この凶報を、許允の門下生は
慌てて妻に伝えに行く。
織物をしていた妻は、
しかし、顔色を変えない。
「いつか、こうなるとは思っていました」
門下生、息子たちを
隠したほうが良いのでは、と提案する。
だが妻は首を振る。
「子供たちのことなら大丈夫です」
一家は墓所に居を移す。
そこへ司馬師が、
名目は弔い、とのことだったが、
実質は息子らの見定めだった。
子らの才が父並みであったら、
脅威として取り除かねばならぬ、と。
子供たちは、鍾会への対応を、
前もって母親と打ち合わせていた。
母親は言う。
「貴方たちは立派です。
しかし、能力はまだまだ。
変な誤魔化しはせず、
気持ちを素直に打ち明ければ、
問題はありません。
ただし、必要以上に泣き叫ばぬよう。
鍾会が哭礼を止めたら、
貴方たちもすぐに哭礼を終えなさい。
また、少しだけ朝廷のことを聞くこと。
ただし、聞き過ぎてはいけませんよ」
この指示に、子らは従った。
許允の子らは必要以上に泣かない。
朝廷のことにも、
ぼんやりとした関心しかない。
すなわち、過分の才無し。
そう鍾会は判断し、司馬師に報告。
こうして彼らは難を逃れるのだった。
許允為晉景王所誅,門生走入告其婦。婦正在機中,神色不變,曰:「蚤知爾耳!」門人欲藏其兒,婦曰:「無豫諸兒事。」後徙居墓所,景王遣鍾會看之,若才流及父,當收。兒以咨母。母曰:「汝等雖佳,才具不多,率胸懷與語,便無所憂。不須極哀,會止便止。又可少問朝事。」兒從之。會反以狀對,卒免。
許允の晉景王に誅さる所と為るに、門生は走り入りて其の婦に告ぐ。婦の正に機が中に在れど、神色は變ぜず。曰く:「蚤きに爾れるを知るのみ!」と。門人の其の兒を藏さんと欲するに、婦は曰く:「諸兒の事に豫らざらん」と。後に居を墓所に徙せるに、景王は鍾會を遣わし之を看せしむ。若し才流の父に及ばば、當に收ましめんとす。兒は以て母に咨る。母は曰く:「汝らは佳からんと雖ど、才具多からず。胸懷に率い語らば、便ち憂う所無し。極哀を須いず、會の止むるに便ち止むべし。又た朝事の問うを少なくすべし」と。兒は之に從う。會は反りて狀を以て對え、卒には免る。
(賢媛8)
と言うわけで、許允さんは魏晋交代期の敗者としてカウントされるわけです。ただ、その中で際立つのがやはり、奥様の策略。世説新語はこの奥様がとびっきりお好きなようで、もう一つめっちゃ面白いエピソードも残してくれています。そちらを次話に。