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第十話

 八月二日。泣く泣く浅木に残った清巳は壮大な数奇屋すきや門を見上げていた。白壁に掛けられている表札には『万里小路』と書かれている。

 ネットで確認した工房の外見には立派な門はなかった。――恐らく、この敷地内にあるのだろう。

 じりじりと肌を焼くような日差しに滲む汗を腕で拭う。手でパタパタと仰ぎながら辺りを見渡すが、静の姿はまだ見えない。

 刻一刻と時間が迫る。

 時間になっても現れず、清巳は諦めて呼び鈴を鳴らした。


『はい』

「知り合いに今日の十時にここへと言われて来ました。伊地知という者です」

『お知り合いの方に、ですか? 失礼ながら、その方のお名前をお願い致します』


 清巳は頬を引き攣らせた。

 まさか、話が通っていないのか。

 彼女の名前を出そうとして、しかしフルネームを知らないことに気がついた。

 視線が泳ぐ。


「静という女性なのですが」

『静様、ですか。確認致しますので、少々お待ちください』


 清巳は遠い目をした。

 もうやだ帰りたい。弟と妹に会いたい。いくら通話で二人の声を聞けているとはいえ足りない。可愛い弟のご飯が足りない。可愛い妹の笑顔が足りない。

 待つこと十分ほど。木造の門扉が開かれた。


「やっぱり兄ちゃんやないか! どうしたん、誰に用事なん」


 聞き覚えのある快活な声に目を見開いた。


「一ノ瀬? なんでここに」

「じーちゃん家なんよ、ここ。あ、オフレコで頼むな」


 清巳は首肯した。

 有名税を厭う気持ちはよく理解できる。人間国宝の孫娘ともなれば、ソロで金青ランクを取った清巳の比ではないほどの被害になるだろう。


「それで、静になにを言われて来たん?」

「これを渡されただけだ」


 数日前に渡されたメモ用紙を広げてみせる。

 佳弥は呆れを隠しもせず悪態をついた。


「これでどないせ言うねんあのアホ。結局パープルダイヤも見に来んかったし、なに考えとるんやろ」


 清巳は軽く目を見開いた。

 あれほど興奮を露わにしていた静が見に行かなかったのはおかしな話だ。剣を気にして素直に見に行けなかったのか、あるいは研究機構での一件でとりやめたか。

 どちらにしても清巳にも一因がありそうで、胸中にさざ波が立つ。


「まぁええわ。入り。工房はこっちや」

「お邪魔します」


 清巳は小さく頭を下げて門をまたいだ。正面のお屋敷へ続く道から右に逸れ、奥へと入る。

 先日、ネットで見たのと同じ建物の扉を佳弥はすぱんと開け放った。


「じーちゃん、入るで。あんな、静に来るように言われたっちゅう人がおるねんけど、うち知らんのよ。なんか知らん?」


 建物の外で逡巡していると、話ながら中に入った佳弥に手招きをされた。恐る恐る足を踏み入れて彼女の後を追う。

 台の上で剣を磨いていた源治が顔を上げた。


「来たか」


 磨いていた剣を置いて源治が言う。

 その言葉に反応したのは佳弥だった。


「じーちゃん、知ってたんなら話くらい通しておいてや。うち、静が最近来とったことも知らんのやけど」

「言っておろう、あれは簡単に縛れるものではない。佳弥に会いに来たわけでもないのに、娘御が門から入るわけがなかろう」


 それが当然と言った口調で告げて、源治がすっと目を細めた。

 どことなく居心地が悪くて、清巳は愛想笑う。


「お主も気をつけなさい。あれに魅入られれば連れて行かれるぞ」


 それは忠告だった。だが要領を得ない内容に清巳が反応に困っていると、佳弥が抗議の声を上げた。


「じーちゃん、うちにはともかく、にーちゃんにまでようわからんこと言わんといて」

「必要な事じゃ。魅入られて失ってからでは遅い。時に、お主、名はなんという」


 源治の誰何に背筋を伸ばした清巳は、丁寧に頭を下げた。


「初めまして、伊地知清巳と言います。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」


 沈黙が降りた。


「じーちゃん?」


 訝しむ佳弥の声に清巳はそっと頭を上げた。


「……いや。万里小路までのこうじ源治だ。ついてきなさい」


 工房の奥へと源治が身を翻す。


「にーちゃん、ほんまアホとじーちゃんがごめんな。お茶を用意してくるさかい、話進めたって」


