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1話 やり残した事(3)

 執務室へと戻ったユリエルに、クレメンスとシリル、そしてレヴィンが苦笑する。一仕事を終えたその心地よい疲れをほんの僅かに感じている。


「休まれますか?」

「いや、いい。それよりもクレメンス、知っていたのか?」


 問えば、悪戯っぽい笑みを浮かべて片眉が上がる。実に楽しそうだ。


「いつだ?」

「リゴット砦の戦が終わった直後です。陛下こそ、随分と早くお耳に入れていた様子。リゴットの一件は、これが原因ですね」


 問われ、ユリエルも困った様に頷いた。


「お前の事を過小評価していたらしい。クレメンス、優秀な臣を持った私は幸せだ」

「再評価を頂けました事、光栄に思います。ですが陛下、臣として一言申し上げます。信じていただけねば主の心を疑います。貴方が信じ、託して頂けないと動けない。我らはいつでも、貴方の無謀を現実にするために尽力いたすのです。忠義を疑えば、人は離れましょう」


 有り難い忠告をもらい、ユリエルは苦笑して頷く。だが、事があまりに大きすぎて言えなかったのだ。今もまだ、言えないのだ。


「陛下は随分と前にこの情報を仕入れていた様子。ですが、ルルエに間者を個人的に入れてはおりますまい。繋がりを持つルルエの者がいるのですか?」

「そんなところだ。だが、これ以上は詮索するな。相手の素性は明かせない。危険に晒す事はできない」

「心得ております」


 丁寧に礼をしたクレメンスは、本当にこれ以上は踏み込まない。そこが有り難い。


「ですが、やはり問題はルルエの現状です。あの国は教皇と国王が同列にいる。その教皇が野心を持って国を侵食しているのでは、王もうかつには動けないのでしょう。和平の道は教皇を退けねば遠い」

「宗教家に手を出せば、和平への道は遠ざかります。ルルエの民は王を敬愛し、神を信仰している。教皇を害すれば、民の反発はこちらに向きます。和平は叶わない」


 ユリエルの言葉に、クレメンスも深く頷く。

 実際の問題、これは大きい。ルーカスは教皇を廃するための手を打っているが、明らかな謀反の証拠がなければ教皇の不信任を出す事も難しい。出したとしてもルーカスを民が選ばなければ、玉座から落とされるのは彼の方になる。

 なんとも悩ましい。自国のことなら手の打ちようもあるのだが、他国の政治に介入するとなるとかなり繊細にしなければいけない。

 ルーカスの助けになりたいが、出過ぎれば彼を危険に晒す。この微妙な力加減に苦慮しそうだ。


「ユリエル様、ルルエ側に協力者がいるのでしたら細かな情報を拾う事をお忘れなく。こちらは準備が整っております。効果的な時に、効果的な方法でアプローチをする。ですが、教皇側の人間に知られる訳にはゆきませんよ」


