翌日、混乱の収まらないトイン領に一時的に身柄を拘束されていた村々の管理官が招集された。そこには避難していたイネスも、そしてヒューイとアイリーンの姿もあった。
その全員の前にシリルは立つ。不安の残る心を落ち着かせ、国王代理として成すべき事をなそうとしている。
「お集まりの皆様、ここで起きた事は既にご存じかと思います」
それに、村々の管理役人は表情を凍らせる。前領主だったブノワの謀反、そして死は皆が知っている。そしてそんな状況で言い渡される事にいいことはないと感じているのだ。
「前領主ブノワの謀反に対する処罰、および空席になった領主の座を、仮置くこととしました。現在この領地の村々は深刻な状況です。誰かが領主として先頭に立ち、現状を回復しなければ多くの人命が失われ続けます」
調べさせたらドラール村ばかりではない。トイン領に属する多くの村で餓死者が出ている。だがそんな状況で村人に手を差し伸べていたのはイネスだけ。他は見ないようにしていたらしい。
非難の目が自然と管理役人へと向いた。それなりに苛立ちや憤りは込めていた。それに、聴取されていた管理役人達は身を寄せ合って「ひっ」と小さく悲鳴を上げたように思えた。
それでも領主を失った今、彼らまで切り捨ててしまっては領地の運営がままならない。何より彼らはもう謀反など起こさないだろう。ブノワの悪事に付き合わされる形でしかない彼らは頭を失えば無害になる。そう判断した。
「各村の管理役人は直ちに村の立て直しと救済をしてください。ブノワが過剰に徴収した米は全て元通りに返します。復興に必要なものがあれば申し出てください。村人の救済に必要と判断出来るものだけは許可し、必要ならば人の派遣もします。一ヶ月の猶予を与えます。その間に村の復興が兆しを見せていればよし、見られなければ税の着服と謀反の片棒を担いだ罪が己が身だけに留まらず親族にまで及ぶと考えてください」
厳しいシリルの言葉に、管理役人達は壊れた玩具のように何度も首をカクカクと振っていた。そしてイネスはほっと安心したように息をついた。
「次に、アイリーン・セルマ・ラヴレス」
「はい」
ヒューイの隣にいたアイリーンが、慎ましくもしっかりとした足取りで前に出る。自由を取り戻した彼女は実に凛として美しい、聡明な女性だった。
シリル監禁事件の時、彼女は既に自由の身となっていた。そして、眠るように気を失ったレヴィンを見てテキパキと治療の手伝いをして部屋を整えてくれた。それだけではない。領主館を解放し、ドラール村の人々を受け入れて温かな食べ物を用意し、怪我人の治療をしてくれた。
それらを全て終えてからようやく、シリルの前に来てその足下に深々と頭を下げ、全ての罪を詫び、処分を受ける事を淀みなく申し出たのである。
「アイリーン、貴方に下す処分は女性の身には過酷です。心の準備は出来ていますか?」
「いつでも」
ヒューイが途端に落ち着き無く不安そうな顔をする。口を挟むまいとこらえているが、それもどこまでか。だがアイリーンが窘めるようにヒューイを見ると、元気をなくして俯いてしまった。
「それでは。ラヴレス家は取り潰し、領主としての地位と爵位も剥奪します。館および財産の一切は次期領主へと委ねます」
「ちょっと待って下さい!」
流石にヒューイは黙っていられなかったのだろう。隣でイネスが取りなすのも聞かず前に出て、アイリーンの隣に駆け寄る。そして、床に額をつける勢いで頭を下げた。
「どうかお慈悲を! それでは彼女は守られる物も一切持たず、身一つで放り出されるのと変わりありません。そんな事はあんまりです。確かに彼女の父は罪を犯しました。ですが彼女自身も軟禁されていたのです。住む家も、明日の糧さえもなく生きていけるわけがありません!」
