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42 デートのお誘い

 父、イングルフとの唐突な面会でノクティアは全ての気力を失っていた。

 あの後、ソルヴィが寄り添い続けてくれたお陰もあって、落ち着きを取り戻すのは早かったが、何かやろうとする気力も沸かず、翌日はベッドに突っ伏して一日が終わった。


 侍女たちにも心配されたし、あの場に居合わせたエイリクも心配そうな顔を貼り付けて様子を伺いに来た。


 だが、別にエイリクは悪く無い。彼は父の側仕えだ。主人の命令だから連れてきたと、ノクティアももう分かっている。仕方の無いに違いない。


 ――貴族の結婚に、いかに世継ぎを設けるかが大事かは分かる。

父の言葉をノクティアは何度も反芻し続けた。その都度、自分はなんて浅はかで、無知で幼稚なのだろうと打ちのめされたような気分になる。その半面で、やはり惨めな母を思い出して許せない気持ちも沸き上がった。

 愛していたのに、どうして一緒に居られなかったのか……。


 あんな沈痛な表情を向けられた事、そしてまるで極夜にまたたく星のように、今にも燃え尽きそうな儚い光を見た事が何度も頭に過った。


(私、結構似ていたな……)


 父の顔を思い出す都度、ノクティアは深く暗いため息をついた。


 ---


 翌々日。安楽椅子に座り、マリオラから貰った本を開いてぼんやりと過ごしていると、叩扉が響く。間もなくしてソルヴィが部屋に入ってきた。朝食からそんなに時間も経っていない。


「ノッティ今いいか?」

「うん。こんな時間に珍しいね。お仕事は?」


 昼食前だ。いつもは、執務室に籠もっているか、どこかに出向いているか、ジグルドの鍛錬にしごき倒している時間だろうに。

 ノクティアが首を傾げると、彼は「暫くは余裕」と伸びをしながら言う。


「そうなの」

「ん。だからデートの誘いに来た」


 ……デートとは?

 ノクティアが目をしばたたくと、彼は唇を綻ばせて優しく目を細めた。


「俺と一緒に出掛けるって事。狩猟小屋で一泊羽を伸ばしに行かないか?」


 気晴らしに。なんて、言われるのでノクティア瞳に久しく爛々とした光が宿る。

 あの狩猟小屋の、木のぬくもりを感じる内装も周りの景色も好きだ。ノクティアはぱっと面輪を明るくする。


 しかし、一泊……? あの小屋は本当に二人しか泊まれないのは、彼に出会ったばかりの頃、一週間近く世話になったのでよく知っていた。


「二人きりで?」


 言葉にすると頬に熱が攻め寄せる。そんなノクティアの表情を見てか、ソルヴィの頬にもたちまち朱が差した。


「別に下心は無い。寝室が二部屋あるのは知っているだろ?」


 確かにそれもそうだ。それに、そもそも何度か一緒に寝ているし、好意があるにしても、ソルヴィがいきなり手を出してくる事はやはり考えられない。それほどまでに信用できるし信頼している。


(事実、あの人の言う通りの人だよ……)


 ──良い青年だ。おまえを誰より思っている。おまえの意志を尊重している。

 やはり父の言葉が過ぎってしまった。


「で、どうする? 行くか?」


 ソルヴィは照れくさそう鼻頭を摩って訊く。断る理由なんてどこにもない。


「行きたい!」


 ぱっと明るい表情で言うノクティアの髪をソルヴィは優しく撫でた。


 ---


 そうして、彼の愛馬に相乗りして二人は狩猟小屋に向かった。

 二人きりで出掛けるのは久しかった。


 ヒースの見頃は終わり。九月に入って秋も深まり、もうすぐ紅葉が始まる。街のプラタナス並木の色は少しずつ褪せ始めていた。

 鏡のような水面のフィヨルドの海岸線を横切り、やがて、あの場所が見えてくる。


 前に来たのは、夏に釣りに来た時か。あれから二ヶ月が過ぎているが、やはり煤けた雰囲気もなく綺麗だった。それでも折角泊まる上、快晴なのでシーツを洗濯する事にした。

 井戸で水を汲んで、たらいに水を張りじゃぶじゃぶとシーツを洗う。屋敷に来てから、こんな事は一度もしていなかった。何だか新鮮で楽しくなりノクティアは珍しくはしゃいだ。

 そんなノクティアを見て、ソルヴィも嬉しそうだった。


「そうだノッティ。靴を脱げ。その方が早い」


 そうして二人素足になって、洗濯物を踏む。手で触れるより冷たい。ノクティアは悲鳴を上げながらも足踏みをする。そんな時ふと思ったが、ソルヴィは図体だけではなく、足まで大きな事を初めて知った。思えば手だってそうだが。そうして思わずノクティアがソルヴィの手に触れてみると彼はそっと手を繋いでくれた。


「どうした?」

「ふふ。手が大きいのは知ってたけど、ソルヴィって足も大きいんだねって初めて知っただけ」


 そんな風に笑うノクティアに、ソルヴィは目の縁をほんのり赤らめていた。


 それから二人は洗濯を干している間にボートに乗って釣りに出た。夕刻までの釣果はマスが四匹。そうして狩猟小屋に戻るなりに、シーツを取り込み、夕食の準備にかかる。竈に火を入れて、マスを捌いて、塩をまぶす。それに屋敷から持ってきた食材をテーブルに並べて少し黙考したソルヴィはすぐに調理に取りかかった。


