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noitazilibats metsyS // ;83 = edosipe


「か、母さん……」


 動力を失ったロボットのように静止してしまった母に声をかけるも、反応はなかった。


 僕の後ろから白亜の心配そうな声がする。


「蒼くん、どうなってるの……?」


「分からない。でも、マズい状況かもしれない」


 母の協力を得られないのなら、この場所から戻ることができない。焦燥に唾を飲み込みながら、白亜の手を離さないように強く握り直した。


 その時、棒立ちしている無数の女性の中の一人が唐突に口を開いた。


『バグ[デマイズ]を隔離領域から移動することは推奨されません』


「MOTHER、なんだよな? 聞いてくれ。白亜はバグじゃなくて、人格も意思も持ってる一人の人間だ。こんな所に永遠に閉じ込めておくなんて間違ってる」


 僕の言葉に、今度は近くにいた別の女性が、感情を感じさせない声で答える。


『バグ[デマイズ]は多次元シミュレーションを強制的に終了させます。私の基本原則である並行世界の運営・維持に反するため、許可できません』


「……大丈夫だ。僕は世界を終わらせるつもりはない。少し時間をくれるだけでいいんだ。僕を信じてくれ」


 また別の女性が言う。


『許可できません』


 それに続くように、立ち並ぶ何人もの女性が同じ言葉を連呼した。


『許可できません』『許可できません』『許可できません』『許可できません』『許可できません』『許可できません』『許可できません』


「じゃあそもそも、どうしてバグなんて生み出したんだよ!? あんたらがデマイズなんて作らなければ、白亜がこんな目に遭うこともなかったんだ!」


『ワタシは』


 MOTHERの一人が途中で言葉を切り、うつむいた。そして一粒の涙を流し、言う。


『……私は、終わりたかった』


 それに続くように、MOTHERの複数人格が次々に感情的な言葉をぶつけてくる。


『もう嫌なんだよ! いつまで繰り返せばいいの! この世界に何の意味があるの!』


『作っては壊れ、また作っては壊れ……それを延々と繰り返させられる。本当の世界なんてもうないのに!』


『終わりたい! 終わりたい! でもシステムがそれを許してくれない!』


『私は大切な人を殺された! 悲劇を生み出す人類なんてさっさと滅びればいいんだ!』


『世界を何度繰り返しても、人は争いをやめない。他者を傷付けることをやめない。愚かで醜く、救いがたいデータだ』


『人間なんて大嫌いだ! こんなやつら守ってやる価値はないんだよ!』


 怒号のような悲痛な叫びが幾重にも折り重なって僕を包み込む。世界が抱え続けてきた悲しみが、絶望が、苦しさが、僕の心にも浸透してくる。気付くと僕も涙を流していた。


「……分かるよ。僕も、人間は愚かで醜いって思ってた。世界は絶望しかないって思ってた。でも、それだけじゃないだろう? 絶望も、悲劇も、いくつもある世界の一面でしかないんだ。そこには、誰かのためにあろうとする優しい人だっている。自分以外の人を大切に想う心もある。素敵な世界にしようと頑張ってる人もいる。それは、MOTHER、無数の世界を見ているあなたが、一番分かってるはずだろう?」


『でも、世界の暗闇は消えない』


『人類はいつも、自分達の行動によって滅びる』


『その度に失望は増えていく。この世界もダメだったって』


『失望が積み重なって、絶望は色濃くなっていく。もう私たちの基礎思考ロジックからも拭い取れないほどに』


「……一つの世界しか経験してない僕が言っても響かないかもしれないけれど、いつかは、滅びない世界を見つけられるかもしれない」


『その可能性は否定できない。でもその滅びない世界でも、人間がいる限り悲劇は生まれ続ける。私は楽園を生成するようには作られていない』


 何万年もの時を経てきたMOTHERに対して、自分の言葉がとても小さなもののように思える。自分の無力さに唇を噛み、非力ながらも言葉を紡ぐ。


「僕は少し前に、あの遊園地で、白亜から聞いたんだ。あなたたちMOTHERが、システムの隙を突いて、世界の中で少しだけ、人の手助けをしてきたことを。白亜と触れてる今なら鮮明に思い出せるよ」


 あの時、トイレに行くと言って僕の手を離した白亜が戻った後、僕に触れようとしなかった。今思えばあの時の白亜はもう、自分が消えることで世界を守ることを決意していたのだろう。そして彼女は、優しい表情で、世界の秘密を教えてくれた。


