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1話 やり残した事(4)

◆◇◆


 ルーカスの現状を伝えたユリエルに、シリルとレヴィンは複雑な顔をする。動きが取れない事は察してくれたらしい。


「難しいな、それは。暗殺も密偵も、まずは中に入り込む事が一番だ。そこがまずできないのは難しい。おそらくフェリスでも、顔見知りばかりで現場を仕切られると動けない」

「やはりそうですか」


 どうにかならないか。思ってフェリスに例え話で聞いてみたが、即答で「無理です」と返ってきた。それによると、変装して入り込む事までは可能なのだと言う。だが、あまりに人の関係が密な場所だとちょっとした仕草、話し方、会話のズレが違和感となるそうだ。そこから綻びが出る。彼女いわく、一時間程度の潜伏が精々とのことだ。


「どうにか表に出す方法はないのでしょうか」


 シリルの問いに、ユリエルも上手くは答えられなかった。


「まぁ、そちらは状況を見ながら考えます。ところでシリル、本当に私と一緒に前線に戻るつもりですか?」


 問いに、シリルは目を丸くして至極当然のように頷いた。


「はい、ご一緒します」

「王都でも十分に貴方の力は発揮できますよ。それでもですか?」

「はい。兄上は前線で軍の指揮を執ったり、和平に向けた頃合いを見計らったりしながらの執務です。僕は戦場に出る事はできませんが、日々の執務を軽減する事はできるでしょう。兄上の側で直接、お役に立ちたいと思います」


 淀もない視線にユリエルの方が苦笑する。戦う事を恐れ、戦場を恐れていたはずなのに今ではこうだ。なんて頼もしい。

 確かにシリルが側につく事は有り難い。以前は彼を傀儡にしようとする輩がいたが、今はいない。だからこのまま王都詰めでもいいと思っていたのだが、どうやら手伝ってくれるようだ。


「後方の支援や、兵糧の管理、国内情勢の把握はお任せ下さい」

「そんなに?」

「はい。今クレメンスさんに内政で出来る限りの軍事支援を教えて頂いています。大体は把握できましたので、後は少しずつ実践を交えてやっていけばコツが掴めると思います」

「……」


 一ヶ月、ユリエルが国政で忙しくしている間にシリルもまた逞しく成長したようだった。


「ユリエル様、前線が動いたらあの人との情報交換どうするつもりだ?」


 レヴィンはそう問いかけるが、既に何かを察してくれているようだ。その点を、ユリエルも困っていたのだ。今は谷間の家で会話をしていたが、リゴット砦よりも前に前線がせり出せばあそこが使えない。彼と連絡を取る方法は鷹のファイだけとなってしまう。それも頻繁には飛ばせないだろう。


「俺が運ぼうか」


 ニヤリとレヴィンが笑い、シリルが頷く。てっきり反対するかと思っていたシリルは、あっさりとこの事を了承しているようだった。


「いいのですか?」

「俺はあの人の顔を知ってるし、あの人も俺が味方だってのは知ってる。周囲にばれないようにできれば、話が早いだろう」

「兄上、レヴィンさんに任せて下さい。勿論身の危険が迫れば引き返してもらいますが、これは大事な事です。すれ違ってしまったら大変な事です」

「シリル」


 にっこりと笑うシリルに穏やかな笑みを浮かべ、ユリエルは心から頭を下げた。


◆◇◆


 翌日、国民は城の前の広場に集められた。そこには旅人や商人の姿もあり、今や遅しとユリエルが出るのを待っている。

 ユリエルは凛とそこに立った。一歩下がってシリルとレヴィン、クレメンスが立ち、その更に後ろに家臣団が控えている。人々の熱のある視線を受け、ユリエルは心を落ち着けて語り始めた。


「ここに集まるタニスの民に、国王ユリエルより大切な事を伝えたい」


 男の声にしては高く、女性にしては低い。だが耳に心地よく、よく響く声をユリエルは持っている。通りにまで溢れる人のその端々にまで届くよう願いを込め、ユリエルは更に言葉を発した。


「この度、宰相ロムレットは国の臣や多くの民を人知れず葬り、その周囲の者も同じ罪を犯した事実は知らせた通りだ。だが、彼が犯した罪はそればかりではない」


 人の息を呑む声は、これほど集まれば大きな揺らめきに聞こえる。動揺は未だに人々の中にあるのだろう。表向きは落ち着いていても、あれだけの人の処刑は目に焼き付いてそうは離れないものだ。


「ここに、ルルエ国王ルーカス・ラドクリフ王からの親書がある」


 手に、丁寧に畳まれた親書を持って人々の前に掲げた。それがどれほど小さいかは分かっている。紙には僅かに赤黒く変色した部分もあった。これを持った使者が、最後までこれを手放さなかった証だ。


「彼の者はルルエの使者を殺し、王の親書を奪い取った。国家に背く、しかも宰相という立場にある者にあってはならない行為だ。これがもしも開戦前に届いていれば、国家の行く末はもっと穏やかなものとなっただろう」


 ザワリザワリ、人の動揺は空気となって伝わってくる。人々のそれは大きな波だ。ユリエルはその前で、親書を広げた。


「親書をそのまま読む。皆に伝える王の言葉を、そのまま受け止めてもらいたい。

『タニス国王、ユリエル・ハーディング殿


 この度のタニス侵攻は、ルルエ国王としての私の治世において最も愚かな、猛省すべき行いだと思っている。多くの民が死に、私もかけがえのない者を失った。全ては王としての力不足によるものだ。

 だが同時に、貴殿の心を知る事ができた。人づてに、貴殿が両国の死者を分ける事なく等しく葬り、丁寧に慰霊を行ってくれた事を知った。心より感謝する。

 碑に刻まれた貴殿の、両国を憂い平和を願う言葉を聞いて、貴殿とならば血濡れた国の溝を埋め、手を取り合って和平を結ぶ未来を描けるのではないかと思っている。

 二国の間にある溝は歴史の深さだけあるだろう。だが、どこかで手を取る事ができねばつぶし合う事となる。これ以上の争いを私は望まない。私はタニスという国を、平和的に旅し、触れてみたいと願っている。

 貴殿の中に私と同じ心がある事を願い、ここに話し合いの場を求める。過去の清算と、これからの国のあり方を語らいたい。

 色のよい返事を待っている。


 ルルエ国王、ルーカル・ラドクリフ』」


 親書をしまい、ユリエルは瞳を閉じる。この親書を読んだとき、一人で部屋で涙を流した。これがラインバール開戦よりも前に手元に届いていれば、彼と穏やかに出会い、驚きつつも穏やかに話ができただろう。潜んで愛を育むのではなく、もっと堂々と会うことができただろう。

 そうならなかった事が悔しい。そして改めて、彼の心を知った。彼の大きな願いを知った。

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