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第十五話 #帰りたい①

 集合時間の二時間前に浅木地下ダンジョンの入り口前に到着した清巳は入り口の脇に腰を下ろして目を閉じていた。

 しばらくして人の気配が増える。だが、伺うばかりで声を掛けられる様子はない。それをいいことに時間ぎりぎりまで体を休めていた。

 調査開始時刻の九時を回ったところで端末を操作し、ダンジョンの前で配信を再開した。


「ちょっといいかしら。研究機構の協力者ってあなたのこと? ――とんだ貧乏くじね。お守りをしながら潜らなきゃいけないなんて」


 制服姿の少女が前に立って殺気を飛ばす。それに気づかなかったふりをして清巳は欠伸を零しながらポーチを漁った。


  [兄ー⁉ なんでまたやってるの⁉]

  [またやってるとは?]

  [なんでいるの⁉]

  [さっき三徹で切り上げたのは夢?]

  [寝ろよ何してんだよ]


 取り出したカメラを飛ばして立ち上がる。


「かなえ、事実を言ったら可哀想だろ」

「中層までとはいえ、内部のデータはありますから無理しないでくださいね」


 高校生で在りながら金青パーティとして名を馳せているらしいが、弟妹と比べても幼稚である。

 くすっと笑う声も嫌みったらしい言葉も無視して、集まっている面々を見渡した。

 その腕につけられているのは全てラリマーの玉環。明らかに協会側の嫌がらせだろう。死亡事故が発生したのもあり、連盟も調査には参加しているのだろうが、ずいぶんと偏った振り分けだ。


  [え、だれ?]

  [まさか:コラボ]

  [開幕早々兄の愚痴と誹謗中傷は笑えない]


 ただでさえ協会には悪感情しかないのに、平穏な調査はできないと言わんばかりの空気に嫌気が差す。


「まあまあ。いくら事前情報があるとは言え、私たちはこのダンジョンは初めてですし、知っている人がいるのといないのとでは違いますから」


 黒いロングコートを羽織った、清巳よりは年上の男が両手を挙げながら宥めるように告げる。


「ダンジョン協会北都支部所属、金青パーティー『狩人』の索敵担当、本間ひとしです」


 そうして軽く頭を下げる男の瞳に浮かぶのは嘲りだ。

 やや罰が悪そうに、けれどもすぐに見下すように仁王立ちした少女は不遜に口を開いた。


「協会央都支部所属、同じく金青パーティー『緋の剣』のリーダー、江川かなえよ」


 『狩人』は主にダンジョン食材を利用した料理配信が主で、戦闘主体ではない、とのことだ。だが、彼らのパーティーも金青ランクをいただく者たちであり、実力が十分と判断されたのだろう。

 『緋の剣』は現役高校生のパーティーだ。難易度の高いAランクやBランクのダンジョン攻略配信をしている。

 どちらも界隈では名の知れた探索者パーティーである。

 もっとも、そんな配信に一切興味のない清巳が預かり知ることではなく、印象はすでにマイナスである。


「研究機構東都支部所属。伊地知だ」


 所属と名前だけを述べれば、面々の瞳に嘲りが浮かぶ。

 その反応は想定内だが、ひとつ想定外があると言えば、苗字に対して反応がなかったことくらいだ。そのあたりも含めて協会の人間は絡んでくると思ったが、言い誤算である。

ただ、見くびられようが陰口を叩かれようが面と向かって馬鹿にされようが、隠す気もない大人げない態度には辟易する。


  [兄のランク分からなかった……黄金はあるんだろうけど]

  [これダンジョン調査だよな? 大丈夫かこの面子]

  [兄をこき下ろしてる時点でダメだろ]


 先が思いやられるな、と胸の中で同意しつつ、ダンジョンの入り口に足を進めた。


「とりあえず、最短ルートでナカまで」

「私が先に行くわ」


 かなえが名乗り出た。


「あんたみたいに探索者ランクも明かせない人は信用できないから。武器だけはいいものを使ってるみたいだけど、たかが知れてるわ」


 清巳が引き下がるより早く、彼女はダンジョンへと足を踏み入れた。軽く頭を下げて狩人の面々も後を追う。

 清巳は目をすがめた。探索者証を提示しないだけで、ここまで他人を見下せるのも一種の才能だろう。


  [人としてちょっと……]

  [兄を甘くみないでくれますか。体調が心配だけど]

  [すでに目が据わってる件]

  [俺らもランク知らんけど、兄が凄いのは知ってる]

