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74 毒婦の本性

 ──ここに来てようやく全てが上手くいった。逃げるように去って行ったソルヴィの側仕えを見てフィルラはニタリと唇に弧を描く。


「奥様、あのゴロツキは取り逃がしましたが追跡させましょうか?」

「ええそうね。きっと援護を呼びに麓の教会に行くでしょう。でも貴族と平民階級の騎士や聖者。大した脅威でないわ。いくらでも言いくるめられるもの。それより先にこの巨体を運んで貰わないと」


 フィルラは冷めた目で、床に転がるソルヴィを見た。


 ──ジギタリスの毒に複数の薬剤を。この即効性の毒を作り出すのに、ネズミやウサギを何匹殺したか分からない。だが、人間にはあくまで〝殺さない程度に〟痛めつける為に。勿論、摂取程度によって命を奪う事は可能だが、あくまで〝衰弱〟が目的だった。


 ジギタリスは薔薇の開花時期と被る事から、一緒に近くに植えられる事が多い。この屋敷の庭もそれは同じだった。


 だが、夫を殺した植物はまた別。そちらはスズランだ。

スズランに関しては、『香り高く可愛らしいからこの花が好き』と結婚して間もない頃に言った所、庭師が馬鹿みたいに沢山植えてくれた。

 そんな話から、夫が調香師を呼び寄せて、スズランの香水を作ってくれた事があった。その頃は戦乱直後で世間の雰囲気も淀んでいた。なので、気分が少しでも優れるようにとの計らいもあっただろう。


 呼ばれた調香師はなかなか甘い顔をした男。フィルラの好みだった。

 この男は既婚者だったが、誘惑すれば簡単に関係を持ててしまった。そこで知ったのが、スズランの毒性だった。

 この男はその他にも身近な有毒植物の事も教えてくれた。腕枕をされながら「やだ恐いわ」なんて言いつつもこれは使えると、内心でほくそ笑んでいた。 


 ……血まみれだの、酷い死に方をした死体は、できればもう見たくもない。だから毒殺は最適な手段だった。


 そもそもイングルフの母──前侯爵夫人を殺めたのも自分だ。

 エリセがイングルフの子ではないと、すぐ射抜いたから。男遊びや金遣いを指摘されたから。その時は戦乱中で前侯爵の戦死を言い渡されたばかり。この女が心底目障りになって、自殺に見せかけるように、スキュルダと共謀し排除した。

 その時、のど笛をかっ切ったが、納屋中に血飛沫が飛ぶわ、恐怖のあまりに糞尿を垂れ流すわで最悪だった。穢らわしい。


 過去を思い出しながら、フィルラはため息をつく。 

 だからこそ毒は使えると思った。そう、確かに便利だが、中毒症状に嘔吐はつきもの。どちらにしても穢らわしい。


 ソルヴィは既に意識が朦朧としているのか、焦点があっていなかった。吐き出すものが無くなっても今も尚、嘔吐きを繰り返している。部屋に吐瀉物の匂いが満ちてきた。堪らなくなってフィルラはハンカチーフを取り出し鼻と口元を覆う。


「早く来ないかしら。あと、ここを片付けておくように、臭って堪らないわ」


 フィルラがソルヴィの肩をヒールで揺すりながら言うと、傍らに立つスキュルダは快い返事をした。


 この男……ソルヴィも殺せてしまえれば、どれだけ良いのだろう。


 だが、殺してしまえば、イングルフの死の直後の不審死は当然怪しまれるのは分かっていたので〝今ではない〟と分かる。

 それまでは上手い事隠しておけば良い。この男の失脚の道筋は既に立てておいた。


 生かしておいて、使えるものは使ってやろう。年端は離れているが、ソルヴィの見てくれは嫌いではなかった。

 体格が逞しすぎるが、この優しげな顔立ちのお陰で及第点だ。ここまで年の差がある若い男と寝た事は無いが……体格的に〝さぞ立派なもの〟を持っているだろうと想像できる。きっと悪くないだろう。

 フィルラは舌なめずりをしてソルヴィを見る。


 証明できないものは、所詮何ひとつ裁けないのだ。それに金を積めば世の中はだいたい上手くいって、何とでもなる。自分はか弱い女だ。何か訴えられても、しおらしく被害者の振る舞いをしていればいい。

