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第十三話

 回収袋を機構に提出した清巳は、逃げる間もなく高垣に背後に立たれて顔をしかめた。

 後ろから感じる威圧に気づかなかったことにして横に動こうとした直前、高垣が口を開く。


「協会が調査に応じる代わりにお前たちを指名した」

「お断り致します」


 即答した清巳に空気が僅かにざわつく。

 清巳は受付から振り返って東都支部の副部長を睨めつけた。


「弟妹を愛でに行くのに忙しいので他を当たってください」

「それができたら苦労はせん」


 無言でにらみ合う二人を見比べ、静は清巳の服をつんつんと引っ張った。


「協会の人、潰しても良い行事?」


 嬉々として尋ねられた内容に高垣の頬が引きつる。

 しばし思案した清巳はわずかに首を傾げて答えた。


「喧嘩売ってくるならいいんじゃないか?」

「ダメに決まっているだろう馬鹿どもめ。更にこじらせてどうする」


 連盟への調査協力が得られず、浅木地区内のダンジョンは研究機構の管轄であることを盾に協会に協力を仰いだ。七年前の四国事変は協会管轄の都市で生じた異変でもあり、協力姿勢も見られていた。

 ところが、協会幹部の秘書が重症、そして復帰困難な状況になってしまったことで協会は手のひらを返した。引退したとは言え、高名な元探索者を再起不能にした代償である。なんとか頭を下げて根回しして、ようやく当事者二人は同席させることを条件に協力を得られることになった。

 ゆえに、当事者二人には拒否権はない。ということを懇切丁寧に説明するが、静はなにひとつ堪えぬ顔で断言した。


「じゃあいいや」


 静が清巳の腕を引っ張る。


「これは支部長命令だ。拒否するなら剥奪も辞さない」

「…………………………………………………………………………………………ちっ」


 忌々しげに清巳が舌打ちした。

 悲しいかな、いつの時代も現場の人間は上からの無茶振りに振り回されるのである。どれだけ嫌がっても、どれだけ面倒だと思っていても、どれだけ早く帰りたくても、組織上許されないものは許されない。

 なお、静は黒鉄であるため、その範疇ではない。協会が無理を敷いているだけで、静だけは規則上強制参加させることだけはできないと理解している高垣は、他人事の顔をしている静の返答は求めなかった。元金青ランクパーティーの一員を一撃で沈めた化け物相手に実力行使は探索者の無駄遣いである。


「調査日程は追って連絡する」


 素直に従うのも癪で清巳は足を留めて良い笑顔で嫌みを吐いた。


「空気がおかしいので近隣住民に避難指示でも出しておくことですね。首が薄皮一枚でも残るかも知れませんよ」

「……頭の片隅に留めておこう」


 すぐすぐに応じる気はない一言に、清巳は感情のない目を剥け、逸らした。手を引く静のあとを追うように支部を後にする。

 鬱々としながら帰路を進み、家の前に立った。ポーチから取り出した鍵で解錠し、家の中に入る。玄関前の床に腰を下ろした清巳は、狂いに狂った予定を嘆いてうな垂れた。


「会えない……克巳と明美に会えない……」


 調査隊への同行命令が下り、探索資格を盾にされた以上、浅木地区から離れることはできない。捕まる前に逃げたかった。弟妹の元に帰りたかった。

 泣きたいほど苦しいのに涙は全く出てこなくて、それが一層心を重くする。


「ごめんなさい」


 静が小さく謝り、清巳の頭を撫でる。

 発端は彼女の呼び出しであったのは事実だ。清巳は大丈夫とも赦すとも言えず、両手で顔を覆う。

 もうやだ。何も考えたくない。でもご飯は食べないと二人が心配するからそれだけはしないといけない。


「…………ごはん。なんか食いたいのあるか」

「苦くないの」


 頭を撫でる手を止めることなく静が答えた。虫やら蛇やら草やらに比べたら、一般的な食事のほとんどは苦いとはいえない。当然、と言う顔をしていたことから察するに、あれは静の日常であることは容易に想像がつく。ダンジョンの魔物を食べないことには疑問は残るが、どちらにしても食に対する知識や興味は人並み以下である以上、献立を求めるのは酷というものだ。


「……適当に素麺でも茹でるか……」


 倦怠感の激しい体を引きずるようにして台所に立ち、乾麺をひっぱりだす。鍋に水をいれて火にかけ、ふらふらと椅子に座った。

 机に突っ伏してぼんやりしていると、ぐつぐつと煮え立つ音が耳朶をつく。自らを叱咤して麺を茹で、つけつゆを作る。

 横でじっと眺めている静に清巳はおろし金と生姜を差し出した。


「なにこれ」

「つゆを入れた容器の上にそのおろし金を置いて、そうそう。それで十回する。生姜を前に軽く押し出せばすれるから」


 恐る恐る生姜を滑らせた静は、嬉しそうに目を瞬かせて清巳を見上げる。


「手前に戻して、もう一回押す。そう。あと八回頼んだ」

「ん!」


 数えるように頭を縦に揺らしながら静が生姜をすりおろす。長期で不在にする予定だったため、食材らしい食材は何も残っていない。薬味だけの素麺ではあるが、清巳も静も量は食べないので大丈夫だろう。

