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第十六話 #帰りたい②

「それで? 俺の発言を嘘と断言した根拠は? 七年前の空気と違う点を挙げられますよね、当然」


 本間はすでに失神している。足を避けてぐるりと周囲を見渡した。意識を失っているものが殆どで、残っているのは三名。『緋の剣』のかなえ、『狩人』のリーダー道端哲治、そして支援担当の今井真結だ。

 思いのほか残らなかったな、と胸の内で呟きつつ、首を掻きながら淡々と毒を吐く。


「ああ、これは失礼。たかだかこの程度の威圧で這いつくばることしかできない皆様では話すことも難しかったですね」


 僅かに威圧を緩めれば、空気を貪るように息を吸って三人は激しくむせこんだ。


  [ぶち切れたら笑いながら敬語で追い詰めるタイプか。こわ]

  [すっごい違和感しかない口調。儚げな外見的には合ってるんだけど]

  [いけない扉が開きそう]

  [なんか赤い?]

  [そんな自己申告はいらんw]

  [映像越しでも怖いんだが]

  [まてまて、その発言が事実ならその枢機卿やばいのでは?]

  [こーれはまた協会内部が荒れるな]


 呼吸が落ち着いても誰一人として口を開かない。清巳はもう一度問いを重ねた。


「それで、何をご存じなんです? たかが思い込みで〝嘘〟と断言したわけではないでしょうから、この空気が奈落のものというのは嘘である、と発言した根拠を教えて頂けます?」


 忌々しげに見上げたかなえが口を開いた。


「だ……たら、……あんたこそ、なんで……」

「質問しているのは私です」


 先程よりも威力七割減の威圧を放てば、三者は顔をしかめて額に脂汗を滲ませる。

 威圧を解けば、引きつった呼吸を繰り返し黙りこくる。

 誰も、何も答えなかった。


「誰ひとりとして、明確な根拠なく発言した、ということでよろしいでしょうか」


 確認する様に、きつい声音で問いを重ねた。


「……私、たちは……北都『ななつぼし』で、生まれ、育ちました。……データ、以上のことは……知りません。……恐らく、彼女たちも……央都『アカデミア』という、場所の違いはあれど……同じかと。……貴方は、違うのですか」


 今井が息も絶え絶えに問う。後方支援の彼女が耐えているのは、恐らく自分になにかしらの補助魔法をかけたからだろう。それを他の人にも使用していれば無様に失神することもなかっただろうに、憐れなことである。

 怯えるような縋るような目を見つめ返して口を開いた清巳は、しかし動きを止めた。

 警報が耳元で鳴っている。腕の端末に表示されたのは浅木地区近隣に出された緊急避難指示だ。


 ――……ちゃ。


 耳の奥で、骨が砕かれる音がする。肉を噛みちぎる音がする。じわじわと強くなっていた皮膚の掻痒感は、じくじくと痛むようになった。体の内側は強い熱を帯びて、灼熱の痛みが脳天を突き抜ける。


「っ……。……もうすぐか」


 苦悶の声を飲み込んで、カメラを見上げた。


「第一次災害避難指示を受け取った奴らは、さっさと浅木地区から逃げろ。可能ならそれよりも遠くへ」


 降りたときよりも、空気が濃い。恐らく二階、早ければ一階まで奈落の侵蝕はすすんでいるかもしれない。今更、どこまで逃げ切れるかは不明だが、なんの予兆もなかったあの時よりは、酷いことにはならないだろう。


  [始めて俺らのこと認識した⁉]

  [やばい、やばいぞ、近場の奴は逃げろ]

  [なんか唐突に焦りだしたんだが]

  [弟妹にしか反応しなかった兄の警告はやばい。逃げろ、マジで逃げろ]


