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第二十話

 清巳はとぼとぼと支部への道を歩いていた。


 最初の勢いはとおにどこかへと消え去ってしまった。彼が生きていたことへの期待がありつつも、人違いではないのかという不安が足を鈍らせていた。


 いつもより倍以上の時間をかけて支部に辿り着いた。太陽はすでに頂点にさしかかろうとしており、いつもなら喧騒に満ちた街には静寂が漂う。ダンジョン入り口ほどではないが、建物の周辺も息苦しいほど空気が重い。経験豊富な探索者でも耐えられないものが多いだろう。


 首を何度か掻いて、清巳は静から貰った軟膏を露出している肌に伸ばした。もうすでに二缶目であり、時折体を貫く痛みに三本ほど貰ったポーションを消費している。それらがなければとおに症状は進行し、この世から溶けて消えている。


 支部の扉の前に立った清巳は大きく深呼吸をした。中から喧騒が漏れ出ている。くっと唇を引き結んで建物の中に足を踏み入れた。数日ぶりに顔を出したフロントは閑散としており、その中央で二人が言い争う声がやけに大きく響いた。


「頼むから大人しくしていろ!」


 茶色の、色が抜け落ちたかのように薄い髪の男の左腕を羽交い締めするように掴んでいる高垣が叫ぶ。


 清巳は愕然と立ち尽くした。


 掴まれている反対の腕の袖が、虚しくひらひらと揺れている。記憶にある姿とは違えど、確かにその男は御坂敦だった。


「待っただろう⁉ 会える確証がどこにある⁉」

「まだ半日も経ってないのに、もう少し冷静になれ!」


 敦の垂れ目がちの眦が剣呑に吊り上げられている。そのしかめつらしい顔にふさわしい殺気を放ちながら、引き留める高垣を片腕で投げ飛ばした。


「だから知ってそうな清を呼んでるから、だぁぁぁぁ!」


 高垣の手を振り払い身体で押しとどめていた涼太を左腕で引き倒し、男は首をめぐらせた。気配で気づいていたのだろう。驚いた様子もなく、右の足を外へ振るようにして詰め寄ってきた。


「君はあの配信の子だね? 彼女は今どこに?」


 清巳は息を飲んだ。


 彼の目が自分を素通りした。あり得ない。あり得ない。彼ならば気づくはずだ。いくら五年の月日が流れているといえど、気づくはずだ。最初に清巳に気づいたのだって、彼の後輩――母によく似ているから、とそう言っていた。だから、気づかないわけがない。


 心がひしひしと悲鳴を上げる。目を背けて押し込めて、見て見ぬ振りをしてきた七年前に関する傷という傷が抉られていく。


 痛い。苦しい。そんな言葉では言い表せない澱みが胸に凝る。


 左手でピアスに触れた。


 ――君は死ぬんじゃないよ。


「教えてくれ、あの子は今どこにいる!」


 右肩を掴んで血相を変えて余裕のない声で敦は問いただす。

 清巳は腕を下ろして俯いた。

 これを届けてくれたあの人は、もういない。


「だから落ち着けと言っているだろう!」


 高垣が叱責しながら再び敦の腕を掴んで清巳の肩から引き剥がす。


 両親の話ができる唯一の人だった。自分はもう、両親との思い出を話せない。確かにあったはずなのに、それらは全て零れ落ち、罪悪感だけが残っている。


「居場所に心当たりがあるなら、頼む、教えてくれ! 私は会わなければいけないんだ、あの子に、緋色の刀を持っていたあの子に」

「そんなに詰め寄ったら答えるものも答えられないだろうが! というわけだ、もし知ってるなら……伊地知?」


 残らない。なにも。時には嵐のように、時には砂漠の砂が流れるように、酷薄な現実は奪っていく。家も、思い出も、持ってた夢も、親も、友人も、――恩人も。


 右手を失い、右足を失い、そして記憶まで失った彼は、自分の知っている彼ではない。父の形見を持ってきて、自分の理不尽な怒りとなじりを受け止めて、そのうえで、自分に闘う技術を叩き込んだその人ではない。


 清巳はゆっくりと口を開き、固まる。


 壁を挟んで耳をそばだてた時のように籠もって聞こえていた残響が大きくなった。


 ――そんなに探索者でいることが大事なら、二度と帰ってこないでください!


