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第二十三話 #弟妹チャンネルの配信③

「……律、姉……?」

 一緒に扉を確認していた涼太が呆然と姉の友人の名を呼ぶ。

 だが、物言わぬ骸となった高垣からは返事はない。

「やっぱり瘴気のせいで気配が分かりにくいね。お前、その人間を手にかけてなにが目的? 欲したのはこっちの人間じゃなかったの」

 静の詰問に不気味に笑うだけでなにも答えない。その返事だと言わんばかりに化け物の輪郭が崩れ形を保てないスライムのように液状と化し、穴という穴から高垣の中へと入り込む。


「やめろ!」


 血相を変えた涼太が奈落の魔物へと双剣を振る。だが、その鋒が掠めるより早く、それはするりと高垣の中へと消えた。


「っ……、くそっ……!」


 悪態をつきながら涼太が緋色の双剣を薙ぐ。――だが、すんでのところで双剣が止まった。他でもない、高垣の指が二つの刀身を摘んでいる。剣を引き抜こうとした涼太の顔に焦りが浮かび、そんな様子を嘲笑うように口角を上げた高垣はふっと力を抜いた。

 体勢を崩した涼太の腹部に回し蹴りを入れ、横へ吹き飛び鞠のように転がる涼太を鼻で笑う。高垣を肉体を完全に乗っ取った化け物は顔を両手で掴み上げて回し、そしてきちんと正面を向いて静に向き合った。


「さて、そこな娘は我に問うたな、我が目的を。答えは――これだ!」

「っ、やっぱり……!」


 身を翻した化け物を折って静が地面を蹴る。間を詰めながら緋色の刀を取り出し大上段に構える。だが、静が手を下すより早く、高垣の手が扉に触れた。

 直後、扉の表面に刻まれた溝が、手の触れた場所から線をなぞるように発光し、円を描く。そして、複雑怪奇な紋様、まるで創作物にあるような魔法陣が扉から握り拳二つ分ほど離れた場所に浮かびあがり、ひび割れて砕けた。

 ゴゴゴゴゴ、と地響きを立てながら扉が開いていく。


「閉ざすためじゃなく、開くための贄……!」


 オオオオオォォォォォォォォ……

 雄叫びのような、歓声のような、幾重にもなる声が洞窟に響いた。

 扉の奥に封じ込められていた濃厚な瘴気が一気に溢れ出す。

 鈍い頭をなんとか動かして思考を巡らせた清巳は体内に沸き起こった灼熱に息をつめた。喉の奥に一度は堰き止めたものを、耐えきれず息と共に吐き出す。


「ごほ……!」

「っ、大きいのっ!」


 悲鳴のような声をあげて静がすっ飛んできた。

 指の隙間か鮮血が滴り落ちる。息をしようにもうまく吸えなくて清巳は体を屈めた。

 体内の灼熱はすでになく、代わりに身を引さんばかりの激しい疼痛が拍動する。


「飲んで!」


 静が小瓶を口元に押し付けた。

 血に汚れた手でそれを受け取り、なんとか喉の奥に流し込む。


「げほっ……」

「もう一本……あ、だめ、なくなった。どうしよう、どうしよう……!?」


 文字通り右往左往する静に、鞄から取り出した小瓶を押し付けた。蓋を開けようにも、わずかに呼吸が戻って痛みがほんの少し軽減した程度で、細かい作業ができそうもない。

 上げてもらった小瓶を飲む、というのを小瓶がなくなるまで繰り返し、辛うじて息ができるほどまで回復した清巳は、あたりを確かめるようにのろのろと顔を上げた。

 扉の奥から吹いてくる風に怖気立つ。本能が向こう側を激しく拒む。視線を横にずらせば、双剣を杖代わりにしながら、片膝をつき、大きく肩を上下させている涼太がいる。

 そして、状況を楽しむかのように、顔を美鶴のものから高垣のものへと変えた化け物が扉の前に浮いた状態で見下ろしていた。

 締め付けられるような胸の苦しさを堪えるように胸元に手を当て、清巳は化け物を睨み上げた。


「……なんで……俺が贄だと、閉じるために必要だったんじゃなかったのか……!?」

『贄に選んださ。その娘が懐疑的だったから御しやすそうなお前に。必要だったさ。扉を閉じるためではなく、開けるために。この扉は我らが触れても開かない。こちら側の者に開けてもらう必要があるが、なかなか開けられる者も集まらない。だから、選んだのだ』