 清巳は痛みをやり過ごすように息を吐き出し、不意に息を詰まらせた。

 胃の辺りの強い熱がせり上がり、堪えきれない。慌てて調査隊の面々から距離をとるように後方へ飛び退き、清巳は喉の奥に押しとどめていたものを吐き出した。


「がは……っ!」

「ひっ⁉」


 夥しい血が地面を濡らした。暗赤色の血だまりが一瞬にしてできあがり、指の隙間からしたたる雫が跳ねる。体のあちこちが内側から痛み、奥歯を噛みしめた。

 痛みの余韻に肩で息をしていた清巳は、再び灼熱を覚えて再び咳き込む。

 二度目の波を、歯を食いしばって堪えて息を吐き出す。

 けほりともう一度咳き込むと紅い霧が指の隙間から舞う。胸の奥から痛むのは、気管のほうにも影響が出ているからだ。

 記憶の底から掘り起こして、ぽつりと呟く。


「やっぱり、症状が出るのも早いが、進行も早い、っ……」


 再び咳き込んで、踵を返した清巳の前に、ぴょんと人影が躍り出た。

 顎を掴まれたかと思うと、口のなかに液体が流れ落ちる。息に詰まり吐き出そうとしたものを何とか飲み込んで、激しく咳き込む。誤嚥したのもあって胸が酷く痛い。

 だが、先程まであったナイフを灼かれるようなじわじわとした熱は収まっている。


「急に飲ませるな、けほっ……はあ、びっくりした」

「根本的な解決にはならないけど、飲まないよりはまし」


 静は空になった瓶を空間収納に投げて清巳の左手をとる。まくられた腕はほんのりと赤みを帯びていた。ちくちくと露出した肌が傷む。


「まだどこも爛れてはないね」

「まだな。もっとも、だいぶ奈落の風……瘴気に蝕まれてるから時間の問題だろうけど」

「わかってるならなんで来たの。だめって言った」

「なんでと言われてもな。本当は今日ふたりのところに行く予定だったぞ。調査への同行命令なんてなければ。協会の強引な指名がなければ。機構が資格剥奪を盾にしてこなければ。流石にもぐらになるのは二人に迷惑かけるから、っけほ、げほげほっ」


 清巳が再び咳き込んだ。先程より量は少ないが、それでも鮮やかな赤色の血が舞う。

 ぴゃ、と飛び上がって両手をぱたぱたと動かして右往左往した静は、取りだした小瓶を強引に押し入れた。

 今度はなんとかむせることなく飲み干して、力なく壁に寄りかかる。


「下手したら死んでた」


 静の目は険しく、それだけで彼女もまた七年前を生き延びた者だとわかる。

 奈落原発性全身融解症。瘴気が原因ということはわかってもどうしてそうなるかは一切不明。体の内側から溶けてやがて皮膚が溶けて骨も何も残らず溶けきる。そんな不審な病気だ。近づけば発症する、症状が進行する前に離れれば、直接的に命には関わらない。判明していることはそれだけだ。

 口の中の金臭さを吐くように軽く咳き込み、淡く微笑む。


「そうなる前には逃げる予定だった」

「内臓に受けたダメージは変わらない。早死にするよ」


 静の言うとおり、発症したもののなかで土地を離れたことにより寛解した者も少なくないが、ダメージはなかったことにはならない。過去に発症した者の多くは被害の中心地だった四国にほど近い本州に住んでいた者ばかり。清巳と同じように逃げ延びた者もいるが、その多くはほどなくして命を落としている。