 ざるで水を切り、器に盛り付ける。つけつゆを二等分してテーブルに並べた。

 向かい合うようにして着席し、手を合わせる。


「いただきます」


 手を合わせた清巳を真似して静も慌てて手を合わせる。


「ぃただきます」


 三本の麺を箸でとり、軽くつけてからすする。もそもそと力なく咀嚼する。いつにも増して味気ない。胡瓜や大葉がないのも一つの要因だろう。

 一口しか食べていないのに、どうしようもない満腹感が体を襲う。もうすでに箸を置きたくて仕方がないが、ばれたら二人が怒る。せめて、弟妹のためにもう少し食べた方が良いだろう。

 緩慢に箸を伸ばした清巳は、視界の隅で左右に揺れるものを認めて視線を上げた。頬を膨らませるほどいっぱいに詰め込んだ静が、満面の笑みで体を左右に揺らしている。しばらくもごもごと口を動かしていた静は嚥下すると、フォークで麺をすくい上げてつゆの中に入れる。

 うまく素麺をすすることができないのか、器用に口のなかに素麺を収める。上機嫌に咀嚼していた静が視線に気が付いて不思議そうに首を傾ける。


「なんでもない」


 清巳は微笑を浮かべながら首を横に振った。

 体を揺らすのは行儀としてはよろしくはないが、目を輝かせて笑顔で食べる姿はまるで明美のようだ。妹ではないけれど、まるで妹と食事をしているかのような錯覚に笑みがこぼれる。

 口に運んだ素麺は、先程よりも美味しく感じた。


 後片付けを終え、静を風呂へ誘導した後、端末を凝視して清巳は悶々としていた。弟の連絡先を開いて、手を伸ばしては引っ込める動作を繰り返し、嘆息する。


「連絡しなきゃいけないけど……嬉しくないお知らせしなきゃいけないのやだ……」


 もういっそなにも言わずに去りたい。何食わぬ顔で二人のところに帰りたい。

 テーブルに突っ伏して頭を抱える。何度目になるかもわからないため息を吐いて腕を投げ出した。

 思考も何も放棄して端末の画面を眺めていると、横からにゅっと手が伸びた。止めるよりも早く華奢な指先が通話開始のボタンを押す。


「静っ、勝手に押すな」


 慌てふためいたのも一瞬、通話が繋がって清巳は口を閉ざした。

 ぽたぽたと髪から雫を滴らせながら静は手を清巳の頭に置いた。髪の毛がくしゃくしゃに転がされる。


『きよ兄、お帰りなさい。大丈夫?』


 妹の心配が滲んだ声にどうしようもないほど心が震えた。お知らせはしたくないが、声を聞けたことが泣きたくなるほどに嬉しい。

 ただただ感じ入っていた清巳は、頬に落ちた水滴に我に返った。端末を外してテーブルの上に置き。静を手招きして、濡れた髪をポーチから取り出したタオルで拭く。


「……うん、大丈夫だ。明美も体調に代わりはないか?」

『うん。ただ、かっつんが……』

『余計なこというな』

『でも、クラスメイトだって』

『あいつらの応対にむかついてただけだ』


 スピーカーから聞こえてくる声に元気がないことに心が痛む。同時に、そんなでも声を聞けていることが嬉しくて口元に笑みが浮かぶ。

 手だけはしっかり静の髪を乾かすのにせわしく動いており、小さく揺らされるのが楽しいのか、にゃはー、とご機嫌な声が清巳の耳に届く。


「俺は大丈夫だ。……………………ただ、来週も行けそうにない。ごめんな折角の旅行だったのに……」

『なにかあったの?』

「ダンジョン調査だな。逃げ切れなかった……そんなものより俺は明美と克巳に会いたいのに」


 黙りこくった明美に代わって、克巳がぴしゃりと言い放つ。


『通話で我慢しろ』

「むり、やだ。あいたい。克巳のご飯たべたい、明美のお菓子食べたい、撫で回したい愛で回したい」

『きもい』

『作って待ってるよ。だから、絶対来てね』

「ばっくれてでも行く」


 静の髪がある程度乾いたのを確認して、手を離した。

 終わり、と言うように見上げた静は、顔にかかる髪を払った。風もないのにふわりと髪がなびき、乾く。


『それしたら、家に入れてやんねー』

『ばっくれるのはだめだよ』


 最初からそうしろ、とじっとりと目を細めた清巳は、弟妹の真面目な回答に机の上に突っ伏した。


「あぁぁぁぁ……そんな……。……なに食べたんだ、今日」


 突っ伏したまま明美が話すのをうん、うん、と相づちを打ちながら聴く。静は始終無言で、再び清巳の頭に手を置いてじっとしている。


「いいな、親子丼。美味しいよな」

『それでね、今日はね、こっち東都に比べると果物が安くてね、びっくりしてたら葡萄を一粒味見させてくれたの! ダンジョンでとれたやつらしくてね。初めて食べたけど、ものすごく甘くて美味しかった!』

