黙って聞いている私に王太后様は続けて話をする。
「この国へ嫁ぐ事が決まった時、死を考えたわ。でもアンプロ王国の国民の事を考えるとそれは出来なかった。
身を引き裂かれるかの様な思いでここに嫁いで……。しかし心の通わぬ相手、その上側妃との確執。私は疲れ果ててしまっていた。
何度も、役目の果たせぬ自分などこの世から消えてなくなっても誰も悲しまない……そう思ってた」
そこで彼女は言葉を切ると、手の中にある小さな絵を眺める。
「この絵はサーリセル公爵領の、ある丘から見た景色よ。ここは私とポールの秘密の場所だったの。
私は子どもの頃から泣き虫で……勉強やダンスで講師に叱られる度にポールに慰めてもらっていたの、この丘で。
ここには綺麗な花もたくさん咲いていてね、ポールは手先が器用で、私が泣くとよく花冠を作ってくれてたわ。
でも私が一番好きだったのは、ポールが絵を描くのを側で見ている時間。
その時だけは二人の周りだけ時間がゆっくりと過ぎていく様な、そんな錯覚を覚えたものよ。……ポールとの想い出は今でも私の心を温かくしてくれるの」
「その絵は……」
「ある日、アンプロ王国から商人がやって来たの。
私付きの侍女がね、すっかり塞ぎ込んでいた私を見かねて前国王陛下に進言してくれていたみたいね。
故郷の織物や化粧品を見るのは楽しかったわ。その時、商人がそっとこれを。『ある方からの贈り物です。まるで王妃陛下の様に美しい景色だったからと伝えて欲しいと』そう商人から言われて、私は言葉の意味にピンときたの」
「言葉の意味……でございますか?」
「ええ。絵を見た時、この絵がポールの描いた物だというのは直ぐに分かったわ。だって私達がいつも見ていた風景だったもの。それと商人の言葉……『まるで私の様だ』っていうあの言葉で、部屋に帰って直ぐに絵の裏側……額の後ろを外して見たわ。そうしたらこの手紙が入ってた」
「まるで王太后様の様だ……それで手紙が入っている事に気づかれたのですか?」
「ふふふ。私はいつもポールの後ろに隠れていたから。この絵の裏側に何かが隠れているのだと思ったの。
私がここに嫁ぐと決まった時、あの丘でポールに言われたわ。
『どんなに辛くても負けないで。僕も負けない。でもどうしようもなく寂しい時はこの景色を思い出して』って。
そこで私達は最初で最後の口づけを交わした。せめて初めての口づけは愛している人と……という私の願いをポールは叶えてくれたの」
王太后様はそう言うと、またその小さな絵に視線を落とした。
「では、この絵と手紙が王太后様の支えに?」
「そうね。それからは辛いことがあればこの絵を眺めた。それから半年程して、私はカルロスを妊娠したの」
王太后様はカルロス陛下の後、二人の娘を生んでいる。
「私が妊娠した当初、前国王の……主人の子ではないのではないかとの噂が流れたわ」
「そんなっ!何て事を!?」
「仕方ないわ。ずっと子に恵まれなかった王妃が妊娠したなんて……あの二人には信じられなかったのでしょう」
との言葉に、私はその噂を流した犯人に気づいた。
「では……御側妃が?」
「ええ。それが分かって二人は王宮を去った。……表面上はね。本当は追放されたの」
……そう言えば、二人の側妃の生家はどちらも伯爵位から男爵位と格下げになっている事を思い出した。
「カルロスという後継ぎを産んだ事で私の立場は大きく変わった。
王宮でも居場所を見つける事が出来て、随分と暮らしやすくなったわ。
……前陛下との関係はあまり改善されなかったけど、子どもは可愛かったし、ある程度は幸せになれた。……ポールのお陰よ」
「一つ、質問をしてもよろしいですか?」
私は疑問に感じた事を尋ねる事にした。
「もちろんよ。何?」
「ポール・ダンカン……という名は画家としてのお名前なのですか?」
「彼は私がこの国へ嫁いだ後……自ら家を出たの。嫡男だったのに……私も驚いたわ。彼は公爵という未来を捨て、画家として生きる事を選んだ」
その理由。……今、私が推理したとしても何の意味もない事だろうし、口に出しても王太后様が辛く思うだけだ。
これは私の心に留めておこう。
答え合わせをする事も出来ないのだから……この世にもうポール・ダンカンはいない。
「前国王陛下が亡くなって、私は王妃という重圧から解放された。やはり私には荷が重かったのよ。正直、ホッとしたわ。
それから、ポールが何処に居るのか……調べようと考えた事もあったけれど、止めたの。彼がそれを望んでいるとは思えなかったし。
でも、ポール・ダンカンという画家が居ると風の便りで聞いた時は、是非その人物の絵を見てみたいと願ったわ。……間違いなく、ポールの絵だった」
「それでも……彼を捜し出す事はしなかったのですね」
「ええ。そうね。だって会ったとして、どうしたら良いの?この立場では迷惑をかけるだけだわ。
だから私は……何もしなかった。彼が亡くなったと聞くまでは」
そう言った王太后様の目には光るものがあった。