  [機構所属だと、協会・連盟どっちからも絡まれるからなー]


 小さく首を振って深々とため息を吐きだした。


「二人が怒るなあ……」


 風当たりが強いのは過去にも経験したことがあるから知っていた。ただ、二人にはそれを告げたことはない。今頃、腹を立てている。そんな状況を配信してしまったことに気分た落ち込む。どうやってなだめよう。


  [どっちも好きだったんだけど、ちょっと好感度下がるわー……]

  [無名だから余計にっていうのはある]

  [俺も気をつけよう……]


 視聴者のお怒りを横目に、清巳は最後尾を無言で歩く。

 ダンジョンに入ってすぐ、『狩人』のリーダーが提案を挙げた。


「江川さん、伊地知さん、よければコラボという形をとりませんか」

「いいわよ」


 まるで遊びに来ているかのようなのりに、清巳は一瞬嫌悪を滲ませた。

 ――……ち…ゃ…。

 耳の奥で音が響いた。


「断る」


 素気ない返答に、調査メンバーの面々の顔が凍った。


「これでもそれなりに登録人数はいるわ。無名のあんたには利点しかないと思うけど?」

「無名で構わない。お前たちのように娯楽で配信しているわけじゃないからな」


 かなえの反論をばっさりと斬り捨てて、清巳は顎でしゃくった。


「立ち止まってないで進め」


 尊大に言い放てば、忌々しげに睨みつけられる。舌打ちをしたり睨みつけて足早に歩いてあからさまに距離を置こうとしたり、実に面白くもない反応をもらうが、そのほうが自分の精神衛生上都合が良い。

 歩調をさらにゆるめ、清巳は頬から首に掛けて爪を立てて掻く。


  [兄がおこ]

  [この前より表情が死んでる件]


 二メートル先で始まる配信の挨拶。清巳は何度目になるかも分からないため息を吐いた。


「帰りたい……これ見て絶対に怒ってる二人をなだめて可愛がりたい。俺としては今後関わらないだけだからいいけど、怒ってくれるであろう二人が可愛い。今頃配信を見ながら食材の確認でもしるのかな。怒ったときは料理を大量につくるからすごくわかりやすい。明美はふて腐れてるかな。丸めた布団に八つ当たりして鬱憤を爆発させてるならいいけど。うん、怒ってたとしてもどっちも可愛い」


 清巳は相好を崩した。


  [おこでも兄は兄だった]

  [だめだ。この空気でも惚気る兄に草しか生えない]


 彼らのコラボが開始して三十分が経過した。

 空気が痒い。遭遇した変異個体を手堅く片づけた『緋の剣』の実力は認めるが、平時ならばともかく、和気藹々とした空気はどうにかならないだろうか。

 まだ上層二階というのも清巳を苛立たせる原因の一つである。先に進むことだけ考えれば、この人数でも上層くらいは余裕で踏破できる。清巳が先行したならばとおに中層には足を踏み入れられているはず。

 重苦しい負の感情が胸の中に降り積もっていく。


「あ、後ろの彼? このダンジョンの案内役よ」

「僕たちのホームはここではありませんからね。普段と違う点に気づける人の存在は重要ですから」


 そういいながら、護衛の〝こ〟の字くらいしかない振る舞いは愚かしいとしか言い表せない。辛うじて、『狩人』の回復役であろう女性が心配そうに背後を気にするのみ。

 彼女だけは度々清巳を気に掛けているが、あまりメンバーと離れる事もできず板挟みなのは見て取れる。だが、庇い立てをしないのならば、彼女とてその程度ということだ。

 辛辣な言葉は聞き流すに限るが、そうは思わない人種も世の中には存在する。


  [なんだ、アーカイブもない初心者じゃんか。なんで調査チームにいるの]

  [戦闘参加しないなら足手まといだから帰れよ]

  [いるだけで迷惑なんですけど。空気悪くなるし]

  [違うんだよ、兄は配信スタンスがあわないだけなんだって]

  [そんな実力で不相応な剣を使うんじゃねえ]

  [なんで調査チームに抜擢されたんですか、賄賂でも送った?笑]

  [立ち居振る舞いに隙がないから、弱くはないと思うけど]


 戦力外通告により、なにもできない害悪とでも思われたのだろう。批判的なコメントが目に見えて増えた。拡散禁止と掲げているにも関わらず、特定したチャンネルが拡散した馬鹿がいるらしい。


