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12話 祝賀をもって(2)

▼レヴィン


 部屋で療養を言い渡されたレヴィンは、やることも無く本を片手に欠伸をしている。そんなレヴィンの元に来訪者があり、色々と複雑そうなヒューイが顔を覗かせた。


「沙汰は下ったか?」


 今日がその日であり、シリルがどのような沙汰を下したかをレヴィンは知っている。だからこそニタニタと笑ってからかえるのだ。

 ヒューイはなんともばつの悪い顔をする。だが、まんざらでも無いんだと分かる。そのまま側の椅子に腰を下ろしたヒューイは、苦笑を浮かべた。


「まぁ。俺には荷が重すぎて、正直今からしんどい」

「奥さんにも背負ってもらえ。あれは気丈で聡明な姫さんだ。あの良妻を手にできなかったら、お前男やめたほうがいいぞ」

「けしかけるな! まぁ、とりあえず彼女にはこの館の一室を貸す形で話をした。本当はそんな事も必要ないんだが、そうじゃないと彼女が首を縦に振ってくれなくて。祝言なんて、遙か遠くて霞がかって見える」

「いいんじゃないの? 若い二人なんだから焦んないで」


 楽しそうに言うレヴィンに、ヒューイは溜息まじりの笑みを浮かべた。

 だが次には真剣な顔になる。そして恐る恐る、口を開き始めた。


「天使、だったんだな」


 その一言はレヴィンを凍り付かせるのに十分なものだった。あの戦場では頭に血がのぼってしまい、細かな事に配慮できなかった。多分、背中を見られたんだろう。


「軽蔑するかい?」


 やっと出たのは、枯れた声。自分を隠し偽る事で生きていくことが出来ているのに、それがバレたとなればこんなにも動揺が隠せない。情けないと自重するが、どうにもならない。


「それにしても、よく知ってるね」

「民間の方がそういう記憶は残ってるもんだ。畏怖と一緒に」

「王宮じゃほとんど知らないんだぜ」

「加害者は覚えていたくないんだろう」


 そう、全てを闇に葬りたいという動きや気持ちはレヴィンも感じ取った。軍人として城の内情を知ったときに、ほっとしたと同時に憤りをを感じた。良かったんだと思ったのに、消し去った事が許せない。そんな相反する思いにしばし苦悩したりもした。

 だって、そうだろ。天使を作ったのは国だ。何も知らない子供を善人の顔で集め、犠牲にしたのは奴らなんだ。レヴィンは何も知らずに、救われたのだとすら思って縋り、地獄を知ったのだ。それらは全て国の為だったはずだ。そう求められて言われるがままに人を殺した。そうする事でしか生きられなかった。なのに、全てを消されたのではやりきれない。あの時間は、誰のためだったんだと。


「天使の家が燃えて十年以上が経つからな。それに、城の人間はほとんど知らなかった。俺が城で仕事してたときにも、天使の事なんて誰も知らないって顔してたし、表に出ない裁判記録に少し名前があるばかりだった」

「詳しいじゃん」

「そういう部署で仕事してたんだ。裁判の記録や税の記録を管理したり、清書したりな」


 そんな事だろうとは思っていたが、本当に抹消したのかと思うと怒り以上に虚しさが押し寄せる。別にこれをネタに糾弾したいわけじゃない。そうじゃないけれど、これではあの場所で死んでいった子供達が浮かばれない。墓すら無く、存在まで消されたのでは。

 だがふと、そうでは無いと思い出す。ユリエルは全てを知っていた。そして全てを自らの罪であると言ってくれた。この事件が起こった時、彼はまだ幼かったはずだ。抗う力も持たなかった彼が、散った名も無い命を背負うと言った。それがレヴィンにとってどれほどの救いか。主の大きさを知ったことか。


「表向きは、孤児院だった」


 レヴィンはぽつりと呟く。心の重さを吐き出すように、ゆっくりと。


「だが裏では暗殺者を育てる為の訓練場。ついでに人体実験施設だった。俺達は身よりもなく、そこでひたすら国に不要な人間を殺す訓練だけを受けてきた。使えない奴は新薬の実験に。良好な結果を見せた薬は優秀な暗殺者に育った俺達にも投与された。そうして死んでいった孤児は、数えるときりがない。それを思うと、存在すらも消された状態が虚しいとは感じる」


 戦争、貧困の為に起こった農民一揆で孤児となった少年少女を、国はある施設を作って引き取った。表向きは孤児院だったが、実際はそうした孤児に暗殺の術を教え、使える者を闇に放った。その為、暗殺が横行した。これを指揮していたのが国のお偉いさんだったなんて、少年達は知らない。

 食事も最低限、人間らしい生活なんて望めない。冷たい床に布団が一組。傷を負えば治療さえしてもらえず命を落とした。そうした歴史を国は消した。施設の火災をいいことに。


「俺が施設に連れてこられたのは五歳だった。そんな子供ですら感じた。今自分が殺している人間が善だと。ただ、命じている奴にとっては邪魔だから消すんだろうと。小さな独房に六人だった仲間が一人ずつ消えてった。死んだんだと直ぐに分かった。感情なんてあるだけ苦しくて、人間らしさなんて求めるだけ無駄で、捨てた。今こうして笑ってるのがさ、嘘みたいだ」


