そして当時、学者と言えば、儒者。
大きな道を挟み、北に住んでいる阮氏は
儒者として、みな立派ないでたちでいた。
しかし南に住む阮氏、
例えば
粗末な家屋に住んでいた。
七月七日。
この日は衣類を虫干しする日である。
道北の阮氏の庭には、
きらびやかな衣類がはためいていた。
それを見た阮咸、
竿に大きなふんどしをはためかせる。
この道を通ったある人が、
この南北の取り合わせを不思議がり、
阮咸にその理由を尋ねた。
すると阮咸、答える。
「阮籍叔父上と違い、
自分はまだまだ世俗から
抜け出しきれていない。
なので、こうして
世俗の流儀に従うしかないのさ」
阮仲容、步兵居道南,諸阮居道北。北阮皆富,南阮貧。七月七日,北阮盛曬衣,皆紗羅錦綺。仲容以竿掛大布犢鼻(巾軍)於中庭。人或怪之,答曰:「未能免俗,聊復爾耳!」
阮仲容と步兵は道の南に居り、諸阮は道の北に居す。北の阮は皆な富み、南の阮は貧し。七月七日、北の阮は衣を曬せるを盛んとし、皆な紗羅錦綺なり。仲容は竿を以て大なる布の犢鼻(巾軍)を中庭に掛く。或る人之を怪しまば、答えて曰く:「未だ能く俗より免ぜざらば、聊か復た爾りたるのみ!」と。
(任誕10)
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