 感情にまかせて言い放ってしまったがばかりに、弟と妹から両親を奪ってしまった。


 両親の話を聞きたそうにしているのは知っていたけれど、親を恋しがる二人から自分が親を奪ってしまった罪悪感からなにも言えなかった。


 二人はもう親の顔しか知らない。逃げ続けているうちに清巳の中からも消えてしまい、両親がどういう人だったのか伝えることさえできなくなってしまった。それができる他者を清巳は知らない。


 ……いや、一人だけ心当たりがいた。静なら。なにか、聞けるのだろうか。名前を聞いても、写真も見ても、他人のようにしか思えない人の話を、静ならばなにか伝えられるのだろうか。なにかを残せるのだろうか、二人に。


「たのむ、あの子はどこに……っ」


 不意に敦は目を見開いた。ふっと表情がかき消える。


「御坂?」


 能面のような顔に高垣が訝しげに名を呼ぶ。

 不穏な空気に清巳も顔を上げた。

 先程までの指向性のない殺気とは違い、動けば首が落ちそうなほど鋭利で、冷たい殺気が清巳に向けられた。髪が赤くたなびき、硝子のような瞳も赤く染まり爛々と輝く。


「『拙者の緋色を所有せし幼子を行かせてはならぬ』」


 ぞくりと、言い表しようのない悪寒が背筋を這いあがった。


「『あれは身共みどもの幼子よ。奪われるなど言語道断。ゆめゆめ忘るるなかれ』」


 殺気が霧散した。同時にかくりと敦が脱力した。


 引っ張られるようにして高垣も座り込む。


 ぎこちない手つきで御坂を抱きかかえ、高垣は息を飲んだ。


 ぞっとするほど血の気の引いた顔。呼吸はしているが、それがなければ勘違いしてしまいそうなほど冷たかった。


「なんだったんだ、今のは……」


 強ばった顔で涼太が呟く。こちらもまた顔色は悪く、僅かに手足が震えていた。

 高垣は覚束ない足取りで奥へと引っ込む。担架でも持ってくるつもりなのだろう。

 清巳はぼんやりと敦の顔を見つめていた。昔に会った時よりも、どこか人離れしたように見える。顔の造形は変わらないはずなのにそう感じるのは先程の雰囲気のせいだろうか。


 敦であって敦でないなにかの正体は知らない。知りたいとも思わない。静を幼子と呼ぶその意味を暴きたいとも思わない。


 ――ただ。人からも、人ではない〝なにか〟からも、なにより奈落の化け物からも、死を望まれるのは自分なのだ。


 ああそうか。誰かに死ねと言われたかったのか。改めて、面と向かって、静ではなくお前が死ねと。

 肩の力がすとんと抜けた。


「清?」


 うっすらと笑みを――それもどこか安堵したような、諦めきったような笑みを浮かべる彼に涼太は得も言われぬ焦燥を覚えた。


 松永涼太が伊地知清巳を認識したのは、ダンジョンを連日潰して回る黒鉄がいる、という噂を聞いたからだ。ランクを上げる訳でもなく、自らの実力を磨くわけでもなく、なにかに取り憑かれたように徹底的に攻略指定ダンジョンを潰している、と。


 四国事変のこともあり、有用な資材を確保できる指定ダンジョン以外の攻略が推奨され始めた当時だ。名声を求める馬鹿か恨みで馬鹿やる馬鹿はあとを立たない。


 始めて噂の人物を見た時の感想は一言、やべぇやつ、であった。明らかにオーバーワークだろうに、幽鬼のような顔で目の下に隈を作りながらダンジョンを一人で這いずり回る死にたがりが、やばくないわけがない。


 過去は知らないが、西都周辺の出だろうというのは容易に想像がついたため、必要以上に関わる気はなかった。復讐に捕らわれてダンジョンを目の敵にする人がいないわけではない。ただ、その多くは命を落とすか、潰しても潰しても沸いて出るダンジョンに絶望して自ら命を絶つ。たぶんそうなるだろう、という思いがあったからだ。


