数日後、諸々の会議を重ねた後に正式にシリルが国王代理として王都の収穫祭に向かう事となった。そしてレヴィンがシリルの護衛長として同行する事も決まった。
諸々の人の前でユリエルはシリルの首に王のエンブレムの入ったネックレスをかけ、レヴィンは剣帯飾りを受け取った。これにより、二人は正式な権限を持つ者として広くタニス国内へ知らされた。
思惑を持つ者達にも、これは知らされたのだった。
出発の前夜、ユリエルは夜にレヴィンの部屋を訪ねた。予測していたのだろう、すぐに出てきて中へと招かれる。ガウンに帯だけの夜着を着たレヴィンは難しい顔で笑った。
「部下の部屋にそう簡単に入る主ってのも問題ありな気がするね」
「主らしい主ではありませんし、あまり私の部屋に呼ぶのもあらぬ噂が立ちます。誰にも見られてはいませんから平気でしょうが」
椅子に腰を下ろしたユリエルはテーブルの上に紙を置く。レヴィンはそれを無言で受け取り、中を確認した。
「殺したい人リスト?」
「とは、少し違います。不正が疑われる者のリストす」
ダレンが調べた中でも酷いのは数か所。おそらく最初が肝心となる。ここから一番近い目的地は、トイン領。そこでは多くの餓死者が出ているという。
「目的地リストにはオールドブラッドの領地も含まれてるよね? あいつらは絶対に国に背くような事はしてないよ。それでも行く?」
「奴等には発破をかけたいのですよ。引きこもったまま出てこようとしませんから」
「なるほど、それでね。でも、あまり期待はしないで欲しいな。あいつら頑固だから」
「無理そうなら構いません。奴らが頑固なのも知っていますから」
「いざという時はどこが一番動けるの?」
「ラインバール平原砦にアビーがいます。第三部隊副隊長です。第三部隊にはある程度の話は通していますから、使ってください」
「了解」
レヴィンとの打ち合わせは本当に簡潔に終えられる。既にある程度の腹は割って話をしたから、この段階での話は簡単な確認程度で済ませられる。
「あぁ、陛下待って。俺からも少し話がある」
席を立って帰ろうとしたユリエルを、珍しくレヴィンが引き止めた。不審に思いながらも椅子に座り直したユリエルの目の前で、レヴィンはおもむろに袖を外し、背を向けた。
「レヴィン?」
「いいからさ、そこにいてよ」
そう言うと、レヴィンはそのまま上半身を脱いで背を見せた。
そこには、六枚の羽の刺青がある。大きく翼を広げるそれはまさに天使のようだった。
それを見るユリエルの瞳が歪んだ。悲しそうに、苦しそうに。
「その様子だと、知ってたんだ。じっちゃんかな?」
背中越しにユリエルの反応を見たレヴィンが、何でもないような声で言う。ユリエルは首を横に振り、自らが着ていたガウンを脱いでレヴィンの肩にかけた。
「ダレンは何も。言おうとしましたが、聞きませんでした」
「どうして?」
「聞かなくても分かりました。憶測の域は出ていませんでしたが、ほぼ確信を持って」
ユリエルの言葉にレヴィンは笑う。とても綺麗な顔で笑って、その首にナイフを突きつけた。
「どうして、分かったのかな? 俺が天使だって」
「お前の足音はどんな時でもほぼしていない。そんな芸当は普通の訓練では身につかない。身のこなしや、特殊な武器を扱える事も考えると推測は十分。加えて、お前の年齢とダレンが養子にしたタイミングを知れば、ほぼ確信できました」
「それじゃあさ、俺が王族である陛下を恨んでこんな事をする可能性って、考えてた?」
挑戦的な瞳と声に、ユリエルはゆっくりと首を横に振る。そして、しっかりとした目でレヴィンを見た。
「やろうと思えばいつだって殺れた。お前の腕なら私が警戒していても可能だったでしょう。それでもそうはしなかった。だから、信じました」
「この状況でも?」
「えぇ」
確信を持ってユリエルは見据える。無言の時が流れて、やがてレヴィンは困った顔をしてナイフを引いた。
「困るよね、うちの陛下は。そんなに信頼してさ、秘密も明かして。俺が悪い人間だったら今頃大変なことになってるよ」
「お前の根が腐っているなら、シリルはお前を好いたりはしていませんよ」
苦笑したユリエルはフッと息をついて笑う。目の前で困った顔をするレヴィンはどこか嫌そうだが、照れ隠しだと分かった。
「まぁ、いいか。なんかさ、俺自身が消化できなくて。本当はさ、あんたの信頼にこっちも応えたいって気持ちだったんだけど。やっぱこの羽を見るとどうしても、やりきれないっていうか」
「構いません。そう簡単に割り切れるものではありませんよ。それだけお前の過去は重く、私の罪は重いということです」
かっこ悪く頭を掻いて言ったレヴィンに、ユリエルも言う。そう、この翼は決して軽い過去ではない。レヴィンの背負うものはあまりに重い罪だ。
「それにしてもさ、知ってたんだ。子供の頃の話でしょ?」
ベッドにどっかりと座ったレヴィンが問いかける。とても疲れた様子で。問われたユリエルは頷いて、真っ直ぐにレヴィンを見つめた。
「国がお前達にした事を王である私が知らないのは、罪から逃げるのと同じですからね」
「当時のお偉いさんは大抵が知らないふりをしたよ。勿論、王様も」
「私がそれをしたら犠牲となった者達が浮かばれません。私だけは知って、刻まねばなりません。どれ程卑劣な事を強いたのかを」
レヴィンの紫色の瞳が、一瞬大きく見開かれる。そして次には泣きそうに、ふにゃりと歪んだ。
「あんたがもっと早く王様だったなら、俺達は生まれなかったのにな」
「すいません、レヴィン」
「いいよ、過去だから。消せないけれど……役には立つ。今を守る力として使うなら許してやれる」
服を着直し、羽織ったガウンをユリエルへと投げたレヴィンはようやく吹っ切れたような顔をした。そしてそのまま、ユリエルの足元へきて膝を折って、臣下の礼を見せた。
「レヴィン・ミレット、ユリエル陛下に忠義を尽くし、誠実なる臣である事を誓います」
「レヴィン……」
こういうことは慣れていない。形だけの忠義を誓われるなら平気な顔でいられる。けれどこうして、本当に心からの忠誠となると躊躇いが生まれる。何より、ユリエルは彼に過酷な事を強いる立場だ。