そしたら、同郷の人間ばかりを採用する。
おいおい待てよ露骨だなお前、
収賄とかやってんじゃねえの。
明帝さま、当然疑う。
それで検察を派遣した。
こうして捕えられることになった許允。
出発のその日、妻の
「聡明な君主には理を説くべきです。
情で語れば、事態は悪化するでしょう」
明帝の前に引っ立てられた許允。
お前なにやってんのと聞かれ、答える。
「
汝の知る所を挙げよ、と。故に、
臣の知る所を挙げました。
郷人のうち、有能な者ばかりです。
彼らが職務をこなせるか否か、
陛下ご自身がご検分ください。
もしお眼鏡に適わぬのであれば、
臣は罪に服します」
で。
皆職務をこなせるだけの人材だった。
なので許允は釈放された。
この時の許允の格好はボロボロ。
仮に収賄があったのなら、
もうちょいマシな服を着ているはずだ。
この清廉さに感じ入り、
明帝は新しい服を下賜した。
一方、許家。
家主の連行に、皆が嘆き悲しんでいた。
その中で、あの妻だけは泰然自若。
何せ知の巨人と知られた阮家のひとだ。
「大丈夫です、すぐに戻ってきますよ」
彼女はそう言って粟粥を作り、
許允の出迎えの準備を整えるのだった。
許允為吏部郎,多用其鄉里,魏明帝遣虎賁收之。其婦出誡允曰:「明主可以理奪,難以情求。」既至,帝覈問之。允對曰:「『舉爾所知』:臣之鄉人,臣所知也。陛下檢校為稱職與不;若不稱職,臣受其罪。」既檢校,皆官得其人,於是乃釋;允衣服敗壞,詔賜新衣。初,允被收,舉家號哭。阮新婦自若云:「勿憂,尋還。」作粟粥待。頃之,允至。
許允の吏部郎為るに、其の鄉里を多く用う。魏の明帝は虎賁を遣わせ之を收ぜしむ。其の婦は出て允を誡めて曰く:「明主は理を以て奪すべし、情を以ては求め難し」と。既に至らば、帝は之を覈しく問う。允は對えて曰く:「『爾の知る所を舉げよ』たり。臣が鄉人は、臣が知る所なり。陛下にては職に稱うの為さるるか不なるかを檢校せるべし。若し職の稱わざれば、臣は其の罪を受けん」と。既に檢校さらば、皆な其の人の官を得らば、是に於いて乃ち釋さる。允が衣服は敗れ壞れ、詔して新しき衣を賜る。初め、允の收を被るに、家を舉げ號哭す。阮が新婦は自若して云えらく:「憂う勿れ、尋いで還らん」と。粟粥を作りて待つ。之の頃、允至る。
(賢媛7)
許允
舉爾所知
論語子路。
仲弓爲季氏宰、問政。子曰、先有司、赦小過、舉賢才。曰、焉知賢才而舉之。曰、舉爾所知。爾所不知、人其舍諸。
原文は、こういうところでズバッと注釈なしで引用を決めてくるんですよね。そういう端的な部分を見てると気持ちいいんですが、まぁそれを訳文でやってもミームが通じないにもほどがありますので、きっちり拾っておきます。