花開かせる清談、その基礎を作った人だ。
ゴリゴリの儒家に生まれながら、
道家に走ったという、変わり種でもある。
かれは
玄談の旗手として知られていた。
そのため、しばしば二人は
激しく議論を交わしていたが、
それによって仲違いする、
と言うことはなかった。
ある時二人は、
議論を聞く中で裴徽、二人の見解を整理。
その論に通底するものを解きほぐし、
両者に伝える。
なるほど、そんな着地点が!
ふたりもまた、裴徽の解説を聞き、
大いに喜ぶのだった。
傅嘏善言虛勝,荀粲談尚玄遠。每至共語,有爭而不相喻。裴冀州釋二家之義,通彼我之懷,常使兩情皆得,彼此俱暢。
傅嘏は虛勝の言に善く、荀粲が談は尚おも玄遠なり。至れる每に共に語り、爭い有りても相い喻せず。裴冀州の二家の義を釋せるに、彼我の懷きたるに通じ、常に兩情をして皆な得さしめ、彼と此とを俱に暢せしむ。
(文學9)
このエピソードを読む感じだと、荀粲・傅嘏・裴徽が清談を本格的に始めた人、みたいな印象になります。なお清談のベースは老荘なんですが、そこに結構仏教も合流してきてたっぽいです。なので清談まわりは結構その辺の哲学談義が出てきます。