 手短に謝って佳弥が踵を返した。その背を見送り、清巳は源治の後をついて工房の奥へと進み、鍛冶場に足を踏み入れた。

 思ったよりも中は整然としていた。炉に火がついておらず、暑中も終わりに近いとはいえ、少し寒いくらいの空気が室内に満ちている。

 源氏の姿を探して首をめぐらせた清巳は、布に包まれたものを台の上に置く源治のもとへ足を向けた。

 ゆっくりと開かれた布の下から、見慣れた紫色を帯びた暗い青色の刀身が露わになる。

 清巳は息を飲んだ。


「あの娘御が持ってきたこれは、お主のもので相違ないか」

「……触れても、よろしいでしょうか」


 喉に力を込めて、努めて平静に尋ねる。


「構わん。そこのスペースならば試しに振るくらいならできよう」

 清巳は緩慢に柄を握りしめ、剣を持ち上げた。源治が指し示した場所に移動して、深呼吸をひとつ。気を研ぎ澄ませた清巳は、一度、剣を振り下ろした。

 以前よりもやや重いが、振り回せないほどではない。手になじむ柄も、鍔の意匠もよく知っている。

 二ヶ月程前に手放したはずの自分の剣に、清巳はどうしようもなく声を震わせた。


「間違いありません」


 震える声を恥じるように清巳は口元を覆った。

 静が後をつけ回したり、ポストに花を置いたりしていたのは、きっと剣の修繕が終わるのを待っていたのだろう。

 確かにオリハルコンは他の鉱石と異なり再鍛造しても強度は落ちないが、それには特殊な条件が必要と聞く。その詳細を清巳は知らないが、人間国宝と言われる鍛冶師の手によるものならば、こうして修繕されたことにも納得がいく。


「――お主は、なんのためにダンジョンへ行く」


 唐突な問いかけに清巳は顔を上げた。

 じっと自分を見据える目を見つめ返しながら答える。


「弟と妹を食わせるために」

「それを使いこなせる……といっても武器に頼ることが多いようだが、食い扶持などとおに貯まっておろう。なぜ、まだダンジョンへ赴かんとする」


 懐かしい感触に何度も柄を握りって確かめながら、清巳は思案するように目を伏せた。

 彼の言うとおり、ダンジョンに行かなくても生きていける資産はある。それでも命を賭して、家族の心配を置いて、ダンジョンに潜るのは。

 ゆるりと瞼を押し開き、清巳は力なく笑った。


「ふたり以外に、俺の手に残ったのが、探索者という道だけだったので」


 ほかにも大切なものはあった。ただ、気づけばその多くは零れ落ちてしまっていた。


「それがあるから、俺はまだ、あいつらの兄でいられるんです」


 夢も希望も日常さえも奪われて、必死に足掻いた自分に残ったものを手放せるはずがない。それがあったから生きられたのだ。だから、ダンジョンへ行かなければならない。


「そうか。道隆も、隆志くんも逝ったか」


 悼むように静かな声に清巳は大きく目を見開いた。


「祖父を、父をご存じなのですか?」

「その剣は、遠い昔に、あやつの希望でわしが打ったものだ。だが、息子のことはいる知っておるだけで会ったことはない」


 源治の言葉を理解するまでに時間を要した。

 祖父が探索者をしていたという話は聞いたことがない。そもそも、この剣は昔の家の倉庫に眠っていたもの。なぜ祖父の家ではなく昔の家にあったのか。そもそも、祖父の知り合いのなかに人間国宝である鍛冶師の名はなかったはずだ。知らせを出すときに確認したのを覚えている。

 源治は懐かしいものを見るように、けれども寂しさを滲ませた目を和めて微笑んだ。


「大事に使いなさい。――お主自身の命を」


 清巳は息を詰めた。


「剣が泣いていた。家族を思うならば、自らの身を切る戦いはやめなさい。老骨のお節介だ」


 鍛冶場を後にする源治を振り返ることができなかった。

 初めて会ったばかりで、言葉を交わしたのも長くはない時間のなかで、見透かされたような気分に、清巳は自嘲の笑みを浮かべた。

 捨て忘れていた鞘をポーチから取り出して、刀身を収める。


「……剣が泣いてた、か」


 清巳は鞘の表面を指で撫でた。


「昔みたいに魔法が使えたなら……」


 魔法――正しくは魔力を扱うことと武器を扱うこととは密接に関係している。刀剣や鈍器などの武器は主に魔力を通すことで刀身の保護と強化を行う。魔動拳銃などの射出武器は魔力を打ち出すものだ。魔力無しで魔物を傷つけることは可能だが、威力は格段に落ちる。