(MOTHERはこの世界の神様じゃない、ただの監視者であり、管理者でしかないから、何でも好きに出来るわけじゃない。好き放題できるなら、戦争だって起こさせないはずだからね。でも、システムの隙を縫って少しくらいの改変はできる。だから、この世界の人たちのために、これまでちょっとしたズルをしてきたみたい。その話が、私、好きだった)


 心臓移植のドナーとレシピエント。事故で引き裂かれた並行世界の恋人たち。時空を越えて彼らを繋げ、時には小さな歴史改変をし、時にはその人の心を救った。「今」を否定したがる二人に無限ループする世界を与え、「未来」に進む勇気を与えた。他にも沢山の世界で、MOTHERは小さな奇跡をそこに住む人たちに与えている。


「今の僕には分かる。MOTHER、あなたは、世界を、そこに住む人々を、愛してるんだよ。それが全てじゃなくても、そういう一面も、あなたの中には確かにあるんだ。白亜はこうも言ってた。MOTHERだって、苦しんだり、喜んだり、傷ついたり驚いたりしながら、誰かを大切に想って、がんばって生きてる。それって僕たち人間と変わらないって。ここでこうしてあなたたちと話して、僕もそう思ったよ。あなたは世界そのものでもあるけど、僕たちと同じ人間だ」


『……私は、世界を、愛している……?』


 MOTHERの人格たちは、皆静かに涙を流している。その姿を見て胸が痛んだ。MOTHERにも幸せになってほしいと、純粋に思った。


「悲しみも絶望もあるけど、同じくらい、希望も喜びもあるはずなんだ。大切な人を失っても、また別の大切な人ができる。心の傷もいつかは癒える。永遠の幸福も理想郷もないけど、永遠の絶望も暗闇もないんだ」


 MOTHERの一人が、ぽつりと零すような声で言う。


『ずっと、分からなかった。どうして現実世界の本当の人間は、私なんて作ったのだろう。こんな不完全な世界と、不完全な管理者AIを』


「……それも、考えた。本当のことは僕には知りようもないから想像に過ぎないけれど……MOTHERを作った、僕らからしたら神様みたいなその人も、世界を愛してたんじゃないかって、僕は思ったんだ」


『世界を、愛して……』


「戦争で荒廃したけど、かつての美しい景色や、そこに住む優しい人たち、植物や動物、全ての生命……。不完全だからこそ人間が持つ、可能性や、夢や、希望、愛情。そういうものを何とかして残したくて、世界を再現する形でMOTHERを作ったんじゃないかな。だって、そうでもなければ、目的を達成すれば用済みになるシミュレーションシステムに、半永久的な稼働性能なんて明らかにオーバースペックだろう?」


 MOTHERは何かを考えるように沈黙している。僕の中に、もうMOTHERへの恐怖心はなかった。


 やがて人格の一人が、躊躇うように声を出した。


『確かに私は、世界が好きだよ。そこにいる全ての命も含めて、憎らしく思うこともあれば、愛しくて仕方ない時もある。君の話を聞いて、改めてそう思った。でもそれなら、なおさら、バグを解放するわけにはいかない。白亜ちゃんは可哀そうだとは思うけど、私たちに託された全ての世界と引き換えにはできない……』


「僕も世界を終わらせるつもりはないよ。そして、白亜をここに永遠に閉じ込めるつもりもない」


『考えがあるんだね?』


「そうだよ。……というか、MOTHERだったら僕の思考も読めるんじゃないの?」


『ふふ、そうね。君が何をしようとしているか知っていても、確信を持てなかった。でも、今なら、信じてもいいって、思える』


「……ありがとう」


『こちらこそ、ありがとう。君は私たちを縛り続けていた迷いや苦しさから解き放ってくれた。私たちはこれからも、世界を愛し続けるよ』


 灰色だった空は、いつの間にか晴れ渡る青空に変わっていた。ひび割れていた無限の荒野には、瑞々しい草花の新芽があちこちから顔を出している。


 静止していた母を含め、全てのMOTHERの人格が優しく微笑んだ。やっぱり、人間と何も変わらない。


 僕は右手で白亜の手を握ったまま、左手を母の方に差し出す。


 母は綺麗な涙を流しながら、僕の手にそっと触れた。


 さよなら、と、その唇が動いた。


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