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第二十二話 #弟妹チャンネルの配信②

「わざわざ私を拾う必要はどこにもなかったんだよ。最期まで三人の幸せを願うくらいなら、導きに従って帰ればよかったのに。二人一緒なら帰れたんだから」

『………………と……、ちょっと、待て。 拾わなければって……逃げられたかもしれないって、帰れたはずだって、どういうことだ?』

「どう、って……私が隆志さんにほいほいされて美鶴さんに捕まったから、二人とも帰れなくなっちゃったんだよ。二人一緒なら帰れるよって、私はいらない子だから肉体捨ててくるの、ってちゃんと伝えたのに別れてね」


 静は抱えた膝に膨らませた頬を隠す。


「二人一緒なら生き残れたはずなのに、物好きだよね」

『………………それが本当なら、物好きの一言で終わらせんな……!』


 しばし絶句していた克巳が、怒りを滲ませた声で呻いた。

 それが事実なら、静を助けようとして両親は命を落とした。それを、物好きとしか思っていないことが腹立たしく、憎たらしい。

 言葉に宿る強い感情を感じ取って、静は訝しげに眉根を寄せた。


「〝いらない子〟をわざわざ拾って〝いる子〟にしようとしたの、物好きが理由でないならなに? おっちゃんに聞いても、気づけるといいね、って言うだけでわからない。真ん中の子はわかるの? それなら教えて。夫妻は〝いらない子〟を拾って、なにをしたかったの?」


 なんの飾り気もない、純粋でまっすぐな疑問。それが本心からのものだと理解するのは容易かった。

 言葉を継げないでいる克巳に代わり、震える声で、しかしはっきりと明美が反論する。


『しず姉は、いらない子じゃないもん』


 もう一度、いらない子じゃないもん、と繰り返して明美はむせび泣いた。

 しゃくりあげる声を聞きながら、困惑した表情で静は首を横に振った。


「違うよ。いらない子だよ。そこはちゃんと確認してる」

『……誰に』

「人間に」


 特定の誰かではなく、種族を対象とした返答に克巳は間髪入れずに反論した。


『対象が広すぎる。せめてそこは身近な人だろ』

「聞いたよ? 期間を決めてね、私を産んだらしい人間とそれ以外で声かけてくれた人間に、いる? っていろんなところで聞いた。期間中、誰もいるって言わなかった。だから、いらない子。期間外に言われても査定対象外。夫妻のも査定対象外だったんだけど、離してくれなかっただけ」


 一度、静は深く頷いた。


「夫妻のことで私が知ってるのはそれくらい」

『…………そうか』

「うん。だからね、二人がそう望んだから夫妻の子は幸せでないとだめなんだよ」


 紐に指を引っかけて引っ張り出し、手のひらに転がす。


「どうしたら大きいのは生きる気になるかな」


 通話口の向こうが重々しい空気で満たされるなか、静は自分の事を終わったこととして綺麗さっぱり流し、清巳に返した首飾りを撫でる。


「大丈夫、大きいのはあげない、渡さない。だからもう少しだけよろしくね」


 静は慈愛に満ちた顔で、新緑に煌めく魔宝石に口づけを落とした。静の手のひらに隠されているためカメラには映らないが、魔宝石の周囲一ミリメートルが淡い赤色に包まれ、吸い込まれるように消える。

 それを見届けて、静は口角を上げるとそっと首飾りを胸元に置いた。


『……しず姉、きよ兄のこと、連れて帰ってきてくれる? しず姉も帰ってくる? 明美のこと、置いて行かない? ちゃんと帰ってくる?』


 縋るような、希うような、悲痛な声音に静は不思議そうな顔をした。


「大きいのは連れて帰るよ」


 なんでそんなことをいうのだろう、と言わんばかりに首を傾ける静に、明美がなにかを言う前に克巳は告げた。


『兄を、どうかよろしくお願いします』

『……お願いします』

「ん、わかった」


 三秒後、通話が切れた。

 静は清巳の横顔をじっと見つめ、目を伏せた。


 微動だにしないほど深い眠りについている。静が使う魔法の中には魂に直接作用するものもあり、今回使ったのはそのひとつだ。ただの人間ならば到底扱える代物ではないが、人間をやめる一歩手前の静には造作もない。