「二度目だから今更だな。それに、弟と妹が生きててくれるなら別になあ。……あ」


 清巳は口元を抑えた。二人の前で迂闊なこと言った。


「大丈夫だ、成人までは見届ける気でいるから」


 取り繕うように告げるが、だが、コメントに二人の反応がないのが怖い。


「……なるほど、それもあるのか。じゃあ、いらなくなったら貰おうかな」

「何のことだ?」


 静は笑うだけで何も答えない。

 それならば深く踏み込むまい、と口を閉ざし、鞄から取り出したタオルで手や口元の汚れを拭う。

 直後、隙有りと言わんばかりに手が清巳の鞄にねじ込まれた。一瞬遅れてはたき落として鞄の蓋を押さえる。


「だから貢ぐな」

「入らなかった」


 小瓶を片手に静が頬を膨らませる。

 足に軽い衝撃が走った。不服そうに足を蹴る静を無言で見つめる。

 視線に気づいた静は拳を振り上げた。

 剣を地面に刺して右手で受け止める。ぱしぱし、げしげし、と癇癪を起こした子どものような抗議は止まることを知らない。


「……………………俺が持ってる魔石と交換でいいなら」


 渋々と条件を提示すれば、ぱっと静の顔が輝いて手足が止まった。

 清巳の手を引いてしゃがんだ静が、小瓶を地面に並べる。その数、十本。加えて円柱状の容器に入った缶が三つ。


「ん」


 用意できた、と両手を広げて胸を張る静。

 回収した魔石の中でも質のいいものを並べる。その数、十五個。


「多いよ?」

「さっき飲まされた分と、イライラしてたけど静がいたから必要以上に叩きのめさなくて済んだお礼分」


 静は目を瞬いて回復していない面々を指で指した。


「あれらに出してた殺気が消えたこと?」

「そう。あのままだったらついうっかり後ろから斬りかかっててもおかしくなかったからな。二人に血生臭い所は見せられないだろ」

「わかった?」


 不思議そうな顔をしながら魔石を納める。もう少しごねられるかと思ったが、そうではないらしい。

 貢いでくるなら、その場で物々交換はありだな。

 笑顔で魔石を見つめている静も満足のようで、対処法としては効果的であった。


 良い学びを得たことに口元を緩ませ、清巳は小瓶を一つ一つ鞄に収めていく。そして、用途不明の円柱状の缶を手に取った。


「ところで、これは?」

「だいたいなんでも効く特製軟膏」


 収納から取り出した缶の蓋を開けた。使いかけの軟膏を掬い取り、それを清巳の頬にぺたりと置く。そして薄くのばすように指先が円を描いた。

 薬が塗られた所から肌の違和感がすっと消えて、清巳は驚愕に目を見開く。


「痛みがひいた」

「気休めだけどね。……、……でも、わかってて手を出さなかったこと、不愉快なのは不愉快だよね」


 ぽつりと静が奇妙なことを口走った。どこか不機嫌そうな顔で、もう一度顔に塗ろうとする静をやんわりと制止して貰った軟膏を塗る。

 顔と首、そして手に塗りおえて息を吐いた。痒みがなくなっただけでイライラの三割が消えた。

 蓋を閉めて軟膏を鞄に収める。不意に、頬に華奢な指が添えられた。え、と目を瞬くうちに上を向かせられ、額に柔らかい物が押し当てられる。

 思考が停止した。

 目の前にある細い首筋。燃えさかる炎のような匂いが鼻腔をくすぐる。永遠にも似た時間の中で額の温もりに囚われ、――けれども、すぐに離れていく温もりに清巳は我に返った。


「何を……⁉」


 満足げに口角を上げて鼻を鳴らした静を押しのけて距離を置こうと下清巳は、しかし静の目が清巳よりももっと高い位置を見ていることに気が付いて口を閉ざした。


「これで素知らぬふりはできないよね」


 静の視線を追って視線を上げるが、清巳の目には何も映らない。周囲の気配を探るがなにかいるような気配もなく、胡乱に眉をひそめた。


「静、どういうことだ」

「めっ」


 両手の示指を交差させて口の前にかざす。

 頭を抱えてため息を吐いた。なにが見えているのか、なにに素知らぬふりをするなと警告したのか、額に口づけることを何が意味するのか。

 言う気はない、という意思表示がある以上、静が説明することはないだろう。それはかまわない。たぶん、静の事だから害のあることではないだろう。首を突っ込んだらいけない気がする。


「わかった。聞かないでおく」

「警告するわりに、悠長ね。もともと持病があったんじゃないの」


 かなえの挑発に清巳はそうか、と短く返答した。


「監督責任があるから回復を待っててやったが、いらないのなら先に帰る」

「なっ……、待ちなさいよ! そんな勝手なことが許されるとでも思ってるの⁉」


 清巳は深々とため息を吐きだした。

 自分の事を棚に上げて良いご身分だ。江川という苗字は家との関わりを隠すための仮のもので、本当に良いご身分の息女なのかもしれない。だからといってかしこまるつもりはさらさらないが。


「俺の弟妹の方が素直だし反省できるし責任転嫁しないし、億倍かわいいよなあ」


 かなえの頬が引きつった。


「麗華様を襲っておいて反省がないって聞いてたけど、噂以上のクズ野郎ね……!」


 話の流れからしておかしなことだが、噂とやらで先入観があったことは理解した。それを信じて、初対面の人間をここまで虚仮にするのは、若さゆえの過ちというよりも、単に彼女の幼稚さゆえ。浮き彫りになった彼女の人間性には憐れみすら覚える。

 閑話休題。

 彼女が麗華様と呼ぶ人物が思い浮かばなくて清巳は眉間に皺を寄せた。記憶をたぐり寄せるが、身近にそんな名前の知り合いはいない。


「……………………誰だ?」

「清山院麗華様よ! 知らないとは言わせないわ。所用で出向いた麗華様に突然襲いかかって怪我させて……! 職場復帰すら難しいって……っ、あんたのせいで‼」


 投げられた石の破片を首を傾けるだけで避ける。

 せいざんいん。誰だったか。協会で清山院の苗字を持つ者は複数いるが、そのなかでも女性といえば。


「……あぁ、あの誘拐犯」

「誰が誘拐犯よ! 麗華様がそんなことするわけないでしょう⁉ いいがかりも大概にしなさい!」


 清巳は目をすがめた。


  [弟妹さんと座敷童子ちゃん以外にはバチバチ戦闘態勢な兄]

  [やっぱり兄のあの奇妙な行動はそういうことか。近場の奴は逃げろ]

  [三徹明けの兄が元気すぎる件]

  [麗華様が四肢麻痺になったって、犯人お前か]

  [ゆるすまじ]

  [誘拐犯ってw どんな認識だよwww]