 事実、一週間も帰らない、と不安げに研究機構を訪れた清巳の弟妹と名乗る存在に、涼太は彼が死んだのだと思った。


 家族を残して馬鹿な奴、と冷めた思いしか抱かなかった。


 そのおよそ二ヶ月後、そんなやつがいたとさえ思い出さなくなったころ、難易度Sランクの指定攻略ダンジョンが攻略された。誰が、とざわつくなかで帰還したのは、ぼろぼろの姿の彼だった。黒鉄の、探索者を始めて三年にも満たない人物。それもソロで成された偉業。


 大々的に発表があるのかと思ったが、予想に反して彼の報道はなかった。同時期に最年少最短記録を更新し、ソロで金青ランクを獲得した超天才児が現れたことも一つの要因であろう。


 清巳が姿を見せなくなったのもあり、やめたのだろうと誰もが興味をなくしたころ、たまたま向かったダンジョンにいたのを涼太は見つけた。家族の惚気を垂れ流しながら淡々と魔物を屠るさらにやばいやつになってた。それには大いに笑った。腹がよじれるくらい笑った。ダンジョンの中だったため魔物をおびき寄せ、笑い事じゃなくなるところだったが。


 それからだ。涼太が伊地知清巳という人間に関わり始めたのは。涼太は自ら死にに行くやつは嫌いだ。死ぬために死にに行くやつはもっと嫌いだ。だからたとえ同年代で唯一の機構所属の探索者だとしても関わるつもりは毛頭なかった。


 だが、そうして生きようとしているならば別だ。弟妹が望むから、と理由としては消極的であるが、すべて――自分の命さえ無価値とでも言いたげな態度よりも、消極的でも大事なものを大事にできるほうが好ましい。


 話しかけても無視一択、この二年くらいで粗雑な返答を得られるようになったのは進歩だ。それでも、伊地知清巳という人間は他者を寄せ付けないことに変わりはなかった。


 始めは確かに興味本意で話しかけた。だが、自分に必要なのは弟妹だけという頑なな態度に、次第に危うさを感じ始めるのは当然のことだ。清巳には秘密であるが、克巳と明美から見捨てないでやってくださいと深々頭を下げられ、手作り菓子を貰ったこともある。清巳の弟妹が不安がるほどに、彼の中心は弟妹の二人であった。それがなくなれば消えるのではないか、と思われるほどに。


 逆を言えば、二人がいる限りは大丈夫だと思っていた。――今、このときまでは。


「まて、清!」


 伸ばした手は宙をかいた。くるりと向けられた背中が遠い。追いかけなければと思うのに、殺気を浴びて固まってしまった身体は今もまだ震え、思うように動かない。


「おい……っ、弟くんたちをまた泣かすなよ⁉ そんな真似すんじゃねえぞ!」


 清巳は何も答えず、そのまま出て行った。


 配信であったことは切り抜き動画で見た。だから、清巳を欲した化け物のことも、代わりに行くと断言した静のことも把握している。


 だからまさか、二人を置いていくようなことはしない。今までの彼ならばしない。そう考えていたのは過ちだったのではないか。


 そう思えてならなかった。

 遠のく背中を見つめながら、涼太はふらふらと立ち上がる。そこへ、戻ってきた高垣が訝しげにフロアを見渡した。


「松永、伊地知はどうした」

「どこか行きました」


 扉をじっと見つめ続ける涼太の視線を追った高垣が渋面を作る。

 話を聞くついでにそのまま確保して問答無用で『みちのく』へ送り出すつもりだったが、遅かったらしい。

 彼が東都支部に来始めた当初こそ、その危うさからメンタルケアの必要性は問題に挙がっていたが、当の本人の人間不信が強すぎて信頼関係の構築さえままならなかった。彼の祖父であった先輩でさえどうにもならなかった以上、できることと言えば、踏み込まずに事務的にあることだけ。

 S級――一個体で国ひとつを簡単に崩壊させられる魔物が跋扈する階層が存在するダンジョンをソロで攻略するなど馬鹿げたことをしでかして以降は、少しばかりましにはなったが、それでも他者との線引きは太かった。

