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13話 女スパイの涙(1)

▼フェリス


 レヴィンの紹介状を持ってリゴット砦のユリエルを訪ねたフェリスは、案外簡単に謁見の間に通された。現在は強制的な停戦ということで人の数はそれほど多くない。通り過ぎる兵の話では、この期に国内へと戻る事を許されたらしい。

 なるほど、王族にしては良心的な人物だ。人としての温かみを感じなくはない。無能とも聞いていない。何よりあのレヴィンが主を自ら定めた。そうさせるほどの人物はどんなものか、フェリスは楽しみだった。


 謁見の間に入ったフェリスは丁寧に、かつ優雅に礼をした。玉座に座る人の側に、いかにも重臣っぽい人が二人。屈強な方が噂に聞くグリフィス、そしてもう片方が知将と聞くクレメンスだろう。

 ぶしつけに見ることは良くない。第一印象は大事にしなければならない。歩み寄り、十分な距離を取って跪く。そして恭しく名を告げた。


「お初にお目にかかりますわ、陛下。私、フェリス・ラムレイと申します」

「顔を上げなさい」


 低くも高くもない、だが綺麗な響きのある声だ。その声には固さはなく、柔らかく温かなものがある。それでも不思議なのが、従わなければならないという王の空気だろう。

 ゆっくりと優美に顔を上げたフェリスは、目の前のユリエルに一瞬驚き、見入ってしまう。

 多少顔のいい男はいる。極上品でもこんなに見る事はない。だが目の前のユリエルは本当に美しい。長く流れる銀糸の髪は輝き、ジェードの瞳は深く柔らかく、だが威厳がある。整った顔立ちには優しさも、厳格さも備えている。この男を前に見惚れぬ者はいるだろうか。まさに、天使が舞い降りたようだった。

 だがそこはプロのプライドだ。すぐにいつもの優美な笑みを浮かべ、ニッコリと微笑む事ができた。


「レヴィンとシリルがお世話になりました。レヴィンの紹介状によりますと、手を貸していただけるとありますが?」

「情報収集と潜入調査については、レヴィンからもお墨付きを頂いておりますわ。私の能力に不安がおありでしたら、一つ小さな仕事でもお任せ下さいませ」

「随分と自信があるんだな」


 ユリエルの側で警戒した顔をしているクレメンスが言う。だがフェリスは一切動揺もせず、優雅な微笑みを浮かべる。これでも諜報の仕事で今まで生きてきた。どんな場所にも入り込む自信がある。

 だがユリエルが発した言葉は、フェリスには意外なものだった。


「その必要はありません。貴方の能力を疑う事はしません。今は思い当たる仕事もありませんので、この砦に留まってください。部屋を用意しましょう」

「陛下!」


 事態を静観していたグリフィスが慌てたように声を上げる。だがそれも、ユリエルは一つ手を上げるだけで制した。


「グリフィス、警戒は無用です」

「なぜです!」

「彼女はプロですから」


 やりとりを注視するフェリスは、その言葉に笑みを深くする。彼は分かっている。能力の確かさも、プロとしての自信も。

 だが彼は知らない。心に暗い影を落とす憎しみの心を。悲しみの心を。それらを覆い隠す為に、張り付いたような笑みがあることを。


「後日、貴方には働いてもらいます。その時にはお願いします」

「えぇ、よろしくお願いいたしますわ」


 誘惑的に微笑んだフェリスは、その心に僅かな闇を浮かべていた。


◆◇◆


 その夜、フェリスは一人誰にも気取られることもなく砦の中を進んでいた。本当なら誰も、側近であるグリフィスやクレメンス以外は近づけないはずの王の寝室へと向かうためだった。


 案外手薄だ。


 見張りはそう多くない。国に帰しているから、兵の数自体が少ないのだろう。王自身もかなりの騎士と聞くが、あの細く綺麗な青年に何が出来るのかと思う。ただならない気配は確かに一瞬あった。だが武人としてはどうなのか分からない。レヴィンの言葉も疑っていた。

 何より警戒心が足りない。よく知らない人物をこうも簡単に内にいれるなんて、危険極まりない行為だ。


 扉の前に来て、誰もいないことを確認して隣の部屋に入る。そこは現在もぬけの殻。以前はシリルが使っていた部屋だ。そこを通り、窓から外へ。暗い室内を確認して、ベッドから遠い窓から侵入した。既に眠っている、そう思って。

 暗い部屋の窓には鍵などかかっていなかった。けれどその代わり、明らかな存在感と視線がフェリスの呼吸さえも止める鋭さを持って見ていた。


「来る頃だと思っていましたよ、フェリス」

「……分かるものかしら」


 ユリエルは暗い部屋の中で、待ち構えるように椅子に座っていた。腰には剣をさしている。

 なるほど、日中とは雰囲気が一変した。明らかに危険で、痛いくらいの気配を感じた。彼が美しいと称されるのは、この危険な雰囲気も合わせてなのかもしれない。

 ゆっくりと立ち上がったユリエルが、部屋に明かりをつける。明るくなった途端に数人の人が駆け込んできて捕らえられるものと覚悟したが、そうではなかった。部屋には誰もなく、気配もなかった。


「お一人かしら?」

「えぇ。立ち入った話に他人は邪魔でしかありませんからね。貴方は私に用があるのでしょ?」

「危険と、お思いになりませんの?」


 普通の人間は、こんな得体の知れない者が侵入すればまず冷静ではいられなくなる。自分の部屋に侵入されたというだけで、人は狼狽するものなのだ。

 けれどユリエルは堂々とフェリスに席を勧める。そして自分はのんびりとお茶を淹れ始めた。


「いるでしょ?」

「えぇ。私、王様の淹れたお茶なんて飲んだことがないわ」

「そうでしょうね」


 これは世話役の仕事だ。王様は玉座にふんぞり返って書類の上だけで世界を見て、現実のひどさから目をそらしている。そう、フェリスは思っていた。けれど実際の彼を見て、それは違うのかと思った。

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