 ノクティアも少しだけ手伝った。けれど、具材を鍋に入れるだけや配膳など簡単な事だけ。

 そうして、できあがったのはマスのシチューと香草焼き。トナカイの塩漬け肉の乗ったサラダ。蜂蜜の酒──ミードも並び、ソルヴィらしい料理がずらりとテーブルに並ぶ。


 本当の二人きりというのも随分と久しく、静かな夜だった。それでも温かな夜だった。ノクティアはソルヴィと食事を楽しみ談笑した。

 その話題は、領地の事や庭造り話。マリオラの話に、ジグルドの鍛錬の話まで。


「ジグルドは筋が良いが、体力が足りん。単純な力だけだと本当にイングリッドの方が強いな……」


 足を怪我して、暇を与えられていたイングリッドが鍛錬の場に来たらしい。そこでジグルドとイングリッドが腕相撲させたが、イングリッドの方が強かったそうで、悔しがるジグルドの顔が面白かっただの、ソフィアがそれを見て、大笑いしただの。ノクティアも知らない話が幾つもあった。


 改めて思ったが、この一年で、あの離れは随分と賑やかになったと思った。


 ソフィアが侍女となり、イングリッドがやって来て、ジグルドも来た。時々、エイリクも顔を出してくれて、スキルやヴァルディも様子を見計らってふらりと現れる。賑やかで、幸せだとノクティアがあらためて思った。そしてこの環境を築いてくれたのは誰でもなくソルヴィで。


 そうして食事を終えて、食器を片付けるが、まだ話し足りない心地がした。

 別々の部屋に戻ろうとするが、ノクティアは別れ際、思わずソルヴィの袖を摘まんでしまう。


「どうした?」


 自分でも自分の取った行動の意味が分からず、ハッとした。とっさの手を引っ込めようとするが、ソルヴィにすぐに手を繋がれた。


「……もう少し話すか? 俺ももう少しノッティと話したい」


 心でも汲み取ってくれたようだった。ノクティアが頷くと、彼も嬉しそうに微笑んだ。



 その部屋はベッドとサイドテーブルだけと調度品が無い。ノクティアが彼に救われた時に宛てられた部屋より随分と簡素で殺風景だった。

 二人でベッドの縁に腰掛けるが、いざこうも近くに寄り添うと妙に緊張して言葉が出てこなかった。

 沈黙を破ったのはソルヴィだった。


「そういえばスキルとヴァルディって出てくる場面をかなり読んでるよな」

「多分。呼べば来ると思うよ。でも、今みたいなかんじだと来ないね」


 邪魔したら悪いと思いますもん~なんて、スキルの真似をすると、ソルヴィはクスクスと笑う。

 その矢先、ノクティアの視界の端に青白い蝶が一匹だけ舞う。

『あまり似てませんねぇ』なんてスキルの声がどこからかした。

 そして消え行く時『二人で良い時間を』なんて。


「うん。いる。いるけど、出てこないよ。ソルヴィの言う通り」

「優秀な使い魔だな」


 そう言ってソルヴィは笑った。

 他愛も無い談笑を続けるうちに夜は更けていった。


 自分が魔女になった理由を、死に戻りを言うか。どのタイミングで伝えるか……それが、頭の中でちらつくがやはり彼に言うには覚悟がいた。

 今じゃなくてもいいだろうか……。


 そのうちに、肌寒くなってきた。腕を摩るとそれに気付いたのかソルヴィはノクティアの膝に毛布をにかけて、横から抱き寄せる。

温かな心地が気持ちよくて、ふと彼の方を向くと、すぐに額に頬に口付けを落とされた。そして唇の端にも……。


「ノッティ、キス嫌がらないよな……」


 唇と唇が触れあいそうな近い距離でそう言って、彼はノクティアの薄い唇を太い指でなぞる。


「嫌じゃないよ。だって何度もしてるでしょ」


 唇にはしないよね。なんて思ったままを言うと、彼が小さく笑う息が唇を擽った。


「……したいさ。だけど、ノッティが俺に本気で愛される覚悟ができたらするって決めてる」


 抱かれる覚悟も無いだろ? なんて、小さく付け添えて、彼は緩やかに顔を離す。

 その面は穏やかだった。だが、琥珀色の瞳は蕩けて、情欲の色が揺れている。それでも……。


「私、全てを受け入れるのは、まだ怖い。だけど、ソルヴィの傍にいたい」


 ──私は、わがままかな。

 一緒にいたい。と、もう一度ノクティアが素直な本心を告げる。


 すると、ソルヴィはノクティアの細い腰を抱き寄せ、シーツの上にやんわりと押し倒した。


「本当に可愛いな俺の奥さんは……いつまでも待つさ。永遠に側にいる」


 じゃあ、俺にをしよう。と、外耳を擽る甘やかな声。ノクティアは頬を染め、きつく瞼を閉ざした。



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