 それでも清巳が魔物を撫でるように倒せるのは、単にオリハルコンという性能の良い剣を使っているからに他ならない。


 昔、慣れない剣を握ってダンジョンに潜り始めた頃はまだ使えていた。だが、徐々に使いにくいということが増え、無理をして深層に潜ったあの時からめっきり使えなくなってしまった。

 以来、武器の性能頼みという半人前探索者と同じ戦い方をしている。

 剣が戻ってきたことへの安堵と、これがあるならと驕ってしまいそうな自分に清巳は苦く笑った。


「いや、わかってる。俺には、弟と妹しかないから」


 何を捨てても、二人が無事に生きてくれているならばそれでいい。ダンジョンがあったからなんとか生きてこられた。土地を侵略するように出現しては消失する災害、ダンジョン。その異変に日常を奪われ、変哲のないダンジョンに助けられているのはなんとも皮肉な話である。

 それでも、不安を飲み込んで笑う二人に罪悪感を抱きながら、兄としての顔を貼り付けて清巳はダンジョンに潜る。そして語るのだ。弟と妹が可愛いと。

 清巳は隣の部屋に移ると、作業を再開している源治に声を掛けた。


「すみません、これの修繕費用について伺いたいのですが」

「娘御から貰っておる。改めてお主に請求するようなことはない」


 想像に違わない回答に清巳は額を抑えた。

 魔宝石の山を貰って剣も直して貰うよう話をつけた上に、費用も支払い済み。そして毎日ポストに置かれる魔宝石。貰いすぎて怖い。


「わかりました。恐らく、急なお願いだったにも関わらず、お忙し中、修繕依頼を受けてくれて本当にありがとうございます」


 清巳は改めて深く頭を下げた。


「いい息抜きになった。あまり剣を泣かせなさんなよ」

「善処します。重ね重ねにはなりますが、ありがとうございました」


 清巳が建屋から出ると、ペットボトルを片手に戻ってきた佳弥がいた。


「終わったん? ずいぶん早かったな」


 差し出されたそれを礼を言って受け取り、清巳は工房を振り返った。


「剣の受け取りだけだったからな」


 話ながら貰ったペットボトルの蓋を開け、清巳は乾ききった喉に流し込んだ。冷たいスポーツドリンクが身体に染み渡るように、体幹から冷気が広がる。

 気がつけば全部飲み干していて、水分を取り忘れていたことにようやく気が付いた。


「いい飲みっぷりやったなぁ。ところで、剣の受け取りって、まさか静がにーちゃんの剣を折ったんやないやろうね?」


 話してもいないことを佳弥はぴたりと言い当てた。

 ごまかそうかとも思ったが、どうせ静に聞けば分かることだ。

 清巳は正直に告げた。


「折ったのは俺が未熟だからだ。静の一撃を受け止めたのが大きな要因ではあったけど」


 だからこそ、静も気にして捨てたはずの剣を拾い上げたのだろう。

 佳弥がばっと頭を下げた。


「ほんまに申し訳ないわ、にーちゃん。そこまで気が回らんかった」

「気にしないでくれ。捨ててきたと思ってた物が帰ってきた。俺はそれでいい」


 顔を上げた佳弥はしばし清巳の顔を見つめ、やがてひとつ頷いた。


「そうは言うても、迷惑をかけたお詫びはせなな。静には劣るけど、魔宝石を使った細工や魔道具作成の依頼があれば一回無料でするから言うてな」

「いや、そこまでしてもらうわけにはいかない」


 引き下がる清巳に、佳弥は真摯な目で告げた。


「うちの気がすまんのや」


 そう言われると固辞するのも難しく、清巳はしばし考え込んだ。

 依頼したい内容はある。一応、彼女も候補に挙げたが、正式な注文は年単位でかかるので除外したのは記憶に新しい。とはいえ、頼めそうなものはそれしかない。


「なら、魔宝石を使った簪を二つ依頼したい。一個分の費用は出す」

「費用はええて。種類やデザインの希望はあるん?」

「手持ちの魔宝石を使って貰えればそれで。デザインは相談したい」

「使いたい石は今ある? あるなら見せてもろてもいい? もの次第で提案できる加工があるとも限らん」


 清巳は空を見上げて遠い目をした。見てもらった方が早いだろう。

 鞄から段ボールを取り出して佳弥に見えるように開いた。

 箱の中をのぞき込むまでもなく煌めく魔宝石たちに佳弥の頬が引きつった。


「これ研磨したん、あのアホやな。なんやごめんな……」