 人間ではないものへと生まれ変わるために肉体改造を施し精神構造を変質させた時点で、人間という括りからはほぼ外れている。人間ではない、とまだ断言できないのは、改造した肉体はいくら改造しようと人間が元となっているためだ。だから、肉体さえ捨てれば、完全に人間をやめることができる。

 そこまで変質したからこそ、魂への簡単な干渉も許可されている。だから、ぽろぽろと零れていく魂を休ませるために、魂へ直接作用し安息を促す魔法を使った。

 普通ならば、直接作用はしてもうたた寝程度ですむはずの魔法だ。逆をいえば、それ以上の効力を発揮するということは、それにさえ耐えられないほど魂が弱り果てているということに他ならない。


「――気休めくらいしか、できることないんだよね」


 ぽつりと呟いて、静は立ち上がった。






◇ ◇ ◇


 深い深い闇の中、耳の奥で罪が鳴る。悲鳴が消える。かわりに骨を砕く音が響き、肉を食む音が鼓膜を支配する。

 ――からん、からん、からん。

 罪の音に折り重なるように帯玉が珊々と鳴るような音色が響く。

 から、からからからから。

 珊々という音色に罪の残響が遠のき、かわりに全身を温かいものが駆け巡る。その温もりに誘われ浮き上がる意識とは反対に、重石を乗せたかのような重圧が体を支配する。重い瞼を押し上げ、うっすらと目を開く。

 ――からからからからからん。

 聞こえる硬質な音に、意識が過去へと向く。

 あの時と、同じだ。すぐ近くにある気配を追って小さく首を動かす。逆さにひっくり返された箱に顔は隠れて見えない。

 ――からから、からん。

 音が途切れた。箱が避けられて、隠れていた顔が露わになり、闇色の瞳とぱちりと視線が合った。


「あれ? 起きた?」


 不思議そうに小首を傾けた静がしゃがんで顔をのぞき込む。


「……しず……?」

「おかしいなあ。まだ起きるには早いはずなんだけど」


 じっと見つめてくる瞳に清巳は僅かに首をすくめた。

 全てを見透かし、飲み込んでしまうような、奇妙な恐ろしさが体を這う。


「――そっか、人間だから。気休め程度だとこれ以上はだめなのか」


 傷つきすぎて肉体と魂の均衡が崩れて結びつきが弱まっている。眠りすぎるとそのまま二度と目覚めないことも十二分にあり得た。清巳が目を覚ましたのは、生きようとする生存本能ゆえ。そうでなければ、文字通り眠るように死を迎えていただろう。

 肉体があるがゆえの弊害に静は渋い顔をした。


「なんの話だ……?」


 起き上がろうと腕を動かせば、からからと硬い物が転がる。重い体を叱咤して僅かに体を起こした清巳は、体の上に山のように積み上げられている魔石及び魔宝石にゆっくりと目を瞬いた。

 なんで寝たのだったか。たしか静を見つけて、安全地帯に来て。そこで、静がなにかを言った。そのあとの記憶がない。


「なにをした? この魔石の山は……」


 静は屈んで彼の上にばら撒いた魔宝石を手で雑に払いのけた。

 天然ものよりも総じて強度があるとはいえ、普段の喜びようからは考えられ――と、そこまで考えて清巳は自らの思考を否定した。普通に放り投げていた。空間収納魔法を展開したそこに、投げ入れていた。いつも通りと言えばそうである。