 ユリエルはその言葉に、思慮しながらしっかりと頷いた。


◆◇◆


 その夜、執務室隣の仮眠室を訪ねる者がいた。ユリエルが開けるとシリルとレヴィンが並んで立っている。穏やかに笑い、ユリエルは二人を迎え入れた。


「どうしましたか?」

「兄上、ルーカス様とはその後どのようになっているのですか?」


 事情を知っていると面倒がない。気遣わしい様子でシリルが問いかける。レヴィンも頷きつつ、周囲の様子を注意深く探っているようだ。


「私がリゴット砦を出る前に会った様子では、苦戦しているようです」

「親書のありかが分からないのですか?」

「それは分かったようですが……持っている人物が実に厄介なようです」


 心配そうな顔をするシリルに、ユリエルは腰を下ろしてゆっくりと事情を話し出した。


◆◇◆


 リゴット砦を出る前に、ユリエルはルーカスと会った。長く離れる事になりそうだったから、その前にと思って。

 事情を聞いたルーカスはとても心配そうな顔をした。その心配がユリエルばかりではなく、シリルやレヴィンにまで及んでいるのは確かだった。


「無理をしないでくれ、ユリエル」

「分かっています」

「シリルもレヴィンも、無事でいてくれるのを願う。タニスの地が平定されることを、心から願う」


 穏やかに、深い優しさを込めた言葉に頷き、抱きしめてくれる腕に甘えた。離れるとしばらく会えない。こうした時間も、あとどれくらいか。


「必ず収めてきます」

「あぁ」

「貴方の方はどうですか? 親書の行方、分かりましたか?」


 問いかける。それに、ルーカスは実に深刻そうな顔で頷いた。


「親書を持っているのは、バートラムという男だ。聖教騎士団団長、聖教騎士団の軍事総長だな。教皇アンブローズの直属の部下だ」


 その事実に、ユリエルは僅かに落胆した。そのような人物が親書をかすめ取ったのなら、もう残ってはいないだろう。

 肩を落としたのが伝わったのか、叩かれる。そしてとても穏やかな金の瞳が、ゆっくりと首を横に振った。


「あの男が関わったなら、おそらく親書、もしくはそれに準ずる証拠は残っている」

「え?」


 信じられないが、ルーカスは確信しているようだった。どういうことなのか、それを問いたい思いで先を待っている。


「アンブローズという男は歪んだ征服欲を持っている。こういう男は実に厄介だが、バートラムは違う。奴は狡猾だが、中身は権威欲と金欲だ。実に扱いやすい」


 確かにルーカスの言う事にも頷ける。征服欲というのは実に厄介だ。他を平伏させなければ収まらず、その為に様々な事をしでかす。権威や金も厄介だが、まだ俗物だ。


「だが、問題は狡猾さと肝の小ささだ。軍人としての腕はあり、自信に満ちているがそのくせ小心だ。故に保身に走って始末すべき証拠を持ち、自身は城以上に堅牢な屋敷に住んでいる」

「なんてちぐはぐな」


 とは言うが、案外そういうものなのだろうか。

 ルーカスまでもが苦笑して頷いている。彼もまた、そう思うのだろう。


「うちの密偵に探らせて、ほぼ間違いない事が分かったが潜入ができない。顔を見知った精鋭の部下百人が常に常駐だ。手伝いや出入りの人間まで顔見知り以外を屋敷に入れない徹底ぶりだ」

「随分ですね」

「あぁ、まったくだ。この状態では密偵を入れられない」

「その密偵というのは、以前レヴィンと刃を交えた者ですか?」

「あぁ、そうだろうな」


 そういうことなら、少し話を聞いた。まだ若い小柄な人物だったと記憶している。


「ヨハンという。腕はいいが小柄で力がない。百人の屈強な騎士を相手にするには力が足りない。長時間の戦闘には耐えられないだろう。しかも屋敷に人を入れない事で見取り図が分からない。どこに何を隠しているのか、まったく掴めていない。しかも奴はよほどじゃなければ自ら戦場に出ていかない。可愛い部下を送り出すばかりだ」

「それはいいのですか?」


 責任ある者が引きこもり、部下ばかりを表に立たせるなんて。誰よりも前に立って戦場をかけるユリエルからは想像できなかった。


「俺が命じる事のできない聖教騎士団だ、どうにも奴を屋敷から出せない。しかも俺が何かをすれば、教皇アンブローズに感づかれる。手詰まりだ」

「引き離す事が出来ればいいのですがね」


 確かに厄介だ。探すにはよほどの確信があるか、奴を長時間引き離すしかない。しかもルーカスの管轄にないのでは、現状動きようがないのか。


「こちらは何とかする。ユリエル、まず君は国を治めてきてくれ。そちらだけでも準備が整えば、後に動きやすくなるだろう」


 そう言って、穏やかに微笑み見送ってくれた人物は優しいキスをくれた。


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