 ――………ゃ…。


 自分がとやかく言われるのはいいが、コメントを見ている弟妹が心配だ。

 清巳は無言で思考で巡らせ、意趣返しと謂わんばかりに口を開いた。


「総合的に、静のほうが無害なんだよなあ」


 探索者のわりに危機管理が甘い。驕りと慢心が見える。連携はいいが、相手を頼りすぎ。攻撃がいちいち大ぶり傾向で見栄えを気にしすぎ。後衛も魔法に頼りすぎで身体づくりが不十分。フォローに入る想定はしなきゃいけない。

 反面、静は自分より魔物の察知能力が高いし戦闘能力もある。

 下層や深層の魔物は確かに能力値は上がるけれども連携と罠を使えば、個々人の能力はそれなりでもなんとかなってしまう。

 批判的なコメントが加速する。発言から一部擁護の声を上げるものもいるが批判にかき消されていく。


「娯楽に興じたいのなら娯楽施設に行けばいいのに。――あ、弟妹、嫌だなって思ったことがあるなら反面教師にしろよ。あんなふうになったらだめだぞ。お兄ちゃん泣くからな」


 なぜダンジョンで配信することが娯楽として受け入れられているのか理解できない。命のやり取りをする場であることには変わりないのに、どうして自分は大丈夫だなんて思えるのか。


  [火に油を注いでどうするの]

  [あにぃ……]


 古参の嘆きを流して、清巳は距離を置きながらパーティーの後を歩き続けた。

 ダンジョンに入ってから二時間が経過し、ようやく上層三階へと降りた。二階から三階へ降りるのに時間がかかったのは、ひとえに魔物を探して遠回りしていたからである。

 惚気ることで平常心を保っていたが、悠長なことをしている面々と同列扱いされて流石に閉口した。そんなことを宣う輩に聞かせる惚気はない。

 おかげで苛立ちのあまり幾度となく殺気が滲んだ。その度に堪えていたが、誰一人と反応しないので堪えるのもやめている。


 表情の一切をかき消して後方をついて歩いていた清巳は、久しぶりに表情を動かした。眉間に深い皺が刻まれる。

 知っているものより空気が痒い。肌がぴりぴりと傷む。得体の知れない違和感。メンバーに体調の変化はないみたいだが、それも時間の問題だろう。

 この三日で中層下部の空気の違和感は徐々に上へと及び、上層三階まで空気が変質したとなると、静が行っていたように変動はもうすぐなのだろう。

 安全地帯に向かおうと話す彼らに近づいて声を掛けた。


「空気がだめだ。戻るぞ」

「……まだ調査始めたばかりなんだけど」

「空気は少し重い気はしますが、ダンジョンはこんなものでしょう」


 真に受けていない両チームの意見に、清巳はため息を飲み込んだ。


  [そこをベースとしている人の忠告を聞き流せるの、すごいなあ]

  [空気? もしかして兄、なにか確証がある?]


 探索者であろう古参のコメントは、すぐに誹謗中傷の声にかき消される。


 ――……ち…ゃ…。


 この空気のざわめきを、肌の表面を削がれてひりひりするような痛みをはらむ風を知らないのだろう。とはいえ、この風が運ぶ焦燥感を、警鐘を、彼らは甘く見過ぎだ。

 あるいは感じ取れていないのか。

 ふと気配を感じた。じっとこちらを見守るように視線が注がれている。それにわずかな安堵を覚え、殺気が解ける。清巳は確信を持って警告した。


「奈落の空気と同質の物が上層の上部まで上がってきてるのが問題なんだ。体調に出る前に戻るぞ」


 真面目な顔つきになるが、すぐに彼らの目は批難に染まった。

 かなえがきっぱりと告げる。


「まだ調査も始まったばかりでなにもわかってないのに、人の不安を煽るような発言は不謹慎だわ。そうやって気を引こうとするのは見苦しいよ」


 背中を向けて、メンバーを促しかなえは正面の道を進む。

 清巳は忌々しげに顔を歪めた。これ以上弟妹を悲しませないために貶されている所など見せたくないが、ダンジョンに潜っている以上配信を続けなければならない。

 本当にいらいらする。何のための調査だと思っている。空気の異変に関してはわからないのも無理はないが、それをはなから戯れ言と斬り捨てるのはあまりにも早計。発言した意図さえ確認せず思い込みで判断するのも、調査という意識が乏しい証左だ。