「無理するから眠らせた。これは気休めの処置」


 抗議をしようと口を開いた清巳の口に、静は空間収納から取り出した小瓶を押し入れた。


「んぐっ」

「また血を吐く前に飲む」


 強制的に流れ込んできたポーションを飲み込み、清巳は静を押しのけた。気管に入りかけた液体を吐くように激しい咳を何度か繰り返す。


「お前な……」


 咳で荒れた呼吸を落ち着けるべく深呼吸を繰り返しながら睨みつけ、だが、彼女らしくもない、不安に翳る表情に気まずさを覚えて視線を逸らした。

 身体も頭が重い。頭のなかにのしかかる靄を払うように緩慢に首を横に振った。身体の奥に残る鈍い痛みに、胸に手を当ててゆっくりと息を吐き出す。

 ずいっと目の前に小瓶が差し出された。


「痛いの残ってるなら飲む」

「……だいじょうぶ、っ!」


 がち、と小瓶の口が唇に当たった。歯にまでその衝撃は響き、しばらくして唇がじんじんと痛みを帯びる。


「飲む」


 そんなことはお構いなしに小瓶を押しつけ、口の中にねじ込もうとする静から小瓶を奪い、渋々、ちびりと口をつけた。

 別にいいのに。

 舐めるようにちびちびと飲んでいれば、唐突に小瓶の底を強引に押し上げられた。急激に喉に流れ込んだ液剤が気管に入り、慌てて嚥下する。そして誤嚥したものを吐き出すように激しく咳き込んだ。

 空になった小瓶を取り上げて空間収納に投げる静をじとりと横目で睨み、清巳は深く息を吐き出した。

 体の奥の鈍痛は消えた。だが、痛みの余韻というのはすぐには消えず、今もまだ痛みが残っているような感覚に襲われる。


「まだ痛い?」


 不安そうに顔をのぞき込んできた静の手が、小瓶を取り出そうと動く。その手首を掴んで清巳は小さく首を横に振った。


「痛くないから、大丈夫」


 手を離し、清巳は体から力を抜いて背中を丸めた。体が重くて怠くて、いつにも増して強い疲労感に気分が深く落ち込む。

 投げ出した手足を、焦点の合わない瞳で眺める。


[兄、元気ない心配]

[明らかになんかおかしいんだけどどうした]

[さっさと行け。捧げてしまえ]

[逃げて。一日経ってるからいつ開いてもおかしくない]

[迎えが待ってんぞw 協会に喧嘩売った罰だ]

[人殺し]


 視界の隅をちらつくコメントが煩わしくて、耳につけていたマイク兼表示用端末をむしり取るようにして外した。

 つい勢い余って手のひらの中でバキッっと音がした。見れば、機器は歪にひしゃげていた。


「……」


 こわれた、ともなにも思わなかった。

 ただ手のひらにある物体を鞄の中に押し込み、再び宙を見る。

 何もする気が起きない。何しをしにここに来たんだったか。それすら考えるのも億劫で清巳は力なく顔を伏せ、しばし思考を放棄する。

 不意に、周囲をちょこちょこと動いていた静に両肩をぐっと引かれ、そのまま後ろに倒れた。

 頭だけは打たないように、無意識のうちに首に力が入る。だが、予想に反して衝撃は少なかった。後頭部に柔らかな感触がある。上から覗き込むように見下ろしてくる静をぼんやりと見つめて、緩慢に問うた。


「なに、してんだ?」

「寝てていいよ。その間に全部終わらせるから」


 ゆっくりと目を瞬いた。少しして奈落のことに思い至り、ようようと口を開く。


「だいじょうぶ。ちゃんと、行くから」

「行かなくていい。あれは私との約束破った。信用ならない。大きいのは渡さない」


 全く頭が回らない。何か言わなければと思うのに、語彙は浮かんでこなくて、同じ言葉を繰り返した。


「大丈夫、行くから……」


 静が頰を膨らませた。

 怒っているらしい静から視線を逸らし、重い体を叱咤してもう一度起き上がる。

 起きているだけでもがりがりと体力を削られているような感覚。それをおして立ち上がれば、さらに強い疲労感が押し寄せた。近くの壁にもたれかかって息をつく。

 なんとか踏み出した一歩は、しかしそれ以上は進めなくて。壁を伝うようにしてかがみこんだ。


「真ん中のと小さいのもいるのに、なんで大きいのは死にたくなったの? 二人がいれば幸せなんじゃなかったの?」


 清巳の目の前にしゃがんだ静から目を背けて、肩をすぼめる。

 そんな資格など始めからなかった。ありもしないものを勝手に作り上げて縁にしていたにすぎない。二人のためとつけた力は全て無意味だった。いや、二人に不要だと言われた時点で意味をなくした。もう不要なのだ、自分という存在は。