 静ではなく清巳がやったとされているのは、静のランクを聞いたからだろう。現役の黒鉄探索者に元とはいえ金青パーティーの一員が一撃で沈み、あまつさえ日常生活もままならないほど再起不能になったとなれば、とんだ醜聞である。

 だから、清巳に全ての罪を被せて貶めたかったのだろう。

 もっとも、落ちるほどの名声なんて持っていないが。


「誘拐されそうになったの?」


 じわりと殺気を滲ませた静に、清巳は肩をすくめて見せた。


「なってただろう、静が」


 しゅん、と殺気が消えた。かわりに困惑を隠せない顔で静が問う。


「私? ……あ、変なこと言われたから私が蹴り飛ばした人? なんで大きいのがやったことになってるの?」


 口を開いて、清巳は目を瞬いた。

 大きいの、とはなんだ。流れからして自分のことを指しているのはわかるが、なんでそうなった。

 訝しみつつ、話の腰は折るまいと清巳は自身の見解を述べた。


「静だとわかると都合が悪かったんじゃないか?」

「なんで?」


 純粋な問いに答えるか否かを逡巡し、庇い立てする理由はないなと思い至る。


「考えられる一番の問題はランクだな」

「ランク?」


 空間収納から水晶の玉環を取り出した静は光沢のある黒い石を見下ろし、清巳の前に差し出した。

 黒鉄がはめ込まれた水晶の玉環を、配信用のカメラはしっかりと捉えており、視界の隅でコメントが川のように流れていく。


「このままじゃダメなの?」

「だめっていうことはないな。ランクを上げた時に付随する利点が欲しいなら上げたほうが」

「じゃあいいや。ダンジョンにごーほーてきに入るのに必要なだけ、っておっちゃん言ってたし」


 投げるように玉環を空間収納に投げ納め、こてんと首を傾けた。


「ごーほーてきに入れれば一緒でしょ? なんでランクが問題になるの?」

「それは見栄とか体面とかいうやつだと思うぞ」


 静は右の拳を左の手のひらに打ちつけた。


「あぁ、人間がよく気にするやつ。意味がわからなくて理解できないんだけど、それなら仕方ないね。よくわかんないけどわかんないなりに仕方ないよね」


 歯に着せぬものいい。噂を流した協会側からしたら、歯牙にも掛けないこの扱いはさぞかし腹立たしいことだろう。


「誘拐犯を蹴飛ばしたの私なのに、よくわからないことを理由に大きいのが悪いって言ってる馬鹿な協会は、考えてたよりももっと馬鹿だったってことだね。ひとつ賢くなった!」


 心の底から嬉しそうな声で、胸を張って顔を輝かせる姿に、清巳は耐えきれずに吹き出した。

 あまりにもまっすぐで負の感情もなく綺麗な瞳に毒気が抜かれた。

 口元を手で覆い隠して肩を振るわせる清巳に、静は首を傾げた。


「あれ、ちがう?」

「認識は人それぞれだ。いい印象がない、っていう静の考えならいいと思うぞ」

「いい印象あるの?」

「うーん……どうなんだろうな? 俺らにはわからないだけで、他の人の目には良いところがいっぱいなんだろうから、あくまで俺と静の個人が協会は憎たらしいほどの感情しかないというのは理解してたほうがいいが、わかるか?」

「おっちゃん言ってた。協会批判はおっちゃん個人の感情もあるから穿った見方はするなって。その話をするたびに悲しそうだったから好きではなかったけど、協会の人間がおっちゃん陥れた。だから私も好きじゃなくなった。そういうことでしょ?」

「そうだな。わかってるならそれで良い」


 陥れたとか不穏な言葉については綺麗さっぱり忘れることにする。個人にできることなどなにもない。あったとしても、弟妹以外に差し伸べる手も実力も自分にはない。

 ずいっと目の前に静が頭を差し出した。


「……これは?」

「賢くなったご褒美」


 自己申告に苦笑を零し、綺麗な方の手を乗せてそっと撫でた。


  [合法的に入れればって、そうだけど、そうなんだけどっ!]

  [いろいろごたごた確定なやつぅぅぅぅ]

  [温度差ぁ]

  [さっきまでの緊張感とこの緩さのギャップよ]

  [警告した人が早く逃げてって話なんだけど]

  [ア・オ・ハ・ルゥゥゥゥゥウ!]

  [なんだかんだ待っててあげてる兄。なお手は貸さない]


 五回ほど撫でたところで静は満面の笑みで顔を上げた。鼻歌でも歌いそうな様子で上半身を左右に揺らす。

 目元を和めてそれを数秒見つめたのち、清巳は表情を一転させて調査隊の面々を睨みつけた。


「――で、いつまで座り込んでるんだ? 上ではもう緊急避難が始まってるのに悠長だな」









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