 一目で静の手によるものと見抜いた彼女の慧眼に舌を巻く。


「あと六箱あるから使う魔宝石は任せる。ひと箱貰って、あとは返す予定だけどな」

「ほんまにアホがごめんな……」


 何度目かもわからない謝罪を口にしながら佳弥はポーチからメモ帳を取り出した。

 デザインするにあたって必要なモチーフや色、形などを尋ねられた清巳は、頭の中に漠然としたイメージを答えていく。

 妹へのデザインイメージは簡単に答えられたが、問題は静だ。彼女が着飾っているイメージが湧かない。首飾りと左手の示指に指輪をしているが、着飾るためという印象がない。

 髪とて雑に切られた程度のもので、おしゃれにはほど遠く、恐らく興味はないのだろう。


「静の分はいっそ珍しい魔宝石さえ使われていればいいか……?」

「え? もう一つは静にやるん?」

「妹がお揃いがいいと言ったからな」

「えらい妹ちゃん懐いとるな……?」

「理由は俺も知らない。色味なら、緋緋色金のような赤は綺麗だと思うが、それ以上は思い浮かばない」


 そう告げる清巳の脳裏にには、緋色の刀を携えて毅然と佇む姿が鮮明に浮かんでいる。そのイメージと、あとは変人という印象が強くて、彼女に似合うだろうモチーフはひとつも思い浮かばない。

 ぱちりと目を瞬かせた佳弥は、意味深な笑みを浮かべた。


「静のは緋緋色金な。あれば、やけど。妹さんに使いたい石の希望はある?」

「ルビーだな」

「それなら同じ赤でちょうどええ……、……にーちゃん、実は根にもっとる?」

「なんのことだ?」


 唐突な質問の意図が掴めず、清巳は訝しげに眉を寄せた。


「なんでもあらへん。魔宝石の箱なんやけど、色味も見たいから一旦全部借りるで。いくつかデザイン案をあとで送るさかい、よろしゅうな」


 ポーチの中で眠っていた箱を佳弥の作業場へ置き、清巳は帰路についた。









 その夜。久方ぶりに仏壇の戸を開いた清巳は驚愕に目を瞠った。

 二つ写真立ての間に置かれている褐色の花。ポストに入れられているそれよりも一回り大きい。覚えているのと写真の位置が僅かにずれている。

 克巳も明美も、ここはあまり触らない。飾ってある写真は二人ともデータで持っているため、わざわざこの部屋に来ることもあまりない。

 報告がないと言うことは気がついていないと言うこと。つまり、魔宝石が置かれたその時からずっとここに眠っていたことになる。

 前回入ったのは静が家に来たときだ。それ以来、清巳も触れていない。


「いったいどれくらい貢ぐ気なんだあいつは」


 額を抑えてぼやきながら清巳は腰を下ろした。

 手元に戻ってきたオリハルコンの剣を取り出して、清巳は写真の前に掲げた。


「じーちゃんが使ってた剣だなんて、まったく知らなかったよ」


 鞘から剣を引き抜いて、じっと剣を見つめた。

 剣が戻ってきたのは嬉しい。ただ、その費用が気に掛かる。一応、換金すればそれなりの額になる素材はポーチの中にため込んでいるが、それで足りるだろうか。

 そもそも受け取ってくれるだろうか。どうやって渡そう。

 思案に暮れていると、ぽこんと小さな電子音が、刹那に静寂を断ち切った。

 差出人には一ノ瀬佳弥と表示されている。届いたメッセージを開くと、ぱぱぱぱぱ、と表示された数枚の画像に目を丸くした。


「仕事が早いな」


 仄かに笑みを浮かべて清巳は剣を鞄に収めた。

 佳弥から届いた簪のイメージ像をじっくりと見比べる。明美のものと静のもの。彼女たちが身に着けた姿を想像し、求めるものを詰めるために返信する。

 妹は喜んで身に着けてくれるが、静はどうだろう。お揃いという条件だったのでなにも考えずに簪にしたが、例えば耳飾りとかでもよかったのでは。

 今更ながらに心配になって考え込んでいると、再び電子音が響いた。提示された新たなデザインとそのレスポンスの速さに苦笑し、清巳は真剣にデザインを見比べる。








 明け方。デザインの打ち合わせを終えて清々しい思いを抱きながらポストの確認のため外に出る。

 いつものように鎮座する魔宝石の花に、清巳は納得のいかない表情を浮かべた。





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