 彼の配信であったことは把握している。指示を出しながらも、彼を調査隊に送りつけた一人として最後まで見届けると決めていたから。


 だが、配信での出来事を見る限り、そして彼の精神状態を考える限り、何もかもが手遅れすぎた。もっと早い段階で調査にこぎ着けられなかったことが悔やまれる。

 せめて、どうにかもう一度会い、今度は確実に捕獲しなければ。

 唇を噛みしめながら、敦を担架へ転がす。


「やっと、超希少宝石を加工する時みたいな緊迫感はなくなったんやな」


 安堵した声がフロアに響いた。入り口からひょっこり顔を覗かせた佳弥はフロアを見渡して怪訝そうな顔をした。


「副部長、伊地知のにーちゃん、ちゃんと来よった? 一応伝えたんやけど」

「…………副部長。俺、浅木地下ダンジョンへに行きます」


 迷いのない瞳で高垣を見つめながら涼太は宣言した。

 敦であって敦でない〝なにか〟は危険だ。本能がそう告げている。どう足掻いても自分たちでは勝てないと頭で警鐘が鳴っていた。

 あの中で多少しんどそうにしながらも立っていた清巳が異常なのだ。

 しかめっ面で口を閉ざしていた高垣は眉間に皺を寄せた。


「死にに行くつもりか」

「それはないです。俺が命を賭けるのはいつだって未知への挑戦なので」

「はっ、ガキのころからダンジョンに侵入して大怪我を負うわ、結界を超えた挙げ句迷子になるわ、隠し部屋に飛び込んで罠にかかって死にかけるわ、前例が星の数だけあるだろう、豪運め」

「昔から運が良いのはとりえっすからね」


 自慢げに笑い、涼太はすっと表情を引き締める。


「俺は俺を信じてるんで、なにがなんでも行きますよ」

「…………だめだ、と言っても行くだろう。無謀なところは姉そっくりだな」


 高垣は苦笑して、どこか懐かしむように目を細めた。


「いやいや、一角兎を手懐けて持ち帰って無許可で飼育して庭を穴だらけにしたり、あえて不良品の魔石を集めて連鎖爆発させて家の壁に穴を開けたり、魔法の練習で校舎に風穴開けたり、大人しそうな顔して天然でやることがえげつない姉と違って、俺は自分から飛び込んでいくタイプなんで一緒にしないでください」

「どっちもどっちやないか!」


 思わずと言った様子で一ノ瀬が突っ込む。


「分かってくれるか、一ノ瀬。他の兄妹はましなんだが、あいつとこいつだけは、方向性が違うだけで、時々、よく、危険なことをしでかすんだよ……本当に」

「えぇ……? あのド天然だった姉と一緒にされるのは……」

「そういうけどな、その姉と面白そうだから、試して見たかったからと言う理由でゼリースライムに水を大量に含ませ、その中で不良品の魔石を爆発させた結果、空き地にでかいクレーター作ったのは誰だ?」


 涼太が視線を逸らして口笛を吹く。


「一年前、最下級ダンジョン二つの間を繋げるように掘って壁を壊した結果、二つのダンジョンが一体化しダンジョン難易度が二乗以上に上がり、例にない変異で死にかけたってへらへらしながら重傷で帰ってきたのはどこの誰だ?」

「どこの誰なんでしょうね~」


 あはは、と涼太が乾いた笑いを零す。


「アホや……」

「全く、調子の良い」

「そういうわけなんで、清のことはお願いします。たぶん精神状態やばい」

「あ、それについてうちも相談があってな」


 高垣から視線で促されて佳弥は続ける。


「色々あって妹さんの誕生日プレゼントをうちが製作したんや。商品の確認してもろて、よければその場でちゃちゃっと包装しよう思いよったんやけど……配達してくれって返されたんよ」


 高垣は眉間に皺を寄せた。

 清巳の弟妹至上主義については高垣もよく知るところだ。研究機構所属に数年以上所属している者ならば、弟妹至上主義の反面、それ以外他者に対しては排他的で線引きを太くしていることにも気がついている。

 彼の性格――というよりも執着ぶりを考えれば、配達という方法は選ばない。


「『行けとは言わないんだな』って言われてな。まるで、誰かに行けと背中を押して欲しそうやなって……うちはなんも知らんから、うまいこと言えんくてな。状況が状況やしフォローしたって、って言いたかったんやけど……」