声が震えている。シリルはそれをジッと見ていた。内心はとても心が痛んだ。彼がアイリーンをどれほど愛しているかは知っている。そしてアイリーンに非がない事も分かっている。
それでもこうするのには、ちゃんとシリルなりの訳がある。
アイリーンはふわりと笑い、隣のヒューイの背をさする。そしてシリルに視線を戻すと、とてもしっかりと頷いた。
「構いません、殿下。父の罪を背負って首を撥ねると仰せにならないだけ、寛大な処置です」
「アイリーン!」
不安など見せず、むしろ射るように凛とシリルを見るアイリーンはとても気高く強い。シリルもそれに頷いた。
「では続いて、仮の領主を任命します」
「殿下!」
二人の間だけで片付けられ、一切陳情を聞き入れられなかったヒューイが怒りを含む目で顔を上げた。その鼻先に、シリルの手があった。
「領主代行を、ヒューイさんに任せます」
「……え?」
場がざわめいた。何より言い渡されたヒューイ自身が一番驚いている。ヒューイはブノワの小間使いのような扱いで、官職らしいものは貰っていない。だから余計に騒々しいのだろう。
だがシリルはこの決定を譲るつもりも、考え直すつもりもなかった。
「ヒューイさん、貴方は国家試験をクリアし、しばらく王都で官職にもついていましたね?」
「それは……。ですがそれもほんの手伝いのようなもので、領主代行など務まる力量が自分にあるとは」
「力が及ばない部分は、他の管理役人とも相談すればいいのです。一人で全てを決める必要などありません」
「それは、そうですが……」
突然乗った重圧に戸惑いを隠せないヒューイは、酷く考え込んでいる。その気持ちは分からないではない。今回この旅でユリエルがシリルに託した諸々を受け止める時、シリルも重圧に戸惑い、全うできるかという不安にさいなまれた。
だがその時側にいてくれたのはレヴィンだった。「大丈夫」と言ってくれるだけで心が軽くなり、「一緒だから」と言ってくれるだけで勇気がわいた。
そしてヒューイにもシリルにとってのレヴィンのように、寄り添い励ます存在がいるのだ。
ヒューイの手にアイリーンの手が重なる。驚いて目を丸くするヒューイに、アイリーンは力強く微笑み、頷いた。
「大丈夫ですわ、ヒューイさん。私の父にできたこと、貴方に出来ないはずはありませんもの。ヒューイさんはもう少し、ご自分に自信をお持ち下さい」
「アイリーン」
重ねられて手に、ヒューイは手を重ねる。そしてしっかりとシリルを見据えた。
「承りました」
「任せます。では早速お仕事ですよ。まずは祝言の準備でしょうか?」
「え?」
今度は素っ頓狂な声でヒューイは肩をびくつかせる。そして、重ねた手をマジマジと赤い顔で見つめ、パッと離した。その後は微笑むアイリーンを見つめ、ただただ顔を真っ赤にした。
「まぁ、領主の仕事としては一ヶ月が猶予と思ってください。そのくらいは、陛下も様子を見てくれるでしょう。その間に力量を見られます。陛下は決して甘くはなく、領地の再興や救済は楽ではありません。ですが、過酷な状況を見た貴方だからこそ、出来ると信じています。お願いしてもよろしいですか?」
シリルは信頼の瞳を向けた。彼に領地を任せる事に不安がないわけでは無い。本当ならばユリエルに書状を送り、判断を仰ぐべき所だ。その間はシリルが代行する事も出来る。だが、時は有限だ。いつまでもここに留まっているわけにはいかない。
何より信じたい。ヒューイは決して期待に背くような人ではない。そしてアイリーンはそんなヒューイを見捨てたりはしない。イネスは兄と村人を思い、力を尽くしてくれる。そんな人々の心が伝わってくれれば、この領地は回復すると。
シリルの前で、ヒューイが覚悟の瞳で頷く。それを見て、シリルはやっと心から安堵の笑みを浮かべた。