 自嘲気味な笑みは悲しみを表した。それでも「笑み」であるのだ。あの当時はそれすらも無かった。

 側のヒューイが黙って聞いていた。我が事のように表情を歪め、辛そうに。こういう部分があるから、こいつのことが結構気に入っている。

 何よりこんな話、グリフィスやクレメンスにもできはしない。シリルにはもってのほかだ。


「まぁ、いいんだけどね。俺は今、けっこう幸せだし。美味しい物食べれるし、ゆっくり寝られるし、側にいい奴がけっこういるし、なんだかんだで仕えるべき主も得た。何より、シリルが側にいる」


 温かいものを食べて、生きている喜びを知った。眠れる夜を知って、疲れを知った。頭を撫でられて、人の温かさを思い出す事ができた。

 施設を脱走して、すぐにダレンが拾ってくれた。あの人は忙しいわりにレヴィンを大事にしてくれた。こんな薄汚い人殺しをそれと知ってだ。レヴィンはダレンと、彼の奥さんに救ってもらったんだ。命ばかりではない、人間としてだ。

 でもこの温かい気持ちを知ったら、失う恐怖も知った。人の中に溶け込めば溶け込むほど、自分の異質さを感じるようになった。違う部分を数えだしたら怖いから、人と同じようにした。それが嘘だとしても、安心できた。


 今は嘘で塗り固めた己が苦しい。


「なぁ、ヒューイ」

「なんだ?」

「決定的な嘘は相手を傷つける。でも嘘をつき続けて、そのせいで俺が死んだら、恨まれるかな?」


 フェリスに言われて、レヴィンは考え続けていた。このまま現状を維持するのがいいのか。それとも怖くても真実を明かすべきなのか。シリルにユリエルほどの覚悟と非情さがあれば言えただろう。だが、そうじゃない。

 なんとも言えない質問に、ヒューイが困った顔をした。そうしてしばらく腕を組んで考え込んで、のそのそと歯切れ悪く答え始めた。


「俺なら、話してもらいたい。嘘をつかれて隠されて、そのまま死んだら恨む」

「恨むって、俺の事?」

「違う、自分をだ」


 睨めつけるような視線に、レヴィンは心臓の音が加速するのが分かった。緊張した、嫌な感じで鳴っている。レヴィンには、まだよく分からなかった。


「当たり前だろ? お前が死んだのは自分のせいなんじゃないか。それをずっと心に刻むなんて、俺には無理だ。大事ならそれだけ、知らずに失った時の喪失感や悲しみが深いだろ。そんな気持ちを味わい、覚悟もなしに死なれるくらいなら、戸惑っても知りたいと思う」

「そっか……」


 シリルも、そう思ってくれるだろうか。レヴィンは寂しく笑う。でもそれは一瞬で、次にはいつもの笑みに戻った。


「まっ、話すかは俺の問題か」

「殿下は知っても逃げないと思うぞ。もう、そんな域にいない。お前が傷だらけになった時、彼は一切目をそらさなかった。毎日こっそり剣の修練もしている。そういう強い人は簡単には揺らがない」


 確信するようにヒューイは言うが、レヴィンは自信が無い。語るには重い罪で、その罪の一旦は王族にもある。明るい新緑の瞳が悲しみに歪み、涙を流すのを見たくない。

 それに、もう一つある。それは過去ではなく未来の事。レヴィンの寿命があとどれだけ残っているかという問題。過去の人体実験がレヴィン達に驚異的な能力を与えたのは間違いがない。だがその代償は、命そのものだ。ある日突然、終わりがくるかもしれない。

 全てを話して、シリルは平気なのだろうか。受け入れてくれるだろうか。いや、いっそ撥ね付けてくれた方がいい。切り捨てて、酷い言葉を掛けてもらえた方が楽かもしれない。拒絶には慣れているのだから。

 受け入れて、泣かれて、我が事のように苦しまれるほうが辛いかもしれない。


「お前、案外不器用だな」


 不意にヒューイが苦笑を浮かべて言った。そしてそれに、レヴィンも苦笑がもれた。


「それよりもヒューイ、お前は頑張れよ」

「それが一番の問題なんだが」


 溜息をつき、ガックリと肩を落とすヒューイをレヴィンは笑う。そしてその背をポンポンと叩いた。

 正直、ヒューイはいい奴で能力もある。だが問題は、ユリエルに気に入られる事かもしれない。横暴は言わないし、出来ない事は言わない人だが、能力の限界まで頑張れと言う人だ。シリルも推薦状と報告書を送っていたから、一度呼び出しは受けるだろう。その時が勝負か。


「まぁ、大丈夫だって。ユリエル様は悪い人じゃないし、横暴も言わない。無理な事ははっきり言って、正当な要望は突きつけろ。んでもって偽らない事な。あの人に隠し事なんてしたってお見通しだし」

「心にとめておくよ」


 苦笑して、男二人は小さく笑う。でもとりあえず、事は収束へと向かっていくのだった。

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