「二人が生きてるならそれでいい。……それ以外は、もうどうでもいい」


 静はこてんと首を傾けた。


「んー……んー? んー……、じゃあ、大きいの私がもらう」


 得意げな笑みを浮かべて静が胸を張った。


「ふふー、早い者勝ち。あとで一緒に行こうね」

「…………どこに?」

「行ってからのお楽しみ」

「――行かない」

「行くの」


 清巳は緩慢に首を横に振った。


「行かない。……行けない」


 自分が行かなければならない所は、そこじゃない。

 もう一度、大きな息を吐きながらなんとか立ち上がる。


「……なら、私がついてく」


 静が清巳の左手を取った。


「でもあれにはあげないから。美鶴さんを模っただけの化け物に、あちらの世界に大きいのはあげないから」


 きっぱりと断言した静を感情のない瞳で見つめ、ふと視線を感じて首をめぐらせた。

 入り口に見知った顔がふたつある。どちらも顔に疲労が滲んでおり、あちこちに怪我の痕があり、装備もぼろぼろだ。そのなかで一際輝く赤い刀身の双剣。それがあったから深層までたどり着けたのだろう。

 不満そうにじっとりと清巳を睨んでいた涼太はようようと呪詛を吐き出した。


「いちゃつきやがって」


 その横で、高垣は眉間に皺を寄せて険しい顔をしていた。


「懲りない人たち」


 ぼろぼろの二人に対し、静が冷めた瞳を向けた。その顔に驚いた気配はなく、愚直に深層まで降りてきた二人への呆れと侮蔑が滲んでいた。

 高垣は疲れ切った顔で深く頷いた。


「少々無理があったのは認める」

「少々どころじゃなく流石に無謀すぎたもんな、あだっ⁉」


 後頭部に拳骨を食らった涼太がしゃがみ込んで悶絶する。


「頭かち割る気か⁉」

「その程度で割れるほど柔な頭蓋骨はしてないだろう」

「いやいやいや、ぱっかーんって割れてそこからキノコでも生えたらどうしてくれんの⁉」

「大丈夫だ。お前の頭には常に花畑が咲いている。キノコが生える余裕はないな」

「律姉それはひどすぎ! 俺、そこまで能天気じゃない!」

「悪運強いからなんとかなると、嬉々として格上の敵に突っ込む奴のどこが能天気でないと」

「実際なんとかなったじゃんか!」


 二人の登場で急に騒がしくなった空気に、清巳はそっと息を吐き出して、壁から手を離して足を進めた。一度離れた静が、カメラを小脇に抱え、剣を引きずるようにして戻る。そして手を握って並んだ。

 淡々とどういう所が無謀だったのか並べ立て、耳を塞いで聞かないふりをしているふたりの横を通り過ぎようとして、肩を掴まれた。


「伊地知。この事態の責任を負うのはお前ではない」


 案に、そのために来たのだと宣う副部長を一瞥し、清巳は右手でその手を叩き落とした。

 だからなんだ。名指しされたのが自分である以上、そんなものは彼女自身の、あるいは機構としての口車に過ぎない。どうせ口先だけの責任という言葉に置ける信用など皆無だ。

 高垣の言葉に応じることなく、ふらりと先に進む。


「おい、清っ!」


 慌てたように涼太が静とは反対側に並んだ。


「いいからもど――っ⁉」


 ばちん、と何かが弾ける音がした。一瞬遅れて、どこんと壁が鳴り、からんと甲高い音が隧道に反響する。

 一連の物音に足を止めた清巳は緩慢に目を瞬いた。


「いってて……油断したー」


 へらりと笑った涼太の足元には双剣が転がっている。それは彼が愛用していたものではない。静が使っている刀と同じ、緋色の刀身の剣だ。


「本当に懲りない人。いい加減、その緋色を扱う資格はないことを理解したら?」


 静の冷ややかな視線に涼太が大きく震える右手をさすりながら首を横に振った。


「それでもやらなきゃ、深層まで来れてないって」


 力が入らず、ぎこちなく手を屈伸させて両手は柄に触れた。

 息を詰めながら、無理矢理右手に握らせ、そして左手も柄を鷲掴む。その表情は険しく、苦しいのか呼吸も大きく乱れていた。

 世界に存在する緋色の武器は七つ。その中に双剣はない。なのになぜそれを涼太が持っているのか。どうして強い反発を受けてもなお無理をするのか。様々な疑問は意識の表面に上がることなく消えていく。

