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第十九話

 浅木地区一帯の放棄は即座に決定された。

 変動から三日。浅木地区の住民の避難は最優先に行われ、ほぼ完了している。ただ、対奈落用に開発された結界で浅木地区を取り囲んでいるとはいえ、その規模で収まるかは不透明。前回は開ききった奈落から化け物が流れ出ないように二重に障壁を築く意味合いが強かったため、持ちこたえられるかはその時にならないとわからない。そのため、東都全域で今もなお避難活動とそれに伴う混乱が続いていた。

 今なお浅木地区に残っているのは、ぎりぎりまで異変調査を行う研究者や何らかの理由で離れたくない者くらいである。

 静寂に包まれている街の外れ、ダンジョンの入り口前に聳える木の根に腰を下ろして清巳は休息を図っていた。

 目を閉じて仮眠をとっていた彼は不意にかっと目を見開いた。


「っ、は……はっ……!」


 暑さのせいだけではない額を滑る汗を手の甲で拭い、荒れる呼吸を落ち着かせるように深呼吸を繰り返した。

 耳の奥で聞こえる過去の残響は消えることなく今も記憶を呼び覚ます。変動があったあの日からいつにも増して悪夢に魘される。

 贄となれ。そういわれた清巳の代わり行くと、もとよりそのつもりだと宣言した静の姿は、あの日から見ていない。もしかしたらもうダンジョンの中にいるかもしれない。

 気づかぬふりをすれば生き延びられる。それはわかっているのに、いまさら生き延びたいとは思えず、けれども追いかけるには端末に届く弟妹のメッセージが枷のように重くて動けないでいる。

 兄でいる資格など最初からない。そう思うのに、二人の言葉に甘えてしまいそうな自分もいた。あまりの浅ましさに首を斬ろうとしたこともあったが、体が固まったように動かなくて断念さえしたくらいだ。


 鬱屈した思考に両手で顔を多い、深々とため息を吐いた。右膝を立て、そこに肘を突くようにして右手で髪をかき上げながら頭を支え、地面を見つめる。

 左手で服の下に収めている首飾りに触れた。返そうと思ってすっかり忘れていた首飾りを軽く握る。そうすることで少しだけ心が軽くなる気がするのだ。

 引っ張り出したペンダントトップを目の前にたらす。新緑を思わせるように煌めく、雫型の魔宝石だ。森林にいるかのような澄んだ輝きが眩しい。その輝きを隠すように直に握りしめて瞼を下ろした時、小走りで近づいてくる気配があった。


「おったおった。伊地知のにーちゃんようやっと見つけたわ」


 聞き覚えのある声に開眼し、首をめぐらせた。以前と変わらぬシンプルな格好をした佳弥が立ち止まり、大きく息を吐いた。


「支部で聞いても、だーれもにーちゃんがどこおるか知らんで探したわ」


 そう言って佳弥は腰に手を当てて清巳を見下ろした。

 生産者は貴重だ。彼女ほどの存在ともなれば、周りが避難させようと躍起になるはず。無理をおして残っているのは想像に難くない。

 清巳は無言で彼女を睨めつけた。


「そう怖い顔しなさんなって。じーちゃんが、死ぬならこの街でって言って聞かんのや。その説得に手こずっててなあ」

「――なんの用だ」


 素っ気なく、かつ警戒をなじませながら問う。

 佳弥はぱちりと目を瞬いてた。

 見つめ合うこと数秒。張り詰める空気を断つように彼女は笑みを貼り付けた。


耄碌もうろくするには早いでにーちゃん。頼まれとったもん、できたで」


 明るい声で佳弥がポーチから二つの箱を取り出した。

 白い箱と橙の箱だ。


「ご注文の簪や。デザインは見てもろたけど、包装する前に実物を見てもろたほうがええと思ってな」

「かんざし……あぁ、そうか。そうだったな」


 妹の誕生日プレゼントに、と頼んだのだった。あの翌日から、怒濤のごとく変化する現実にすっかり失念していた。


「そういうことや。確認よろしゅうな」


 差し出された橙色の箱を受け取り、苦笑する佳弥から視線をそらすように品物の確認にうつった。

 蓋を開いて真っ先に目に飛び込んできたのは、薄桃色の大輪の華だ。幾重にも折り重なる丸みを帯びた花びら。その中央に、丸い黄色の魔宝石が並ぶ。華の下から覗く二本の足に並ぶように鈴蘭の花が開いている。その先には小ぶりの赤や白の魔宝石が連なっていた。

 きっと妹にとてもよく似合う。ほのかに口元を綻ばせ、橙色の蓋を丁寧に閉じる。

 そしてもうひとつ、白い箱を見る。

 妹たっての希望で作って貰ったもうひとつの簪。ただ、妹の希望を叶えてやれるかどうか。


「これは、無理に受け取らんでもええで」


 佳弥の言葉に、悩みながらも伸ばした手を止めた。


「渡されんもんを持っとっても虚しいだけや。だからこれは受け取らんでもええ」


 そうして、佳弥は力なく笑った。


「もちろん、作成費用も預かり費用ももらうつもりはあらへんで。にーちゃんの許しなく売ることもせん。そのうえで、どうしたいか決めて欲しい。あのアホが本当にごめんな」


 そう謝罪する佳弥の顔にも濃い疲労が滲んでいた。

 祖父の説得。それはあるのだろう。だが、思えば佳弥の方が静との関わりは長い。ぎりぎりまで、静を探していたかったのもあるのかもしれない。


「……………………行けとは言わないんだな」

「言ってほしいん?」


 問いかけに答えず、清巳はぼんやりと空を見上げた。

 そうなのかもしれない。チャンネルのDMにたくさん誹謗中傷が届いている。あまりにもうるさいため通知は切ったが、その時に見えたのは清巳に人柱を望む言葉ばかりだった。それらの言葉を無視することは簡単――だったはずなのに、世界が自分の死を望んでいるかのような絶望に襲われている。