 高垣の顔を模した化け物がうっそりと笑う。


『お前はその娘のせいで近づけそうもなかったから、今度はお前よ代わりをな』

「おれの、かわり……」

「違う。人間なら誰でもよかった。それこそ、そのあたりに転がってる死体でもなんでも。……そうして、斃れてた美鶴さんの肉体を使って七年前も扉を開けた。ちがう?」

『そういえば、前の入れ物の知り合いだったか。だが、なにをそこまで怒ることがある。落ちていたものを有効に活用してやったことに感謝こそされど、そう非難される道理は』


 一振りの剣が化け物の体に突き刺さった。

 かっと目を見開いた化け物が、腹部を押さえながら立ち上がる涼太を凝視した。


『なぜ……なぜ我が切れる!?』


 突き刺さったところから全身に赤いひびが広がっていく。引き抜こうとした手は、しかし剣に弾かれて弾け飛んだ。


『ありえない、あり得ないあり得ないあり得ない……! 我の次元に強引に干渉しただと……!? そんなことできるわけが……!』


 その言葉を最後に、化け物は木っ端微塵に砕け散った。


「律姉の仇だこのクソッタレ……!」


 腹部を押さえながら立ち上がり、剣を投げつけた姿勢のまま肩で大きく息をしていた涼太は崩れ落ちるように両膝をついた。硬い音を立てて緋色の双剣の一振りが床に落ちる。

 オオオオォォォォォォ……

 再び響いた雄叫びのような声に清巳ははたりと我に返り、開け放たれたままの扉を見つめた。

 扉は手動で開いた。ならば閉じるのもまた手動なのだろう。ならば、その役目は自分であることに変わりはない。

 できることがある。そのことに心から安堵した。

 終わらせよう。今度こそ、確実に。消えるべきものは早く消えて仕舞えばいい。

 ずきりと痛んだ腹部を握りしめて清巳は足を踏み出した。


「大きいの、そっちは危ないよ」


 前に回り込んだ静が、立ち塞がる。


「だめだよ。大きいのは帰るの。あっちはだめ」

「元はと言えば、あれの甘言に惑わされて俺がダンジョンに入ったことが原因だからな。その後始末をつけさせてくれ」

「やだ。あっちはだめ。連れて行くなら私が連れて行くんだもん」


 頬を膨らませて静が断固拒否を示す。このままでは埒があかない。迂回して押し通ろうとすれび、追いかけて通せんぼをする静に阻まれる。


「静」

「だめ。やだ。だめ。やだ」


 首をぶんぶんと横に振って拒否を示す静に、清巳は困ったように眦を下げた。

 そうしている間にも、扉の向こう側では地面を覆い尽くすほどの這い寄るものたちが近づいてきているのが見える。

 あまり手荒な真似はしたくないが、仕方がない。

 剣の柄をしっかりと握り直した直後、威勢のいい声で涼太が意志を表明した。


「俺行きたい!」


 きらきらと瞳を輝かせ、わくわくした顔で涼太が高く左手をあげている。重苦しい空気に似つかわしくない輝かしい顔に清巳は眉根を寄せた。


「あ、すまん、違った。行きたい、じゃねえ。俺が行くから清は来んな」

「ふざけんな」


 詰め寄ろうと一歩足を踏み出した。だが、扉には近づけさせまいと静が行くてを阻む。


「静、避けろ」

「やだ。絶対やだ。やだやだやだ」

「わかってないな、清は。あの奈落だぞ。なんでそれが生じたのか、どうしてダンジョンに影響を及ぼしているのか、そもそも奈落というこの場所はなんなのか、未知の世界だ。そんな所を、冒険しない理由があるか? いや、ないね!」

