。
「じゃ、決まり。俺達は怪しげな領地を巡って毒抜きしつつ、使者の痕跡を探してくる。欲しいのは最初の親書?」
「そこまでは期待していません。おそらくもう処分しているでしょう。ですが、使者がどこで、誰の思惑で消えたのか。その痕跡と裏付けが出来れば裁ける。他国の使者を王命もなく殺し、親書を破棄する行為は明らかな謀反ですから」
「了解。で、使者がいた痕跡で間違いないっていうものはあるの?」
「身に着けていた衣服の隠しにも、つけていたお守りにもルルエ王家のエンブレムが入っています。王冠を戴く二頭の獅子がね」
ルーカスから直接聞いた情報だ、間違いない。使者はそれと分からない所にルルエ王家のエンブレムのついたものを身に着けていた。何かあった時に己の身分と目的を示すために。
「親書が残っていなくても、それらの遺留品をロムレットの周囲で見つければ疑惑を追及して更に調べる事ができる。んでもって、その過程で更に何か出れば逮捕。そうなれば刑裁官が担当になる、か」
「でも、それで戦争は止まるのですか?」
腕を組んで仕組みを理解したレヴィン。その隣でシリルが疑問を口にする。それにも、ユリエルは静かに頷いた。
「ルルエに和平の気持ちがあった事が公に示される事。そして現宰相という立場の者がそれを隠蔽し、戦争へと繋がった事。これらを公にし、国内の戦熱を下げます。同時に現在の家臣団の力も宰相を失えば大幅に弱まります。奴らに代わり、私はオールドブラッドに近い人物を据えるつもりでいますから」
「戦争をしたい奴らの力を大幅に削って、平和的に事を納めたい旧臣に力を渡すのか。確かにそれなら戦争は止まる。けれど、旧臣は大抵保守的だよ。二人の関係を知ったら陛下の立場が危うくならない?」
レヴィンの言う事はもっともだ。だが、それこそユリエルは望むところだった。
「大きな国益を奴らは拒まない。両国が歩み寄れば大きな国益になります。そうして交わりを徐々に深めてゆきます。そして最終的には、国を一つにする」
壮大な夢。だが、ルーカスと話して分かった二人の夢だ。大陸に二国しかない、その二国の王が望む夢が実現不可能なんてこと、あってたまるか。
挑むようなユリエルの瞳には迫力と凄味がある。それを前に、レヴィンは頷いた。
「じゃあ、その夢物語に賭けてみようか。我らが陛下は泡と消えるような夢を、そんな目で語りはしないからね」
「僕も頑張ります。僕は、兄上に幸せになってもらいたい」
にっこりと微笑むシリルが胸の前で手を組む。その瞳は柔らかく、強く、そして少し悲しげだった。
「今まで守ってもらいました。知らない事をいいことに、無力でした。だからこそ、今僕の力が求められている事が嬉しいです。その先に、兄上の幸せがある事が嬉しいです」
「シリル」
力強い輝く笑みを浮かべるシリルを見てユリエルは立ち上がり、そして抱き寄せた。嬉しくてたまらなかった。こんなにも思って貰えて、無理難題を突き付けているのに揺らぎもしないで。
「貴方は私の宝です、シリル」
「僕も、兄上はかけがえのない人です」
抱き返す手が触れてくる。それを感じて、ユリエルは嬉しく笑みを浮かべた。