目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

阮籍7  江東の阮籍

阮籍げんせきの死後かなり経ち、

永嘉えいかの乱を経て、東晋とうしん朝が樹立した、

そのころの事だ。


張翰ちょうかんという人がいた。

その超然とした振る舞いを見て、

人々は「江東こうとうの阮籍」と、かれを呼んだ。


あるひとが、張翰に聞く。


「君は今、この時を放埓に過ごしている。


 だが、その名を後世に

 残したいとは思わんのか?」


すると張翰は答える。


「後世に?

 いや、それよりこの一杯だ」


そう言って、酒をぐいと飲むのだった。




張季鷹縱任不拘,時人號為江東步兵。或謂之曰:「卿乃可縱適一時,獨不為身後名邪?」答曰:「使我有身後名,不如即時一桮酒!」


張季鷹は任を縱とせることに拘らず、時の人は號し江東の步兵と為す。或るもの之に謂いて曰く:「卿は乃ち一なる時に適せるを縱とすべかれど、獨り名を後に身せるを為したらざるや?」と。答えて曰く:「我をして名を後に身す有らしむは、即時に一なる桮の酒に如かず!」と。


(任誕20)




張翰

どっちかってと劉伶りゅうれいじゃねえの説。


そんなことより、阮籍嵇康けいこうの思想が

劉伶の数少ない言葉との交わりから

発しましたって妄想に忙しいんだ、

邪魔しないでくれないかな!



……とか言おうと思ったら、晋書には「性至孝,遭母憂,哀毀過禮」みたいな記事があった。あっこれは阮籍に比される人ですわ。劉伶さんなんて母親の死にあたっても全く表面の態度変わんなさそうだもんな。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?