 佳弥は険しい顔をする二人に語尾を小さくして自分の首筋を撫でた。


「律ねえ、かなりまずくない……?」


 思わず呼び慣れた名で涼太が問う。

 敦でない〝なにか〟は静を行かせるなと告げた。言い換えれば、言われたとおり清巳が行け、と言われたも同じ。最悪のタイミングで、清巳の背を〝なにか〟は押してしまった。

 高垣は口元に手を当てて視線を左右に彷徨わせる。


「ほかに行けそうなやつ、はいないか。大規模な構造変化でどうなったのかもわからない以上、時間は残されていない。となると……」

「お、俺、とりあえずダンジョンに向かうから。静ちゃんならたぶん清も聞いてくれそうな気がするし」


 踵を返した涼太に佳弥は慌てて声を掛けた。


「待ち待ちい! その様子やと、うち遅かったんやね? そんなら使えそうな魔法具作るさかい、準備はしっかりしいや!」

「いや、松永は先行しろ。ただし、ダンジョンに入るのはなしだ。道中で伊地知を確保できたのならばそれでよし。できなければ一度戻れ。探し回る時間が惜しい」


 喜色を浮かべて向かおうとした涼太は、しかしその後に続いた高垣の声に足を留めた。


「一ノ瀬。私の分も頼む」


 思いも寄らない言葉に佳弥は目を剥く。


「正気かいな⁉ 引退した身やろ」

「だからこそだ。本当に贄が必要ならば、それは未来ある若者よりも私のような年寄りであるべきだ」

「いやいやいや、その年までダンジョンで生き抜いた人の経験と知識を失うのは探索者業界にとって大きな損失だって!」


 高垣が引退してから数年。敦の投げ技に対応出来るくらいのトレーニングは続けていたとしてもやはりダンジョンに入っているのと入っていないのとでは鈍り具合は異なる。


「Aランクダンジョンを攻略できるお前たちを失う方が人類の損失だ」


 間髪入れずに高垣は反論し、断言した。その目には強い覚悟が宿っている。

 気圧されてたじろいだ涼太は、視線を逸らしながら口を開いた。


「買いかぶりすぎだって。俺は清の足下にも及ばない。流石に高難易度ダンジョンをほいほい攻略するのは無理無理」


 富や名声を求めて少しでも上のランクを目指すのは、ダンジョンに魅入られた者ならば誰しもがもつ夢だ。

 ただ、一部の現実を知るものはランクを上げることを忌避する。己を搾取され、大切なものを踏み躙られ、奪われる。そうして支配下に置いて、兵器と遜色ない、あるいはそれ以上の力を持つ人間を傀儡にしようと企む者はどこの組織にもいる。


 夢だけを見てランクを上げた人間。それに関わる人間がどんな目に遭うのか。その最悪を、涼太は知っている。

 十五の時に教えられた。大好きだった年の離れた姉の最期を。姉の夫――義兄が名の知れた探索者であり、彼を取り込むためには姉が邪魔だったから殺されたそうだ。見せられた義兄の手紙には、彼の怒りと後悔と深い悲しみが滲んでいた。

 そう言う理由で失いたくないからランクだけは上げないでくれと、改めて泣きながら親に懇願され、特にランクにこだわる理由もなかったので白銀で止めている。


「ほいほいできないだけで、その気になって挑めばできなくはないのだろう?」


 疑問形だが、確信を得ている言葉に涼太は後頭部を掻いた。


「……探索程度ならなんとかなるかも……いやでも護衛までは自信ないです」

「構わん。変動後というのもあって、現在の浅木地下ダンジョンの難易度は不明。もともと深層まであるBランクダンジョンだが、変異個体がそのまま定着していたと想定すると攻略難易度はA、最悪Sランク。今回は攻略ではなく探索……いや、捜索か。静という娘の保護が第一目的だ。そのうえで、伊地知を保護できればする。いいか涼太、先走るなよ」


 釘を刺された涼太は焦りを隠せないながらも、しぶしぶと首を縦に振る。


「一ノ瀬、どれくらいかかる」

「今は昼過ぎ……なら夕方、遅くとも六時までには。作るんは簡易結界と目眩まし、あとは各種状態異常ちゅうところか」

「ならば夜六時に。道中だ、おまえの家の前まで行くから可能な限り作ってくれ」

「承知や。ほな六時に家の前でな」


 それぞれがやるべき事をすべく散る。

 作業しながら、早まるなよと捧げられる彼らの祈りは届くことなく。


 午後三時半すぎ。それぞれの端末に配信開始の通知が届いた。






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