 こんなことなら簀巻き用の縄でも持ってくれば良かった。

 無言でやさぐれる清巳に『狩人』のリーダーの男が鋭い視線を向けた。


「四国事変と状況が似ているという意見には同意するが、そういう嘘はよくない」


 ――ぐちゃ。


 耳の奥で、肉が引きずり出される音がはっきりと聞こえた。悲鳴が、怒声が、断末魔が、頭の中で幾度となく反響する。

 清巳は剣を強く握りしめた。

 斬りかかりたい衝動を堪えるべく、視線を地面に向けて深呼吸をひとつ零す。

 二人が見てる。二人が見てるから脅しも実力行使も避けたい。

 怒りを抑え込むかわりに、盛大に深く息を吐き出してカメラを見上げた。


「副部長。余所のダンジョンを調査している部隊も即刻引き上げさせ、大至急、近隣住民の避難指示を。防衛戦を張りつつ奈落への対策法をとるべきと進言しておきます」


 カメラに向かって進言した清巳に、狩人の斥候担当が嗤った。


「君のような人に育てられる弟君たちもかわいそうだな」


 ぷつん。

 頭の中で堪忍袋の緒が切れた。


「そうね。ろくな人間にな――」


 口を開いたかなえのみぞおちに拳をたたき込んだ。突っ立ている仲間の背後に回り赤子の手を撫でるように優しく横っ腹を蹴り飛ばす。

 今更ながらに身構えた狩人も同様に叩きのめした。為す術もなく地面に這いつくばる面々を冷ややかに睥睨し、家族を貶した本間の頭を踏んだ。


  [あーあ、地雷ってわかるだろうに踏みに行ったよ]

  [兄の能力と天と地の差があるの、なんでわかんないかねえ]

  [腹いせに実力行使とか醜い]

  [そしてやっぱり、古参はだれも奈落を知ってる発言につっこまない……]

  [詮索しないのがお約束です、けど、知ってるなら信憑性あるのでは?]

  [実は結構やばかったり……?]

  [あんな嘘に騙されてて乙w]


 三者三様のコメントが視界の隅を流れていく。弟妹のコメントはないのでその全てを流して清巳は弟妹を憐れんだ男の頭に重圧をかける。

 投げ出された武器は本間の手の届かないところに転がっている。それに加えて叩きつけられた衝撃もあるのだろう。弱々しく足に手が掛けられるだけで、抵抗らしい抵抗はない。

 傲慢な態度とは裏腹に取るに足りない弱者を見下ろしながら、清巳は涼やかな声で威圧した。


「協会の方々は、私の弟妹を傷つけるのが本当に好きですよね。流石、あの人でなしの枢機卿の下にあるだけはあります」


 ぐり、と足を躙る。


「う……ぐぅ……!」

「きさ、ま……、猊下に、対する……無礼は……っ!」


 武器を握って身体を起こした『狩人』のリーダーに、清巳は息をするように威圧を放った。再び地面に沈んだ面々が苦悶の声を上げる。誰一人として威圧をはね除けられず、這いつくばることしかできない様を前に、笑顔を絶やすことなく清巳は宣告する。


「無礼? 七年前に俺たちから聖符をとりあげ道中に捨て去ってのうのうと生き延びた挙げ句、何食わぬ顔で枢機卿だのなんだのとえらい階位についてる輩に対して尊敬も憧憬も抱ける訳がないでしょう。それを許している協会も同様です。聖符がないために誰にもとりあってもらえませんでしたから。積年恨みつらりがありあまって、ついうっかり手が滑って再起不能にしそうだったので、私の可愛い可愛い弟と可愛い可愛い妹に感謝こそすれ、馬鹿にして貶める権利はあなた方にはありません。流石に、可愛い弟妹に血生臭い所を見せる訳にはいきませんからね」


 聖符とは、協会に所属する探索者の子に与えられる手形である。未成年と探索者ではない、三等親までの家族には必ず与えられる。手形にも格があり、その格式によっては店で割引がきいたり、少しばかり融通がきいたりすることもあった。

 聖符の所有は協会の庇護下である証であったはずなのだ。それなのに、聖符は奪い取られ魔動装甲車から捨てられた。その場所が西都の近くだったから良かったものの、そうでなければ三人とも生きてはない。


 自分たちを更なる地獄へ突き落とした男が役職に就いたと知ったときに抱いた激しい怒りと憎しみをまだ覚えている。弟妹の将来を暗くするような真似はできないから何もしないだけで、もし七年前に二人を失っていたら、己が身を滅ぼしてでも復讐に走っただろう。

 ぐつぐつと煮えたぎるようなおどろおどろしい憎悪を叫ぶ心を落ち着かせるように肺が空になるまで息を吐き出し、表情をかき消した。










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