「天使の家が火災で焼失したのは、十歳の時。火をつけたのは、俺達だ。俺と、一緒の部屋で寝ていた六枚の羽を持つ仲間二人と一緒に、逃げる為に」
きっかけはフェリスの言葉。「ここから出よう」という言葉。俺はそこに光を見た。だから、やった。仕事に出る為に外に出された時、俺は受け取った武器で側にいた大人を殺した。そいつが持っていた鍵で俺の部屋の扉を開けて二人を解放し、地下にいた大人を殺し尽くした。
思えば簡単だったんだ。誰もここまで育った暗殺者を三人も相手にできなかった。教えていた奴すら瞬殺できた。
「生き残ってる子供を出して、俺達は表の孤児院に火をつけた。こいつらがやってきた非道の数々を暴露する証拠を手にして、逃げたんだ」
これでもう、自由なはずだった。もう誰も殺さなくていい。もう、感情を捨てる必要はない。自由になったはずだった。でも、自由という残酷さに打ちのめされた。
「生き方がね、分からなかったんだ。人を殺す事しか知らなかったから、どうやって生きていけばいいか分からなかったんだ」
武器を持ったまま薄汚れて立っている子供なんて不自然だ。身を隠して、飢えて仕方がなかった。でももう、誰かを殺して生きるのは嫌だった。ここで誰かを襲って何かを奪ったら、もう人に戻れない。誰かの命令ではなく自分の意志でそれをしてしまったら、全部が自分の意志だったように思えてしまう。
「隠れていた荒ら屋で死にかけていた俺を見つけてくれたのが、ダレンのじっちゃんだった」
警戒して、フラフラしながらも威嚇した。そんなレヴィンに、ダレンはほっとした笑みを浮かべてたった一言「よかった」と言ってくれたのだ。
「じっちゃんは俺が何であるか分かってた。それでも、俺の事を受け入れて養子にしてくれた。子供がないからって、奥さんと二人で喜んでくれた。俺は、ずっと泣いてたっけ」
温かいものに触れるのが怖かった。でも、温かさのほうから触れてくれた。くれる心が嬉しくて、動かなくなっていた気持ちがゆっくりと戻った。苦しいとか、悲しいとか、怖いとか、言えるようになったのは半年後。嬉しいとか、楽しいという気持ちを言えるようになったのは、更に半年後だった。
「人として、じっちゃん達が俺を生き返らせてくれた。七年くらいかかってようやく、俺は人としてまっとうな生き方を考えられるようになった」
随分かかったと思う。ふとした瞬間に浮かぶ恐怖に叫んだり、罪悪感からくる自傷行為から抜け出せたのは十八歳くらい。惜しみない愛情を注いでくれた初めての家族がいなかったら、今もずっとダメだった。
「それでも仕事にはつけなくて、そんな自分をずっとダメだと思っていた時にじっちゃんが軍の仕事を俺にもってきた。あまり気は進まなかったけれど、じっちゃんを安心させられるならって受けた。それが、二十五歳くらい。その一年後に、シリルに出会った」
隣のシリルに微笑みかける。ずっと泣いてくれる優しい子に触れる。初めて出来た大切なもの。傷つけたくない、守りたいもの。この子を通して過去の自分を許した。今この子を守る力になるなら、忌まわしい暗殺の能力も構わないと思えた。
「シリルに会って、知っていって、俺は初めて誰かを好きになった。体が熱くなるような、そんな感情を知った。大切な人を得られたんだ」
「レヴィンさん」
「だからこそ、触れるのが怖かった。自分の罪を知っているから、この手が汚れている事を知っているから、触れるのが怖かった。拒絶が怖かったんだ。俺の事を知ったら、なんて言うだろう。大抵は怖がるだろうし、汚らわしいだろうし。俺ですらそう思うんだから、きっと嫌われるだろうって」
今までも罪の重さは分かっていた。この手で殺した人は悪人じゃなかった。大抵が優しそうな人だった。心配してくれた。それを利用して近づいた穢れは拭えない。
でもシリルを得て、逃げられない事を知った。怖くなったのだ、拒絶が。誰に知られてもシリルにだけは知られたくなかった。離れて欲しくなくて、近づかないようにした。触れたいけれど触れられない。汚したくないから、距離を保とうとした。
「ごめんね、こんなんで。せっかく好きになってくれたのに、相手がこんな殺人鬼で、ごめんね」
ごめんね、綺麗な奴じゃなくて。ごめんね、問題ばかりで。ごめんね、嘘つきで。ごめんね、全てを言えなくて。
謝る言葉が沢山で頭が痛い。どうしようもない人間で、もう自分でも訳が分からない。ただ今は、殺されるかもしれないと怯えていた五歳の時よりずっと、「来ないで」という拒絶のほうが怖いんだ。
「レヴィンさんが謝る事は何もないです」
そっと頬に触れた手が、いつの間にか流れていた涙を拭った。そして、とても優しく唇が重なった。
「僕こそ、ごめんなさい。何も知らないままで。レヴィンさんこそ、僕のこと許せなかったんじゃないですか? 貴方をこんなに傷つけ、苦しめたのは王族なのでしょ?」
「違うよ。国王は直接この件に関して知らなかった。当時の宰相が行っていた事だったんだ」
「それでも、家臣の勝手を許した罪はあります」
言い切ったシリルが肌に触れた。様子をみながらそろりと、気遣うように。
「レヴィンさんはいつも、自分が悪いって言います。でも、違います。レヴィンさんが悪いんじゃない。もっと、他人を責めていいんです。僕の事も、責めていいんです。許さないって怒っていいんです。貴方に責任なんてありません」
涙に濡れた瞳が近づいてくる。呆然とそれを見て、触れる唇を受け入れる。温かくて、優しくて、甘い時間。いつもここで時間が止まればいいと思ってしまう。この気持ちだけをずっと手放さずにいられればと願う。
「僕は、レヴィンさんが好きです。汚いなんて思わないし、怖いなんて思わない。愛しています、心から」