「良かったなあ。二人のことだから俺が言わなくてもすると思うけど、明日またきちんとお礼を言うんだぞ」


 閉じた瞼の裏に、満面の笑みを浮かべる明美の姿を描く。だが、想像よりも本人のほうが百倍可愛い。

 疲労のせいか欠伸を音もなくこぼれる。目に浮かんだ雫を指先で拭い、目を閉じて耳を傾ける。


『うん! きよ兄は食べたことある? 葡萄』


 通話口の向こうで、しまった、と言わんびかりにピリッとした空気に気づかず清巳は口を開く。


「果物は高いからなあ。好きなら買うように」

『散財すんなアホ兄貴』


 間髪入れずに飛んできた罵倒に、目を閉じながら清巳は意識して口を動かす。


「克巳は口に合わなかったか、葡萄」

『そんなことはないけど、どっかの誰かさんは毎日のように買うだろ、馬鹿高いの。却下だ。買うなら祝い事の時……希望性で苺ケーキが果物一つか選ぶようにする。だから買うなよ。いいから買うなよ。美味しいって言ってた顔見たいからとか言ってたんまり買ってくんなよ前科持ち』


 ちくちくと嫌味を言う克巳の声が次第に遠のく。抗う気力もなくて、意識はどんどん遠のいていく。


『きよ兄?』


 いつまでたっても返答がないことに訝しんだ妹の声が届かないほど、清巳の意識は深い眠りに落ちた。

 静はそっと手を離してそっと安堵の息をつく。


『……まさか寝た? 寝た寝た詐欺のクソ兄貴が?』


 通話口の向こうから困惑した気配が伝わってくる。

 静は椅子によじ登り、端末に顔を近づけ初めて口を開いた。


「眠らせた。ほんの応急的なものだけど」

『しず姉? いたの?』

『おい、兄貴になにしやがった』


 困惑と警戒に静は言葉少なに答えた。


「眠らせただけ。――ねえ、連れてっていい?」

『は?』

『だめ。どこに連れて行く気か知らないけど、だめ』


 どすの利いた声でなにほざいてやがる、と一言で示した克巳の後をついで、明美が断固拒否を表明する。

 静は首飾りを外し、目の高さでぶら下げた。


「じゃあ、ふたりの幸せってなに?」


 通話口の向こう側で二人は困惑した。


『家族がいてくれること。きよ兄が生きて帰ってきてくれること。美味しいご飯食べられること。きよ兄が笑っててくれること。学校が楽しいこと。友達がいてくれること。ほかにもたくさんあるよ』

『……まあ、似たようなもんだ。で、なんでそんなこと聞くわけ』

「やっぱり、これを持つべきは大きいのだね。あとのことはよろしくね。橄欖石の子」

『誰かそこにいんのか?』


 その問いに静は答えず、空間収納から取り出した紙にペンで文字を記した。

 その紙を机の上に投げ出されている手の下にはさみ、首飾りを置き、そっと部屋を後にした。











 翌朝。いつにもまして眠くて重くて怠い身体を叱咤して状態を起こした清巳はぼんやりと室内を見渡した。

 居間だ。いつの間に寝たのだろう。通話したところまでは覚えているが、そこから先の記憶がない。寝落ちしたことは容易に想像ができたが、かなり珍しい事象に戸惑いを隠せない。

 眠れても二時間、良くて四時間。眠りは浅く、途中で覚醒することもしばしばある。にも関わらず、寝落ちしてから朝になるまでしっかり眠れた。あり得ない。なにか理由があるはずだ。

 自分の行動を思い返してみて、清巳はふと軽く眉を寄せた。

 そう言えば静がずっと頭に手を置いていた。置くだけでなにもしないから好きにさせていたが、知らぬ間になにかされた可能性はある。やるにあたって静がわざわざ清巳に許可を取るとは思えない。


「静?」


 かさりと足下から音がして見ると、白い紙が床に落ちている。

 拾い上げた視界の隅で、新緑を思わせる輝きが刹那に煌めいた気がした。

 惹きつけられるようにダイニングテーブルを見やる。


「この首飾りは……」


 淡緑色の魔宝石の首飾りが光を放っていた。日中、あげると彼女が押しつけようとしていたそれだ。

 拾い上げた紙を広げるとやや歪な字でメッセージが書かれていた。


 ――幸福が訪れますように。


 首飾りとそのメモ用紙を手に、客室として貸し与えた部屋の前に移動する。


「静、いるか」


 在室確認の声かけに、いくらまてども返事はない。断りを入れて扉を開けたその先に彼女の姿はなかった。姿どころか部屋を使った形跡もない。恐らく帰ったのだろう。


「通話はした覚えはあるが、いつ寝た……?」


 首を捻っても思い出せない。彼女が出て行ったことも記憶にない。


「……………………家にいても仕方ないし、潜るか」


 いつもより寝ていたとはいえ、物音がしない家はひどく寂しい。愛する弟妹がいない物悲しさを振り払うように手早く身支度を調えてダンジョンに足を向けた。









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