 最高の道筋が見えて、フィルラはほくそ笑んだ。


 ※


 夕刻の礼拝を終え、自分に宛てられた部屋に戻る最中だった。リョースの目の端で神秘的に光る青白い蝶が雪煙を上げて舞い、一羽のワタリガラスが姿を現した。


『おい、おまえ。僕の声、聞こえるだろ!』


 男とも女とも判別できない子どもの声で捲し立てられリョースは目をしばたたく。


「聞こえるが。貴方は確か、ノクティア様の……?」


 二羽のワタリガラスを従えているのは知っているし、雑談から名前も聞いた。本来の姿でならぼんやりと見た事がある。一人称からしてオスの方──ヴァルディだろう。

 廊下にはどこにも羽を休める場所がない。


「ここに留まれ」


 リョースが腕を差し出すと、ヴァルディは腕に留まった。


『大変だ。お願いだ助けてくれ、ノクティアが、旦那まで……』


 ヴァルディは侯爵家の状況を語る。初めこそ冷静に聞いていたリョースだが、次第にその面輪は次第に険しいものになった。

 仕事だからとノクティアを異端審問に追い込み脅かした自分が言うのは何だか、度が過ぎている。どこまでの悪意があればそこまでの事ができるのだ。庶子であるノクティアが何をしたというのだ。彼女の夫、ソルヴィが何をしたというのだ。神がそんな悪事を赦す訳が無いだろう。

 ──悪魔め。リョースの碧眼は憎悪による興奮で血が巡り、濃く発色していた。


「分かった、必ず力になろう」


 彼が低く、冷たく発した途端だった。

 教会の正面扉が開かれる音が響き、アーニルとリョースを呼ぶ男の叫び声が聞こえた。

 ……確か、ジグルドといったか。だが、すぐに騒ぎが収まったので恐らくアーニルがもう出たのだと分かる。しかし、間髪入れず今度はアーニルに呼ばれた。


「リョース様! リョース様いらっしゃいますか!」


 本当になぜこんな事になったのだ。リョースが髪を掻き苛々と礼拝堂に踵を返し、扉を開く。


「聞こえている、この者から全て話を聞いた」


 リョースが腕のヴァルディに目をやると、彼は低く鳴く。


「アーニル、ジグルド。貴様ども騎士は、侍女たちのもとへ行け」

「……手がかりが?」


 ジグルドは今にも泣きそうな顔だった。思えばそうだ、ノクティアの侍女たちは姉と恋人だったか。こんな表情になるのも無理も無い。リョースは、安心させるようにジグルドの肩に手を置いた。


「もう一羽が探り宛てたと、彼が言っている」


 腕に留まるヴァルディを一瞥すると、彼は頷きジグルドを見つめて語るように鳴き始めた。


「……何やら二人は庭師と逃げて、マリオラの家の納屋に身を隠しているそうだ。何でも、異変に気付いた庭師が真っ先に離れに来たらしい。そして庭師とおまえの姉が鍬やホークを持って暴れ回ったらしい。二人は怪我をしているらしいが、もう一人は無事だそうだ」


 ヴァルディの語る言葉を伝えると、ジグルドは安堵したのか、表情が少しだけ和らいだ。


「二人とも、彼女らを保護して連れて来い。ここは聖域だ、腐れた悪魔になど踏み荒らす事は私が許さない」


 その言葉に二人は手を胸に当て「はっ」と同時に答えた。


「……保護でき次第、足が早い方が王都の騎士団詰め所まで行け。この状況だ。恐らく、前侯爵殿は病死と見せかけた殺人と思しい。私は地方判事と近隣の聖職者に話をつける」


 相手は、間違いなく人の心が欠けた冷徹な女だ。夫の葬式もろくに行わず、さっさと埋葬する事も考えられる。だが、いくらなんでも、人が死んだならば聖職者に声をかけるだろう。無論それは、ここ以外の。


 この教会は既に現在の侯爵夫妻との関係が深い。それに、侯爵とは同期の聖騎士まで在住している、わざわざ頼りに来る訳が無いとは思う。

 ……それにノクティアを魔女と罵ったというなら、間違いなく〝魔女としての処刑〟や残忍な拷問を希望するだろうと想像できた。


 片や彼女の夫……侯爵においては、恐らくすぐには殺さないだろうと想像が容易い。当然、安否の保証などどこにも無いが、立て続けに人が死ねば明らかに不自然だ。相手だってそこまで愚かではなかろう。


 リョースは浮かび上がる流れに爪を噛む。そんな事が許せる訳がない。悪魔だ。この悪魔は完膚なきまで叩き潰さなくては。


「必ずソルヴィ様とノクティア様を救い出そう。悠長にしていられない。行くぞ」


 その言葉に二人は再び騎士らしい返事をする。そうして三人は、それぞれ目的を果たしに二手に分かれた。

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