「……………………………………は?」


 予想だにしない涼太の言い分に思考が停止する。

 にっと口角を上げた涼太が、ダメージから幾分か回復した分、軽やかな足取りで剣を拾い上げ扉に向かう。

 静を押し除けて前に出た清巳は、しかし腕を掴まれて足をとめる。振り解こうとするけれど、捕まえる力は強く振り解けない。


「ま、待てっ! だめだ、行くなっ!」


 向こう側に行くのは、彼ではない。自分なのだ。そうでなければいけないのに。

 扉の境界線を超えた涼太は驚いた顔で振り返り、やがてふと嬉しそうに目を細めた。


「ほら、案外なんともないし、大丈夫だって。何かあったとしても俺は悪運だけは強いからへーきへーき」

「静、離せ、頼むから離してくれ……!」

「やだやだや――だ――――!」


 行かなけれないけないのは自分だ。頼むから行かせてくれ。消える理由を奪わないでくれ。

 離れまいと腰にしがみつく静に四苦八苦しながら、懸命に手を伸ばす。


「戻れ……!」


 力の限り叫ぶけれども、それは背中を向ける涼太をとめる足枷にはなり得ず、無情にも、向こう側から押された扉が重厚な音を立てながらゆっくりと動き出した。


「静ちゃん。清もだけど、義兄にいちゃんのことも頼むなー。いろいろ覚えてないみたいだけど、あの人には静ちゃんが――静香ちゃん必要だから」


 背後を顧みた静が射殺さんばかりの鋭い目で涼太を睨みつけた。


「名前で呼ぶこと許してない」

「いいじゃんか。敦義兄ちゃんの娘なら、俺の姪っ子ってことなるんだし」

「知らない。だれ」

「えー……敦義兄ちゃんだよ、静ちゃんがおっちゃんって呼んでる人。桔梗敦。知らない?」


 その言葉に、静だけでなく清巳も瞠目し、思わず手を止めて涼太を凝視する。

 御坂敦という男が苗字を変えていたという話は表に出ていない。知っているということは、それを伝えられるほど近しい関係性にあることに他ならない。思わぬつながりにどう反応していいか分からず、視線が宙を彷徨う。

 扉はすでに半分ほど閉まっており向こう側に闇が広がっていく。


「っ、戻れ! せめて閉じ切る前に、こっちに戻れ、涼太!」


 嬉しそうに目を細めた涼太は、小馬鹿にするようにベーっと舌を出した。そして右の双剣の鋒を真っ直ぐ清巳に向ける。


「いいか、清! この緋緋色金を使いこなせるくらい強くなってここに帰ってくる! その時は、お前の隣に立つことを今度こそ認めさせてやるからな!」


 声高に宣言された内容にひくりと喉を引き攣らせた。

 扉の隙間から差し込む細い光が、奈落の向こうにいる彼の表情だけを明るく照らす。

 清巳に向けた挑戦的な笑みを柔らかく変え、涼太は右手を大きく振った。


「じゃあみんな、行ってくるな――!」


 威勢の良い声が遠のく。


「ま、まてって……!」


 絞り出した声は、ひどく掠れ、震えていた。

 迫りきていた化け物へ切り掛かる姿を最後に、扉はぴたりと閉ざされる。ずん、と一際重い音を最後に、静寂が小部屋に戻る。

 その痛いほどの静寂を打ち破ったのは、ぱらぱらと落ちてきた小石だった。天井を見上げた静が清巳の腰から離れて腕を引く。


「大きいの、帰ろう」


 引かれた腕を清巳は無造作に払い除けた。ぱしん、と乾いた音が響く。

 横目で睨みつければ、静が目を丸くして呆然としていた。その頬は薙いだ手が当たった拍子で薄らと赤く色づいている。


「大きいの?」

「どうして、止めた。どうして、行かせてくれなかった……!」

「どうしてって……どうして? だって大きいのは帰るんだよ?」

「誰がそんなことを頼んだ!」

「え……」


 口をついて出た言葉にはっと我に返り、くしゃりと顔を歪めて力なく項垂れた。

 地響きが轟き、頭上から落ちてくる砂塵が増え、倒壊間際の不吉な音が鳴る。

 逃げようなんて気は一切起こらない。ただ、早く自分を終わらせてしまい。


 緩慢に顔をあげ、ひび割れた天井を仰いだ。


「なんで、頑張ってたんだろうな……俺はなんのために……、…………」


 なんのために、ここに来たのだろう。最初からなにもしなければ、なにも望まなければこんなことにはならなかったのに。死にたいと望んだことすらも、間違いだった。

 視線の先で天井が沈んだ。


「大きいのっ!」


 腹部に衝撃が走る。 直後、足元の反発がなくなりかくんと足が落ちる。背中に空気抵抗を感じながら清巳を目を閉じた。






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