 弟妹のもとに行かなければ、という思考は片隅に残っている。だが、それ以上に二人が生きているなら自分は必要ないという諦めがあった。

 それでも、行けと積極的に言われなかったことに慰められている自分がいて、自らの浅ましさに反吐が出そうだ。

 口を閉ざして表情を削げ落とした清巳に、佳弥は自らの意見をはっきりと告げる。


「にーちゃんは家族のところに帰り。あの化け物の言うことが本当なら、それが最善やとうちは思うで」

「……静が行くのはいいと?」

「静やからなあ。考えてみ? あの静やで? うちも配信見とったけど、全部分かった上でにーちゃんが選ばれる前からだーれにも言わんといなくなろうとしとったドアホやで? 反省の欠片も未練の欠片もいっっっっっさいないアホを止める方法がある思う?」


 その問いに清巳は小さく首を横に振った。

 佳弥の言うとおりだ。調査に行かなければ、きっと誰も何も知らないまま静は消えたのだろう。消えたことにさえ気づかないまま。


「うちも思いつかん。……魔宝石で釣ることはできても、ずっとは止められん」


 沈黙が降りる。憎たらしいほどの快晴から橙色の箱に視線を落とした。

 左の指先で胸元の首飾りを転がす。

 静に渡さなければならないものが、返さなければならないものがあるのに、まだ踏ん切りはつかない。

 でも、妹には確実に届けなければならない。それだけは確かだ。

 腰の鞄こら取り出した紙を小さく切り、ペンを走らせた。お誕生日おめでとう、と書いた周囲を飾り、紙の縁に花を描く。

 折りたたんで箱の中に入れた。そしてもう一つ紙に文字を書きつける。それと小銭が入った小袋を一緒に差し出した。


「配達を頼む」

「……こっちはどないする?」


 差し出さように見せられた白い箱を見つめ、清巳は恐る恐る手を伸ばし、触れる直前で止める。

 会うかはわからない。でも、二人のところに戻る気になれないから、きっと渡されなければ埃をかぶることになる。

 それならば、わずかでも可能性のある清巳が持っていて方が、静の手に渡る可能性はわずかに高くなる。


「……そのまま貰う」


 意を決して、白い箱に触れた。受け取った長方形の箱を両手で持って見つめる。

 蓋を開けるようとして、けれども急激に中を見ることが恐ろしくなり鞄に箱を押し込んだ。

 その一連の動作を無言で見つめていた佳弥は困った顔で頭を掻き、ようようと口を開く。


「後悔のないようにしいや。それとな、副部長から伝言で『来い』やて」


 顔をしかめた。

 機構命令でも出すつもりだろうか。いや、それなら副部長ではなく支部長から呼び出しになるだろう。

 ということは説教か、あるいは浅木地区の避難に関する話か。

 なんにしても、いい内容ではないだろう。

 拒否の言葉を発しようとして、だがそれより早く佳弥が困惑を隠せない声で告げた。


「まあ、なんや……大変そうやったから行ったり? 周りの人の話では元緋緋色金らしゅうてなあ。恐ろしゅうてうちも建物には近づけんくて」


 耳を疑った。

 遠くの空を見上げている佳弥は思い出したのかぶるりと大きく体を震わせる。

 嘘をついているようには見えなくて、けれども信じがたくて、恐る恐る、確認するように尋ねた。


「生きてるのか……?」

「みたいやで。静を探してぶち切れとるらしい。うちも人づてに聞いた話やから実際に見聞きしたわけやないけど、恐ろしゅうて建物には近づけんかったわ」


 話しながら佳弥は腕をさする。

 それを眺めながら清巳はゆっくりと目を瞬いた。

 あの人が、生きている。国内最強と謳われ、最高ランクに上り詰めた経歴を持つあの人が。

 激しく脈打つ鼓動を落ち着かせるようにピアスに触れた。

 父の形見だと手渡された時のことを、まだ覚えている。あの時は苛立たしさのあまり、物理的に手を出して当たってしまったが、軽くいなされ逆に叩きのめされた。

 口元がほんの少し、僅かに緩んだ。

 話せるだろうか。あの時のことを謝らなければ。そして、改めて聞かなければ。父と母の話を。あの日のことを。

 兄でいる資格を失った自分は、どうすれば良いのかを。

 木の幹を支えによたよたと立ち上がり、佳弥に一言告げた。


「……簪を頼む」

「かまへんかまへん。はよ行ったり」


 遠のく背中を見つめ、その背中が見えなくなったころ、佳弥はひとりごちった。


「兄ちゃん、あかんなあ。どないしよう……メンタルケアは専門外やし……支部に残っとるのは副部長と有志だけやしなあ。一応連絡……しても見られんのやったか」


 大忙しで見る余裕がないというのが正しいが。

 頭を掻いて、佳弥は肩を落とした。


「じーちゃんのこともあるし、とんぼ返りせなあかんかあ」


 佳弥の速度では普通に歩けば二時間はかかる。走ればその半分くらいで着くだろう。 預かった簪の箱をポーチに収め、佳弥は来た道を引き返した。




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