 ふいと視線を逸らして清巳は歩みを再開した。

 会話はなく、ただ足音だけが洞窟の静寂を支配する。少し先に交差路が見え、清巳は足を止めた。

 それに気づいたかのように交差路の右から姿を現したのは子牛だった。真相に似つかわしくないほど小柄な体躯。だが、そのうちに秘めている力は、キマイラの比にもならないほど膨大。

 子牛が地面を蹴った。突進してきた頭を右手だけで受け止める。その衝撃の強さを示さんばかりにずん、と清巳の足元が沈み亀裂が壁にまで広がった。

 頭を握りつぶそうと指先に力を込め、清巳は目をすがめた。

 深層の魔物というだけあって随分と硬い。逃れようと足掻くのもあって手がぶれる。

 面倒だな。

 そう思った直後、左手の温もりが消えた。かわりに魔物の首に金青の一閃が走り、胴体が壁に向かって飛んだ。

 下から斬り上げ首を落とし、直後に飛び跳ねて回し蹴りを叩き込んだ静は軽やかに着地して、右手に持ち替えた剣を再び左手へと持ち替える。

 清巳の手を握りしめ、静はわずかに前に出てその手を引くように交差路を直進した。左手に曲がればしばらく先に地上へ続く階段があるのだが、そうしなかったということは目指す場所は限られてくる。


「どうした」


 倒れた子牛の前でうな垂れて動かない涼太に、高垣は声をかけた。


「…………いや、わかってたけど、そもそもの戦闘能力の差がでかいな、と」


 子牛の魔物をから視線を外し、並んで歩く二人の背中を見つめながらとぼとぼと後を追う。

 下層で遭遇した。同じように突進を受け止めたが、三メートルほど後方まで押され、力比べには敵わなかった。

 だからこそ、押されることなくその場で受け止めて見せた清巳との差をひしひしと感じさせる。

 首を落とすのだって簡単なことではない。緋色の双剣でも簡単にきれないほど皮膚が硬かった。緋緋色金の双剣だからこそ斬れたのであって、愛用の双剣ならば傷ひとつつけることもできなかっただろう。ゆえに、口腔から脳天を突き刺すという、失敗すれば腕一本持っていかれてもおかしくない手段をとった。

 そんな相手を、しかも下層よりさらに強度を増しているであろう深層のものを、こともなさげに倒した二人に対し、じわじわと悔しさが湧き起こる。


「焦れば下手すると死ぬぞ」

「……静ちゃんは良くて俺は駄目なの、単に俺が弱いからなんだろうな……。……多少は仲良くなれた気がしてたけど、思い返してみると、そっけなかった理由に納得がいってさー。…………凹むなあ……」


 決して清巳の方から一緒に行動しようとはしなかった。声をかけてくることもなかった。いつも涼太が付き纏いあしらわれるばかり。その強さも理解してはいたが、静という存在が現れたことによって、対等に思われていないことが浮き彫りになった。ただそれだけ。初めから、清巳にとって友人ではなかったのだと思い知らされた。


「それも一理あるだろうが、単に煩わしいだけだったりしてな。なにせ、図体だけはでかくなった三歳児だ」

「さっきから辛辣すぎない? 俺に恨みでもあんの?」

「今まで散々、人の仕事を増やしておいて恨まれてないとでも思っていたのか」

「そ、それは……」


 涼太の目が泳いだ。

 一度や二度ではなく、数えきれないほど雷が落ちた記憶が脳裏を駆け巡った。

「心当たりしかないようだな……ん?」

 軽口を叩いていた高垣は足を止めた前方の2人に数秒遅れて足を止めた。

 五メートル前方に二体のキマイラが道を塞いでおり、六対の瞳がおめおめと姿を現した獲物を睥睨している。


「うげ……まじか……」

「復活早いなあ。……よし」


 威圧に顔を強張らせながら呻いた涼太に対し、静は気負った様子もなくカメラを清巳の左手に押し付けた。


「持ってて」


 その歯牙にも掛けない態度に腹を立てたのか、キマイラが吠えた。それを合図に駆け出したキマイラに静がひとつ睨みを効かせる。急停止したキマイラが、二度、三度と後方へ跳んで距離をとる。

 操作をしてカメラを飛ばす清巳の横で、静は両手で金青の剣を両手で顔の高さに捧げ持ち、その刀身に唇を寄せた。

 直後、刀身が淡く煌めいた。その光は次第に強くなり、やがて剣から離れた光が朧げに輪郭を描く。それはやがて人の形をとり、その容貌が顕になった。

 一言で言うならば、物語に出てくるような騎士風の女性だ。後頭部の上の方で一つに括られた長い金青色の髪。金色に輝く切れ長の瞳は理知的な光が浮かんでいる。


『****』


 静が何かを告げた。だが、甲高いような音にしか聞こえず、発音もはっきりと聞こえない。


『**********』

『***。***************』


 静の手から剣を受け取った女性は清巳に一礼すると、颯爽と身を翻す。次の瞬間にはキマイラの背後に立っていた。

 横に倒れるキマイラに見向きもせずその女性はふっと姿を消した。


「……律姉。あれなに?」

「私が知るか。どいつもこいつも頭が痛い……」


 ぼんやりと目の前の事象を眺めていた清巳は腕を引かれて再び足を踏み出す。十歩ほど歩き、ようやく思考がまとまり疑問を口にした。


「なにを、したんだ?」

「道中の討伐お願いしたの。終わったらちゃんと大きいのの所に帰ってくるから大丈夫」


 なら、いいか。

 それ以上なにかを考えることが億劫で、静の言葉をそのまま受け入れる。

 十分ほど歩いた先は、ぽつんと両開きの扉が中央に聳え立つ小部屋だった。三メートルはあるであろう扉は今はぴたりと閉ざされている。だが、洞窟の中でも一際重苦しい空気に包まれており、息苦しささえ覚える。

 部屋の入り口の前で直立不動していた先ほどの女性が、凛々しい顔つきのまま清巳に歩み寄り、片膝をついた。そして頭を垂れて金青の剣を頭の上まで捧げ持つ。


「受け取らないの?」


 不思議そうに尋ねる静に視線を向け、清巳は尋ねた。


「受け取っていいのか……?」

「それ大きいのの剣だよ? 受け取るのがダメならやらないよ?」

「そうか……?」


 なにか、考えなければならないことがある気がするのだが頭が動かない。

 それ以上の思考は手放して大人しく剣を受け取った。


『********』

『*****、イェファリューストゥ』

『******************』


 ふと、先ほどまで音としても認識できなかった言葉の一部が聞こえた。

 聞き取れた言葉を放った静は、なにかを言われたのか仏頂面で女性を睨みつけている。


『イェファリューストゥ……?』


 聞こえた言葉を呟こうと思えば、思っていたよりも滑らかに口が動いた。

 はっと、静と女性が清巳を凝視する。

『****?』

『***********』


 二人が何かを告げるが、やはり聞き取れない。

 顔を見合わせた二人はその後もいくつか言葉を交わす。そして片膝をついたまま女性は花が綻ぶように微笑み、空気に溶けるようにその姿を消した。


「さっきの、美鶴さんから聞いたの?」

「かあさん……、…………そういえば……教わったような……?」

「そっか。そっかそっか」


 あの女性は、あの言葉はなんなのだろう、と思いながらも、上機嫌に体を揺らしながら鼻歌を歌う静に抱いた疑問をそっと胸の奥にしまう。

 喜んでいるのならそれでいい。わからないものを無知のまま引っ掻き回せば、いらぬ面倒ごとを呼ぶ。

 一足先に小部屋に入り扉を検分していた高垣は、ひと段落ついた様子のふたりを振り返り声をかけた。


「一応、聞いてみるんだが先ほどの、ぐ……がぁっ⁉」


 一瞬の苦悶に満ちた悲鳴ののち、ごきん、と耳障りな音が鼓膜を打った。

 異音がした先には高垣の後頭部があり、通常ではありえない光景に清巳はゆっくりと目を瞬く。その体は正面を向いたままで、可動域を超えて首が旋回していた。

 その向こう側で、高垣の首をねじ折った化け物がほくそ笑んだ。









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